争いに勝ちという結果はない
■争った時点で、すでに双方負けている
ここに、実力がほぼ同じ剣士が2人いたとしよう。お互いにどちらが強いか決めるために、どちらかが死ぬまで戦ったとしよう。
たとえ勝ったとして、無傷でいられるだろうか?
少なくとも、お互いに戦うことがなければ、両方とも無傷だ。戦う分のエネルギーを創造的なことに向ければ、もっと生産的な結果を得られるかもしれない。
つまり、争った時点で双方、損をしている。私はそう考える。
■これは、争うこと全般に言えることだ
今の時代、剣士もいないし殺し合うことはない。しかし、ポスト争いや顧客の争奪戦などで、似たようなことをしてるように思う。しのぎを削らずに、これらの争いを勝ち続けることができるだろうか。
コスト削減や工数の削減も、もとをたどれば、企業間の競争で勝つための手段だ。目的を達するためだけなら、適切にコストと工数を割り当てて、無難に成果を出すことができるはずだ。
争うが故に、IT業界は総敗者になっているように思う。
■敗者にならないために
一般的に、敗者にならないためには勝者になればいいという。これは、短いタイムスパンでしか通じないのではないだろうか。勝者となったとしても、実際は勝ち続けなければならない。勝ち続けるためには、何かしらの対価は必要だ。
戦い続ける以上、必ず負けるリスクを負い続けることになる。ここを直視しない人は、けっこう多い気がする。
本当に敗者にならないためには、競争に参加しない、競争から抜け出す努力をすることだと考える。
■そもそもの目的とは何だ
仕事の本来の目的は社会貢献だ。社会の仕組みを維持したり、必要なものを生産することのはずだ。必要なことを必要なだけこなしたら、後は各自、自己実現にまい進すればいいと思う。
競争に勝ち残ることに固執すると、ここを外す。
競い合うことを全面的に否定する気はないが、エスカレートすれば不毛な戦いに発展する。常に本来の目的を見失わないのが、真の勝者だと思う。
自分が“勝った!”と思ってるうちは、“勝者(しょうしゃ)”ではなく“小者(しょうしゃ)”なのかもしれない。