AKB48のファンすべてを敵に回しても学びたい、プロとしての心構え
■AKBというあり方
正月にパソコンを弄っておりました。音声のテストでたまたま適当な動画を、Yoiutubeで流していたのです。私は普段テレビを見ないので、芸能界には疎いのです。そんな私が、ある芸人のモノマネを見て衝撃を受けてしまいました。今、人気のアイドルグループAKB48のモノマネをしてるキンタロウという芸人の動画だったのです。なんということでしょう。彼女の動きのキレに惚れてしまいました。
そもそも、私はAKB48の曲を聞いた事がございません。メンバーの名前すら覚えていないのでございます。個人的な偏見から言えば、何かの圧力で強引に売り出してるアイドルユニットというイメージであります。確かに、軍隊のような訓練は受けてるみたいなのですが、いかんせん売るのが目的。動きと歌声にキレが感じ取れません。
そんな芸能界に疎い私なのですが、30秒という限られた枠の芸で魅了されてしまいました。AKB48のPVを1時間見せられるのであらば、私はキンタロウさんの舞踏を1時間見ていたい。もう、AKB48の名前をKTR(キンタロウ)48に変えて頂き、彼女にセンターをやって頂きたいと思う程でございます。
■本物の芸能人
芸の人、能の人と、合わせて書いて”芸能人”と読みます。現代の芸能人に芸はあるでしょうか?能はあるでしょうか?何故か売れてる人に限ってあまりそういう要素が感じられません。芸とは技、能とはウィズダム、賢さでございます。この二つを兼ね備えている人物が芸能人と言われるにふさわしいのです。
最近のアイドルは確かに可憐でございます。しかし、そこに積み重ねられた芸の重み、能がなかなか感じられません。若さと可憐さで押しているだけのようです。ここで断言させて頂きたく思います。若さと可愛さしか無い女性は、動物の雌と同じでございます。本物の淑女(レディー)であるならば、歳を重ねる毎に、積み重ねた経験からいろいろなものを醸し出すものでございます。それが、芸であり、能である訳であります。
キンタロウという芸人はどうでありましょう。確かに若くはなく、可憐ではございません。しかし、本物のAKB48を凌駕する演技力、舞踏の技術がございます。まさに女ざかりの本家を差し置いて余りある魅力の根拠がございます。それも、若さという消耗するだけのものでなく、芸と能という積み重ねで構成されております。まさに、確固たる土台に構成された魅力と言えましょう。
■エンヂニアとして彼女の姿勢を学ぶ
さて、我々エンヂニアとして彼女から何を学ぶべきなのでしょうか。それは、正に芸と能に対する姿勢でございます。エンヂニアとしての芸、それはスキルでございます。エンヂニアとしての能とは、正にウィズダム。賢さでございます。
私達は、このエンヂニアとしての本質で勝負ができるのでしょうか。確かに、スキルと賢さだけでこなせる程、業務というのは簡単ではございません。しかし、スキルと賢さを磨かずに、隣人との兼ね合い、お金の流れ方を調整するような技法に、便り過ぎてはいませぬでしょうか。
確かに、キンタロウという芸人でございますが、冗談にも可憐とは言い難き方にございます。しかし、芸能人という本質は外しておりません。それが私の心に感銘を与えた理由でございます。そこに、プロとしての魅力を感じた次第でございます。
■そして彼女の如く、心を強く持つべし
事の詳細を調べ、私は驚愕いたしました。なんとこのキンタロウという芸人、AKB48のファンに猛烈なる罵倒を受けているとのことであります。何たる事でありましょう、本人も非常に気に病んでいることでございましょう。
己の鍛え上げた技を披露し、逆に罵声を浴びるとはこれいかに。無念の極みでありましょう。キンタロウという芸人の素晴らしさは、この罵倒に対し笑顔で応える心の強さであります。我々が最大の能力を費やした成果に対し、理不尽な罵声を浴びせられてかのように振る舞うことができょうか。
本当に優れた芸術は、罵倒を持って批判されることもございます。高度な技術は批判を持って拒否されることもございます。それは理解するのに高度な知性が要求されるからでございます。フィンセント・ファン・ゴッホという画家をご存知だろうか。彼は死して後、作品を評価されましたと聞きます。
安易に屈せず、己の道を往く。このキンタロウという芸人の姿勢は、我々、エンヂニアとしても学ぶべき点が多いのではなかろうか。私はAKB48のファン、全てを敵に回したとしても、彼女を素晴らしいと称したい。そして、己もその生き様に多くを学びたいと考える次第にございます。
〜おまけ〜
問題の動画。前田敦子&大島優子 細かすぎるものまね キンタロー 小林礼奈 AKB48