いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

なぜ悶々と悩むのか

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■聞いてくれ。最近オレに悩みがある。
 私はiPhoneを持っている。そう、このiPhoneにチェスとオセロのゲームをダウンロードしてるんだが……。

 勝てねぇ!

 確かに、最弱にすれば勝てます。というか、コンピュータがバカ過ぎます。しかし、あるレベルを超えると、一向に勝てなくなってしまう。

 負けると、「機械ごときに負けただと!?」と何か悶々としてしまう。勝っても弱すぎて悶々としてしまう。冷静に考えると、一種の泥沼っぽい。

■悶々とするならやんなきゃええやん。

 もし、理論的に考えるなら。初めからやらなければ別に悶々としないでも済む。別にオセロやチェスが強くても、たいした利益もない。どうせやるなら、ゴルフでも打ちっ放しでも行った方が、まだ接待にでも使えるというものだ。

 相手はコンピュータだ。別に勝っても褒めてくれるわけじゃない。別に、周りにチェスやらオセロの好きな友人がいるわけでもない。そこにあるから、やってるだけだ。そして、ひたすら悶々とする。

■悶々とすること。一線を越えると喜びを感じる事ができる

 別に私がマゾヒストというわけではない。恋愛でも、研究でも、理論的には無理とわかっているのに挑むような人はよく見かける。勿論、最終的に失敗する。そして悶々と悩む。もし、コンピュータなら、こんな馬鹿な事はしないだろう。データを入力したら、機械的に計算して「無理」とはじき出すだけだ。そして最初から動かない。

 しかし、悶々としながらぶつかることで、たまに成功する事がある。この現象は、コンピュータでは絶対にない。悶々とした分、壁を越えた時の喜びもひとしおだ。これが人間の思考とコンピュータの計算の大きな違いだと思う。

 そして、悶々とした思念(以後、悶念とでも呼ぼうか)を感じる事が、新しい世界を切り開く原動力になるのではなかろうか。

■さぁ、悶々としよう

 悶々とした思いで挑み、失敗する。そうすると、更に悶々とする。一見、負のスパイラルのように見えるが、とらえ方を変えると、悶念という精神的なエネルギーが貯まっている状態だ。うまく使えば現状打破の起爆剤に使える。

 コンピュータのようなクールな理論的思考を美徳とする人がいる。特に、エンジニアにはこのタイプの人が多い気がします。しかし、理論的過ぎて心が冷めている。そんなの冷めたハートじゃ、未知の分野にいどめないぜ! なんて言いたくなったりする。

 悶々という字を見てください。心に門と書いて悶だ。何か考えさせられないか?恥ずかしい事ではない。さぁ、恐れずに悶々としよう!

 君のハートに悶念を。

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