いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

社会の窓から露骨にポロリ

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■OSという社会的ツール

 電機屋に行けばパソコンは山ほど売っている。最近、Apple製品の売れ行きもなかなか好調だ。しかし、仕事をするとなるとどうだろう。実質、Windows以外の選択肢はほぼない。そう考えると、Windowsとはもう1つの企業の製品というより、社会的な1つの共通ソフトになっている。

 つまり何が言いたいのか。

 正に、社会の窓(Windows)ではないだろうか。

■そんな窓から露骨にポロリ

 窓だって、きちんと開け閉めできなければ、ただの穴だ。最近のWindowsを見てると、何か重要な考え方がポロリと抜けている気がする。

そうだよ。露骨にポロリしてるんだよ。

何が抜けてるかというと、コンピュータとしての考え方に何かポロリと抜けている物がある。

 コンピュータとは計算処理をするための道具だ。確かにすばらしい道具だが、広め方がちょっとずれた気がする。OSとして未熟な部分を残したまま市場に出回りすぎたのではないだろうか。

■MacとWindowsのシェアが入れ替わっていたら

 もし、Macが今のWindowsと同じくらいのシェアだったら。きっと、コンピュータの使い方はかなり変わったと思う。2つのOSを使用して感じたのだが、Macには圧倒的にWindowsに勝っている部分がある。

 それは、Macは機能が整理されているということだ。Macは機能を洗練させて使いやすくしてから追加する。Windowsは複雑なままで整理をしない。設定項目を増やしてごまかす傾向が強い。

 つまり、Macの方が仕組み的に使いやすいということだ。Windowsは仕組み自体が複雑なままなので、いくらインターフェイスを工夫しても使いやすくはならない。WindowsではなくMacの方が広く普及していれば、もっとコンピュータを使いこなせる人は多かったと思う。

■Windowsの最大の失敗

 思うに、Windowsの最大の失敗はシステムではなく社会にアプローチしたという事だ。その結果、シェアを確保する事には成功した。正に社会の窓(Windows)といえる程に普及した。しかし、機能のブラッシュアップには失敗したように思える。

 社会へのアプローチに熱中しすぎたがゆえに、機能のブラッシュアップに失敗した。露骨にポロリと重要な部分が抜けた。社会的に主流なOSであるにかかわらず、基本的なメンテナンス性や操作性はLinuxやMacOSと比べてかなりしんどいレベルだ。

 MacOSもバージョンⅩからBSD Unixベースで作り直し、根本的な改善を図った。そして古い仕組みはあえて継承しなかった。Linuxはもとの作りからして単純だ。無駄のないコンパクトな作りという指針で、システムが構成されている。Windowsはどうだろう。新しい機能はかり追加して、肥大するばかりだ。Windowsでは、MacOSやLinuxで普通に行われる「省く」という考え方がポロリと抜け落ちているように思う。

 社会の窓から露骨なポロリ。意外とみんなは生ぬるく眺めているみたいだ。ポロリした実態をしっかりと認識して、どうにかしたいと思うのは、一部のおせっかいなエンジニアのみだろうか。

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