いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

逆行

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■放し飼いにされた大海原で

 今君は、拘束されているのだろうか。会社にの就業時間、人間関係、自分のポリシー。色々なものに拘束されているように思うかもしれない。しかし、意外とぶち破ろうと思えばぶち破れる。実際は拘束されているというより、そこに条件がある。という方が正しい。条件さえはたせるなら、思うより自由に振舞える。

 しかし、現実は条件に従って生きていく方が楽だ。条件を乗り越えるには困難が伴う。会社の就業時間も、独立することで覆す事もできる。人間関係もリスクを認めれば覆せる。自分のポリシーだって、自分の欠点を認めれば覆せる。条件を乗り越えるための困難。それを測る天秤はいつでも目の前にある。

 しかし、その天秤を手にすること無く判断を下す人は多い。自由には、大海原に一人放たれてしまうような恐怖という反面もあるからだ。拘束の元で、自由の魅力を語る者は多い。でも、実は認めたくないのかもしれない。自分が自由であることを。

■ここでは何をしてもいいんだよ

 仮に自由を手に入れたとしたら何をするのだろうか。自由といってもいろいろある。立場的な自由、人から尊敬される自由、金銭的な自由・・・。しかし、自由ほど人を縛るものは無い。「何でもできる」とまじないのように思い続けていると、行き着く先には闇がある。それを「思考停止」というらしい。

 一見、スポットの当たらない欲の無さそうな人。そういう人が使われる立場で働かされる。使っている人は自由を満喫して、楽しくやっている。しかしそこには、「思考停止」という罠がある。思考停止の恐ろしさなら、まっとうなエンジニアなら誰でも実感しているだろう。

 自由と「思考停止」という名の見えない拘束。解き放たれる事と拘束。実は密接に同居しているんじゃないだろうか。

■どれだけ謝ればいいんですか

 なんてあさましい奴だと、権威の前でひれ伏した事が何度あったことだろうか。権威という自由を手に入れた人というのは、変に強気だ。デッドポイント(損益分岐点)を前にして、むしろ強気にと、断崖絶壁まで笑いながら走る勢いだ。

 そんな勢いに流されると、わびしく怯えているしかない。現実は強気さと裏腹にクレームが増える。それに比例して打てる手段が減る。その結果、なけなしの手段、「謝る」しかなくなる。

 「謝る」それは、「誤まる」の表裏かもしれない。どこかで両者のバランスが取れている。このバランスが崩れた時、もうどちらもしなくていい状況が訪れる。仕事で言うなら「取引停止」、人間関係で言うなら「絶縁」だろう。お金や権力だけではこの法則は覆せない。

 つまり、どんな破天荒な状況にも、必ず法則は存在する。滅茶苦茶な中にも必ず秩序は存在する。そう思えてならない。

類無き日々を前にして

 人は名誉を得る事で、栄光の日々を思い描く。類稀な達成感に歓喜する人は多いが、考察する人は少ないように思う。

 栄光。光が栄えると書いて栄光と言う。しかし、眩しすぎる光は逆に視界を奪う。眩しすぎる栄光に背に受ければ、逆光はその人のシルエットをくっきりと浮かび上がらせる。後を追うものから見ると輝かしく目に映る。しかし、そのまま進んではいけない。行くべき場所に背を向けて進むこと。

・・・人はそれを逆行と言う。

栄光は背に受けるものではない。眩しさに目がくらんでも、正面に受けて進み続けなければならない。もしかして、栄光とは私たたちが超えるべき試練なのかもしれない。

逆行。己の欲するものを手に入れて、逆に不幸になる。己の思う真実と逆の真実。

・・・人はそれを逆説と言う。

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