いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

この世界を誰にも語らせないように

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■肌で感じなければ判らないものはある

 先日、とあるアーティストのCDを買ってライブイベントに行ってきた。私自身、自分で楽器を弾くわりに人の演奏は聞かない。自らの意思で足を運んで歌を聴きに行くのは初めてだったりする。実際に行ってみて非常に良かった。ライブとかで、なんであんなに騒ぐんだろうと不思議に思っていたが、理解できた。

 どんなに好きなアーティストでも、CDを聞いてるだけでは理解できない良さってあるみたいです。例えば雰囲気だったり、ステージで見せる一挙手一投足、曲とは関係ないトークだったり。そういうものから伝わってくる何かがある。そして、共感する事で初めて判る素晴らしさがある。

■感じさせる何か

 言葉では言い表せない何か。それを無理に言葉にする必要は無い。自ら歩み寄らないと判らないからだ。文字や言葉で表した瞬間、本筋からずれていってしまう。自分から歩み寄って、自分の意思で感じ取るしかない。人が肉声で歌う歌には、そういう繊細なものがある。

 もし、このライブイベントの舞台で歌っているアーティストと、プライベートで知り合っていたら馬が合わないかもしれない。実はイメージとだいぶ違う人で幻滅するかもしれない。そんな良い悪いなんて考える必要は無いです。ただステージと客席をはさんで一つ感動を共有できること。そこに理屈はいらない。素直にそれを喜べばいいと思う。

■そんなのITとは関係ないと思ってないですか?

 エンジニアの読むコラムに、何を書いているんだ?そんなの関係ないじゃないかと思っている方も多いと思う。いや、大有りなんだよ。これが。

 エンジニアの人は何かと理論で片付けたがる人が多い。しかしどうだろう。理屈にこだわりすぎるがあまり、細かな気付きに目が行かなくなってしまっているのではないだろうか?例えば、Javaでコードを書く時にしても、Javaを作った人の意図、ちょっとした"なぜ?"を自分の理屈で踏み潰してはいないだろうか。

 Javaを弄るだけで作った人の意図なんて判るはずがない。小説のようにどこかに意図が書いてあるわけでもない。どんなに理解しようとしても、想像の域を出ない。ちょっとした"なぜ?"だって、突き詰めればなんとなくな違和感だったりする。しかし、ちょっとした違和感を突き詰めると、大きな気付きにつながったり。そんな事はないだろうか。

 ものを繊細に見ていくことが命題のエンジニアが、"言葉にならない"を理由に思考を止めてはいけない。そこから追求が始まるんだ。

■何が素晴らしいのか

 ちなみに、私の行ったライブイベントのアーティスト。歌詞が非常に繊細でした。普通の人だったらこんな事を考えないな、とか、見向きもしないような些細なことを丁寧に言葉に訳して歌詞を書いている。作詞をやってた立場として、こういう歌詞が書けたらいいなと羨ましくなる。

 この業界で単なる敗者でいたくないだけで、感覚をふさいで闇雲に理論にすること。本線から踏み外しているのに、それこそが健全じゃないか。

・・・なんて思ってないだろうか。

 真実は言葉では語りつくせない。それが真実だ。それを言葉に押し込めて表現するなら、必要なこと。それは肌で感じる、その耳で聴き、その目で見ることだ。百の説明より、一行コードを書いてその身で知る。そんな経験はないだろうか?

 人は自分の思うより繊細にできている。アートでもコードでも、人を動かすものを作ろうと思うのなら、それに気付くことが必要なのかもしれない。

~おまけ~

 と、まぁコラムを書いてみたんだが、今回のイベントのアーティスト、アニメとかゲーム等の分野で活躍されている方です。そのせいか、来ているファンの方もIT系の仕事をしてそうな雰囲気の方が多かった。実際、ガンダムのエンディングテーマを歌っていたりしましたし。

 ・・・そんな事で、このコラムを読んでいる人でもしかしたらイベントに来てた人、もしくは東京のイベントに参加される方がいたんじゃないか?なんて思ったりした。

 とてもいいイベントでした。行けて良かったです!

 

 

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