いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

101枚目のプロフィール

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 なんでこのタイトルかって? 語呂が良かったからです。

 実は私、作詞をやっておりまして。あわよくば、1曲くらい私の書いた歌をプロが歌ってくれたら。そんな淡い夢を抱いております(笑)。ただ、最近あまり歌詞書いてないんですよね……。

■余計なものなど、ないよね?

 「すべては僕の会社の“職”の履歴だ」

 度を超えた無茶な要求が、面談時の一言になる。まるで僕を試すように。このまま会社で夢をあきらめ、何気なく働こうか……。時には金で答えて、金で答えてほしい。上司基準で計らないでほしい。何度も思う……。なぜだか思う。

 欲があふれている……。

■言葉は心を超えない

 とても伝えたいけど、社風に勝てない……。開発をやりたいがやれなくて悔しい時、別会社に使われる雇用条件の切なさを知った。このまま1人で朝を迎えて、いつまでも働くのか……。

 技とかスキル、感じてみたい。直に手応えを感じてみたい。何度も思う、僕は確かに金で雇われた。

■「はい」と言え

 会社という組織は、人を締めつける。窮屈なくらいに締めつける。会社を飛び出して、何らかの資格を取ったり、手に職をつけて自立したくなる。

 人に「はい」と言わせる。それが会社なのだろうか? いや違う。「はい」と言わせても、心が別のところにあれば客も社員も離れる。“「はい」言わす”では駄目なのだ。

■僕は死にましぇん!

 ……と思っても、死ぬ時は必ず死ぬ。無茶を重ね過ぎれば、過労死もありえます。現実を見つめること。それは、人の心を見つめることでもある。僕たちは、そのことを忘れてはいないだろうか。

 現実はドラマではない。己の筋書きを突き通すのでなく、幾多の人の思いを織りなして紡いでいくものだ。そこに、必ず“人”と“心”という存在がある。人の心が見えない経営者であれば、会社は縦糸をすべて抜いたマフラーのようなものだ。

 ばらけていては、誰かの心を暖めることができないのだ。

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