使い捨て時代のIT
■使い捨ての条件
使い捨てには二つの条件がある。一つは一度しか使わない。もしくは、数回しか使わない。これはよく認識されている。もう一つの条件は、簡単に手に入る。これはあまり認識されていないように思う。あまりに簡単に手に入るので、逆に認識しなくなっている。
例えば缶コーヒーの缶を例にとる。現在の日本では、街中で360°見回せばどこかに自動販売機があるような状況だ。その自動販売機にお金を入れてスイッチを押せば、誰にでも簡単に缶コーヒーが買える。缶コーヒーを飲んだ後は、缶をゴミとして捨てる。
提供する側からすれば、缶は機械で安易なコストで大量生産する事ができる。いちいち回収したりする必要はない。基本的には売りっぱなしで、作った分だけ速やかにゴミになる。再利用せずに大量生産するので、経済的に考えると効率よく回す事ができる。
■使い捨ての盲点
本当にこれを盲点として考えている人がいるのだろうか。と思えるくらい誰も盲点として認識していないように思う。当たり前だが、使って即ゴミになるので、廃棄物が増えるということだ。当然、資源を大量に消費する。
誰も騒ぐ人がいないのが不思議だが、ごみ処理場の場所も有限だ。ごみの埋立地も使い続ければ必ず限界がくる。処理しきれなくなったら大変なことになる。そして、缶を作るため資源も有限だ。再利用しなければ、いつかは資源を掘り尽くす。
確かに、自動販売機がいっぱいあって、いつでも缶コーヒーが買えるのは便利だ。しかし、ちょっとした便利さのために必要以上の資源やエネルギーを浪費して、資源の枯渇やらエネルギー問題というのも何か違う気がする。まぁ、そんなこんなで個人的に憤りを感じている。
■で、なんでエンジニアのコラムとしてこれを書いたのか
ここで訴えたいのは、エネルギーや資源の問題ではない。そんな使い捨て製品と同じ感覚で、エンジニアが使われているのではないかということだ。今の不況の時代、多少安い給料でも優秀なエンジニアを引っ張ってこれる。幹部以外、他から調達してくるというやり方が、使い捨て製品に通じる安易に調達できるという点で共通する。
エンジニア一人育てるのに膨大なエネルギーが必要だ。エネルギーをつぎ込んで育てたエンジニアを粗末な使い方をする。いや、エネルギーを搾り取ってることさえある。こういう、エンジニアの無駄遣いが、資源やエネルギーの無駄遣いに通じる憤りを感じさせる。
根本的なところで、この使い捨てで身に着いた感覚がエンジニアの不遇の元凶の一つかもしれない。どんなに努力して有用な人材を目指したとしても、雇う側が使い捨てる感覚なら、必然的にいろいろなズレが生じてくる。
■使い捨て感覚で失う技術的なもの
この使い捨て感覚だが、技術的にもデメリットは大きい。簡単に手に入り、簡単に捨てる事を繰り返すと、考え方がインスタントになる。何でも"すぐに"、"簡単に"を求めるので、深く考えなくなる。
また使い捨てした後に、捨てたゴミがどうなるか考えた事はあるだろうか?欲しいと思う時にいつでも手に入るので、前もって用意なんてするだろうか?・・・等々、物事の前後関係を考える感覚が薄れ、安易に物を考える傾向になりやすい。
こういう感覚でシステムを作ったらどうなるだろうか。ある意味、Excel方眼紙も"すぐに"、"簡単に"という発想の産物だ。テストをすっ飛ばすとか、今流行の安易なコストカットなんかも、安易に物を考えるようになった結果じゃなかろうか。
大きなシステムがトラブルを起こしたというニュースを聞いたり、どこかのプロジェクトが火を噴いたと聞くたびにこういう事を思う。物を粗末にするが故に、システムまで粗末に扱ってはいないだろうか。そうであるならうまくいくはずはない。
感覚って、意外なところで変なものが身に付いてしまう。物を大事に使ってみると、いろいろな発見があったりする。たまには違う角度から物事を考えてみてはどうだろうか。