いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

はずべき人

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エンジニアって言ったら、やっぱ理論性だろ!

 なんて思っちゃいないだろうか? 理論性は大事だ。理論を組み立てるには、前提として知識が問われる。この「理論性」と「知識」は、ほとんどのエンジニアがクリアしているように思える。

 確かに、クリアはしている。しかし、それしかない人がいたりしませんか? 理論的で知識の豊富な人が集まれば、何か素晴らしいものができそうな雰囲気がある。が、実際はそうでもない。お互いの意見がぶつかってごたごたして、結局は頓挫(とんざ)してしまうこともある。

 なぜだろうか。それは、理論や知識に偏った「はずべき人」が増えたからだと思う。

知識や理論に偏ると出る言葉

 知識や理論に偏ると、決まって出てくる言葉がある。「~はず」と「~べき」。なぜだか分からない。この言葉が出ると、何かが止まる。そして、気が付けば衝突が始まり、話が平行線になっている。

 私はこう考えている。この「はず」と「べき」がでてきたら、知識や理論のネタが尽きたなと。戦場だったら、俗に言う「弾切れ」というやつだ。話が平行線になったということは、弾が尽きて殴り合いをしてるような状態だ。こうなると、戦況をくつがえす決定打はまず出ない。逆に、お互いのエゴのぶつけ合いが激 しくなるだけだ。

 こうなると、もう見ていられない。

そもそも、理論と知識で戦うのはナンセンスと考える

 もう1つ、この「はず」と「べき」を乱発する人には特徴がある。理論と知識を武器として使うということだ。特に、会社なんかだと、そういうケースが増えるように思える。

 理論と知識を武器に使う人は、「知識が正しければ、相手より優れている」「理論が高度であるあるほど、自分が正しい」、そういう理論で、相手を論破してねじ伏せようとするのだ。これってどうなんだろうか? 本来、物事をうまく進めていくという目的を忘れているように思う。

 なので、理論と知識を武器に戦う人を私はこう呼ぶ。「はずべき人」と。

じゃあ、どーすりゃいいんだ。こんにゃろう!

 とは言っても、生きていく以上、何らか相手を説得したり自分を貫かなくてはいけないことが多い。知識、理論という武器を使わずにどうやって戦っていくんだ? という問題も出てくる。そういう人には明確な答えがある。

 聞け。

 よく考えてみてください。知識や理論も自分で覚えるには限界があります。そんなものをぶつけ合っても、いずれ弾が尽きるのは当然です。それに、自分や相手の知識、理論が必ずしも正しいとは限らない。

 知識、理論は、武器ではない。あくまで話のネタだ。そこは押さえておくべきだ。

 

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