いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

今と昔で考える

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■博物館に行って思ったこと

 京都の博物館に行ってきた。アステカだったっけ? 数百年前~1000年以上前の大きな顔の彫刻やら、いろいろ見てきた。ずっと昔に、巨大な石を削り出して巨大な建物を建てたり彫刻をしたりと、すごいものだ。

 今みたいな建築技術はなかったので当然、人の手で作業したのだろう。また、紙とかも一般的じゃなかったようなので、仕様書なんかもなかっただろう。そんな中、よくあれだけのものを作ることができたものだと感心した。

■ところで、あの彫刻には納期があったのだろうか

 その巨大な人面の彫刻だが、宗教的な儀式に用いていて、神殿の中に設置されていた彫刻だったそうだ。そんなようなことが、きれいなCGで再現されて説明されていた。

 ところで、あの彫刻。あれに納期はあったのだろうか。当然だが、当時あれを作成した人は、今は生きていない。いくら考えても、想像の範囲を出ないだろう。

 「こういう儀式がしたい」という提案から、あれだけ大規模な神殿を建てたり、彫刻を作成して、数百年、数千年も残るクオリティで仕上げる。相当チームワークが良かったのだろうか。当時のプロジェクトマネージャ(?)は、たいしたものだと思った。

■場所は飛んで昔の日本

 ひととおり見てから、常設展示を見た。京都ということで、出土品から当時の町並みをフィギュアで再現していた。他にも、当時の工芸品が展示してあったりと、なかなか楽しめました。

 当時の職人さん、いい仕事してるなぁと思いました。説明書きにも、いろんな技術を工夫してる様子やら、なんやらいろいろと説明があった。それによると、日々切磋琢磨して、技を磨くのに余念がなかったそうだ。

■で、現代人と比べてみる

 そんな昔から生きているわけでもないので、当時のことは分からない。しかし、何となしに思うのは、実は人間は進化しているのではなく退化しているんじゃないか、ということ。

 確かに、近代文明のテクノロジはすさまじい。でも、アステカ時代に彫刻を作った人の方が、チームワークや想像力は高かったように思える。同じ技術水準のもとで作業をしたら、現代人は絶対にかなわない。政治関連で破たんした事業をいろいろ見てると、当時のように何十年単位でものを作ることができるのだろうかと思う。

 また、日本で見ても、昔の人のように何十年単位で技を磨くような地道さが損なわれているように思う。やたらスピードばかり求めて、熟考することを怠ってはいないだろうか、なんて思ったりする。時代が経つにつれ、技術は進歩してるが、その分、しがらみが増えてはいないだろうか。

 そんなことで、たまには歴史的な観点でものを見るのもいいかもしれない。普段、パソコンとにらめっこしてては得られない観点で考えることができた。

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