さぁ、“じじもんだい”について語ろうか。
■1000年単位で見る時事問題
今世紀最大の時事問題。
2012年、マヤ暦が終わる。
マヤ時代から話題だった、この“終わり”がついに2年後にやってきます! 某映画によれば、12月21日に何か天災的な地球の大変動が起こり、あたかも「人類最期の日・人類の滅亡」のような特別なことが起こる日と描かれております。
紀元前より予言されていた時が、2年後に訪れようとしています。実際はどうなるんでしょうかねぇ。よく分からないけど。
■え、話が飛びすぎだって?
はい。話をぶっ飛ばしてみました。マヤ暦を信じる、信じないはどちらでもいいです。
ここで取り上げたい点は、時間軸の長さです。
数年単位で取りざたされる“時事問題”と、数千年単位の“時事問題(というのか?)”。想定するタイムスパンによって、見えてくるものはかなり違うのではないだろうか。
今晩のニュースの内容と、マヤ暦の考古学書を読み比べれば、考え方の違いはよく分かると思います。
■で、どう見え方が違ってくるのか?
1年単位でとらえた時事問題を見ると、突発的なものが目に付きやすいと思う。例えば、某国の漁船がなんかに突っ込んできたとか、税金が上がるだの下がるだの。あと、細かい部分にフォーカスが絞られる。内容も具体的なものが多い。
ちょっと、数千年では想像が難しいので、何十年単位で時事問題をとらえてみる。環境の変化や人々の考え方の変化など、ゆっくりと変わっていくことが目につきやすいと思う。どちらかといえば、細々としたものよりはマクロな話が多くなる。
そういう傾向があるように感じます。どうでしょうかねぇ?
■で、最近の時事問題について
最近は、一発インパクトのあるニュースを打ち上げ花火みたいにぼんぼん出しているように感じる。出たときはセンセーショナルだが、何か薄っぺらく、記憶に残らない。しかも、どうでもいい話題を“いかにもすごい!”ように演出するので、物事の重要さが分からなくなってきた。
マヤ暦は、前提にするタイムスパンが長すぎて、現代人では感覚がついてこれない。最近のニュースは、話題をコロコロ移して、何が一番問題なのか明確にしない。結局、変な謎が残る。という点で、はからずも似てしまったように思う。
情報にセンセーショナルな飾りはいらない。ニュースはエンターテインメントじゃなく、世の中を知る手段だ。ニュースを見ていて、いろいろ考えさせられました。