重ねたグレー・カード
■あえて選ぶ傍観者という立場
どんな頭の回転が速い人でも、この世の中全ての事を把握することはできない。視野を広げたいだけ広げてしまうと、熟考している間に状況が変ってしまう。知的好奇心は、広げすぎると実質無知と変わらない。
一時期、ありとあらゆるものを考察していたような時期があった。テーマを選ばずに考えることの限界が見えた時、私は一旦考えるのを止めた。まず、これと思うものを熟考しようと思った。そうすると、関心はあるがあえて深くは掘り下げないテーマ。というのがいくつか出てきた。これを私はグレー・カードと呼んでいる。
■メディアに関する法律
一応、私は音楽をやっている。なのでメディアに関しては関心が深い。しかし、法律には全くうとい。人の作り出しただけの論法ということで、あまり美学を感じない。もちろん私がそう思うだけだ。もし、私が大学で法律を学んでいたら、全く反対のことを言っていたかもしれない。
最近、著作権保護法が改正された。メディアという関心事に、私の無関心な法律という考え方が干渉してきた。ネットから著作物を不正にダウンロードすると刑罰の対象になるとかなんやら。また、児童ポルノ云々で漫画やアニメが規制されるやら。
私が思うのことを判り易く画像で示すならこういうことだ。
メディアという名の芸術に、法律というモザイクが干渉するとこうなる。語るほどの熟考をしていないので、直感的に表現してみた。
■某小説で見たマネージャ論
以前エンジニアライフでで定期的に連載されていた小説。私は純粋に小説として楽しんでいました。ふとコメント欄をみると、マネージャとはどうあるべきか?みたいな論争が盛り上がっていた。私にとっては、マネージャ論はグレー・カードだ。持論はあるが、押し通したいというほどの情熱は無い。
ただし、巷に溢れているプロジェクトマネージャという存在を見ていると、確かに論争したくなる気持ちがよく分る。まぁ、マネージャに限らず、企業のトップに行くほど不可解な行動が多くなる。ただ、こういうものを追求しても苛立ちしか起きないのは目に見えている。
苛立つような事を考えるより、目の前の課題について熟考したほうが進展的だ。だからあえて熟考しない。それが私のスタンスだ。
■重ね合わせて見えるもの
こういう、グレー・カードは他にも沢山ある。しかし、これらを重ね合わせてみると、ぼんやりと見えてくるものがある。先ほど上げた例でいくなら、法律という手の届かないもの、マネージャという自分と縁の遠い存在、先人の作り上げた観念の集大成・・・。
何となくキーワードを辿って整理してみると、うっすらと結論が出る。”安直”とか”頭の固いお偉いさん”とかそういうものだ。どうも、これが私の気がかりになるものなようだ。確かに、こういうテーマでコラムを書くことがよくある。
グレーな部分を寄せ集めてみると、自分が何を考えているか何となく分析できたりする。世の中のグレー名部分を集めて分析してみると、もしかしたら真実が見えるかもしれない。