いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

君はそれでも競争を肯定するか

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■私は競争を支持しない

 世の中、競争社会と言われている。エンジニアなら、競争する手段は技術力といったとこだろうか。技術力が高ければ優秀、技術力が低ければ劣る。そんな基準で、待遇やら給料が変動する。

 別にそこを否定する気は無い。否定したいのは、競争に勝ったからといって、人として優秀である。そう思い込むところだ。

 社会的地位も、優れるか劣るかも、単なる立場を振り分ける基準にしかなり得ない。ジグソーパズルで言えば、端っこのピースか、真ん中のピースか。そのくらいの違いしかない。それぞれの立場に見合った責任が課せられる。それだけの話だ。

■勝者とは、逃げ道を獲得した者だ

 一度勝ってしまうと、逃げることができるようになる。ある程度、怠慢な要素があっても、実績で隠せる。怠慢でも正当化することができる。次挑戦する人より有利に立つことで、再度、勝つことができる。よく見ると、勝った人ほど競争を避ける傾向が見受けられたりする。

 なので、競争をしている。というより、相手の矛が届かないところから石を投げているような。一種のハメ技というやつだ。

■本当の競争というのは、想像しているより過酷だ

 本当にフェアな状態でやる競争というのは過酷だ。争う以上、お互いが無傷では済まない。そして、勝とうと思えば、必ず何かを引き替えにしなければ勝利は得られない。

 たとえ勝利を得たとしても、勝ち続けるとなると更に過酷だ。まさに、短距離の速度で長距離を走るようなものだ。余韻に浸っている余裕などない。常にストイックに自分を来て続けなくてはならない。

 こういうことは、本当に強い人でなくてはできない。

■競争してるようで、実は競争していない

 競争することでお互いが高め合える。そういう理由で、競争を肯定する人をよく見かける。しかし、実際に高めあえるのは、前述したような常にフェアに渡り合うことができる強い人たちだけだ。実際は競争に見せかけた単なる小競り合いをしている場合が多い。

 そもそも、能力の優劣を決める場合、物差しを1つに絞る必要がある。なので、能力の優劣に固執しすぎると、どうしても見解が狭くなってしまう。簡単に言うなら、頭が固くなる。

 私が競争を肯定しない理由。それは、エンジニアとして、人として、視野が狭くなるのが嫌だからだ。

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