天才と言わせるために何をすればいいか
■天才を考える
まず、天才とは何かを考えてみたい。高い能力をもって、人のできないようなことをやってのける。これが結びついた時、人は敬意を込めて天才と言ってくれる。
天才と言っても色々なレベルの天才がいる。部署単位での天才、会社単位での天才、国レベル、世界レベルと。世界レベルの天才となると、エジソンとかアインシュタインとか歴史に残るレベルなので簡単ではない。
本物の天才になるのは難しいが、レベルをわきまえれば天才と言われるのもそう難しくはないんじゃないだろうか。案外、手の届く目標になり得る。
■動機としてどうだろう
人に「凄い!」とか「天才!」と言われたいがために頑張るのってどうなんだろう。私はいいと思う。確かに、技術に対する純粋な情熱とか、何かを変えてやりたいとか崇高な目標があれば望ましい。でも、実力の前に精神的なレベルの高さまで求めなくてもよさそうだ。
邪な目的でないのであれば、しょうもない動機で構わないと思う。気軽に天才を目指してもいい。もっと気軽に、カジュアルな感覚で天才を目指してみてはどうだろう。ライトな気分で天才を目指す人が増えれば、間口が広がって天才を目指す人が増える。結果、天才が増える。
もっと気軽に天才を目指そう。必要な意気込みとか実質的な能力は後から付け足していけばいい。実際、崇高な目的なんてある程度のレベルにならないと見えてこないと思うから。
■頭の悪さが気になる人へ
意外と無能でも天才になれる。いや、むしろ最初は無能なくらいの方がいい。最初から優秀な人がいい結果を出しても、普通だと言われる。最初は無能な人が良い結果を出すと、ボーナスポイントがついて評価される。
天才と凡人の差は大きいが、凡人と無能の差は意外と小さい。また、自分が無能だとするなら、周りの人はみんな自分より優れている。つまり、見本にできるということだ。先生に囲まれて学ぶにはもってこいだ。故に、自分が無能だと正しく認識できれば、無能が凡人に追いつくのはたやすい。
そして、凡人に追いついた無能は強い。凡人に追いつく努力の際に身に付く"独自の発想"という手札があるからだ。能力は同等でも、発想で一歩先を行けるのだ。発想の幅が広いというのは、大きなアドバンテージがある。凡人と天才の差もまた、この発想だからだ。
■意外と天才は見られていない
天才と言われている人をよく見てみよう。純粋な脳みその能力が高いという訳でもない。また、思うよりいろいろな種類がいる。生まれついての天才にしても、努力で勝ち取った天才にしろ、目的の為に必要な能力が高い。持っている能力が、たまたま目的に一致したのが生まれついての天才。持っている能力を目的に合わせていったのが、努力で勝ち取った天才だ。
天才というのはインパクトがあるので、偏って見られることが多い。天才と言われても、実質、インパクトの強いだけの変な人の場合もある。インパクトが大きいが為に、そういう人を天才と認知して、変な人を目指す人もでる。
そんな事で、実は天才を見抜くのもけっこう難しい。認知されていない隠れ天才も多い。天才と言われるためには、物事を正しく見極める訓練をすることだと思う。まずは、本物の天才を見ぬくにも眼力が必要だ。
結論として、天才と言われるためには能力の高さも大事だが、一つ一つの物事を丁寧に見極める地道さが必要だと思う。実は積み重ねで達成できる境地だと気付けば、誰にでも難しいことではない。思うより天才という境地は身近なのかもしれない。