プロってなんだ? (ためらわないことではない)
■格好いい言葉に潜むカオス
“プロ”というと、なんかすごい感じがぷんぷんする。例えば、プロボクサーなんていったら、めちゃくちゃ強そうだ。喧嘩しても勝てる気がしない。ステージに立って歌うプロミュージシャンなんていったら、もう別次元の存在だ。
彼らのバックには、血のにじむような努力や壮絶なドラマがあったりする。やっぱり、人の上に立つにはそれなりの理由があるものだ。そんな彼らに与えられた称号のように“プロ”という言葉が使われることがある。
しかし、実際はプロなんていくらでもいる。プロのタクシードライバー、プロの警備員、プロの大工さん……。見る角度を変えれば、人並みの努力でもプロになれるんだよなぁ。
“プロ”という一言って、人々の思い入れや思想がつまっているんじゃないかな。そんないろいろな思い入れが混沌と混じって使われている気がします。期待という名の火薬の詰まった爆弾になっちゃいないだろうか。
■困った“プロ”の使われ方
最近、妙にひっかかるのが、「おまえ、プロだろ?」という言葉です。自覚が不足気味な、人にチクッと使う程度ならいいんですが、無茶の理由に“プロ”という言葉を使う人がいる。
無意識に、「プロだったらなんかすごいことしてくれるんじゃないか?」、そんな期待を抱いちゃいないだろうか。この期待が、多くの不幸を生んでいる気がします。
よく考えてください。プロボクサーだって、試合で負けることだってあります。プロのミュージシャンだって、落ち目があったりします。プロだからって、常に期待に応えられるわけじゃない。もっと身近なところだと、プロのITエンジニアがデスマーチでうつ病になったりします。
プロの前に人です。何かをうまく生かそうと思えば、頼み方はいろいろあります。“プロ”という言葉が、丸投げの前の掛け声に聞こえてしまったりすることってないですかね?
■で、逆に考えてみる
プロっていうのは、お金をもらって動いている人だ。故に、払う金以上のものを求めてはいけない。こういう考えで、お金を出す人はいるだろうか? たぶんいないだろう。このバランスは大事だと思う。お金はガソリンと同じだ。払った分だけ動く。それだけだ。確実な成果の保証にはなり得ない。
お金は人しか動かせない。世界の真理をくつがえすほどの力はない。
■IT系のエンジニアとして
IT系の業務をしていると、特に“プロ”であることを求められる。難解なことをこなす仕事なので、専門性は必須だ。そんなことで、血のにじむ努力や労働をもいとわない人が多い。
しかし、いかなる努力を持ってしても、いかなる技術を持ってしてもくつがえせないものがある。それは、自分たちが人間だということ。人間なので、当然、寿命も知能も、体力も限界があります。それぞれにポリシーや思想はあるかもしれないが、そこはくつがえしちゃいけない気がする。
そんなことで、最後に一句。
プロという 幻影よりも 人であれ