【小説 しょっぱいマネージャー】第六話 退職代行を使わずに会社を辞める方法
「開発環境なんだから取りあえず動けばいい?」
田原の眉がピクリと動いた。
「そうです。性能や障害テストをする訳じゃないんだから、取りあえずでいいんですよ。手順書なんかも本来使うべきだった開発のものを修正して頂く程度で使い回せるでしょ?」
「取りあえず動けばいいとはいい加減な。ホスト名やネットワーク構成だって本来と異なる環境でPG開発しても後で手戻りがあるのは目に見えている。作業工数が余計に掛かるのでは?」
手戻りという言葉に、池江がピクリと反応した。
ああ言えばこう言う田原に、雄一はだんだん腹が立って来た。
「じゃ、田原さんは何かいい方法があるんですか?」
雄一にそう言われた彼は腕を組んで黙り込んでしまった。
「ほら、やっぱり無いじゃないですか! これで行くしかないんですよ!」
雄一はしてやったりという感じで声を張り上げた。
「それにインフラチームは本来なら開発サーバの構築をしている時期でしょ? だったら今暇......いや手が空いてるんじゃないんですか?」
スケジュール表を指し示しながら田原に言った。
彼は無表情で雄一の隣に座る三浦部長を見ている。
「顧客としてはそれでいいんですかね?」
雄一の言葉を無視し、直接三浦部長に問い掛けた。
雄一も思わず三浦部長の方を向く。
「んん......私は有馬さんにベンダー側の管理は全てお任せしたつもりだから、開発に関しては全て彼にお任せしています」
(丸投げかよ)
顧客担当の対応の仕方にため息を吐くも、不満の言葉は飲み込んだ。
「......分かりました。ではインフラとしては任せられた範囲内を2日後の木曜までに完了させます」
「そ、そうですか。随分早いですね」
「サーバの台数が少ないですから」
「ありがとうございます!」
田原がそれまでのとはうって変わってあっさり受け入れてくれたことで、雄一は拍子抜けした。
と同時にそれまでとは一転、彼に好感を持った。
「ただ、代替サーバは元々用意して頂くはずだった開発サーバと比べて台数もスペックも違います。その辺はこちらで調整して、後程サーバとソフトウエア構成図を展開します」
「分かりました」
雄一は大きく頷いた。
(そうだよ。これだよ。これ)
久々に気分が高揚した。
いがみ合わず今の状態を受け入れ、そこから皆で知恵を出し合って前向きに進んで行く。
これこそがチームプレーであり、プロジェクトの醍醐味だ。
そんな自己肯定感に酔いしれる雄一を尻目にリーダー同士で打ち合わせは続く。
田原は池江の方を向いてこう言った。
「代替開発サーバの構築が終わったらリアルチームに引き渡します」
「分かった。じゃ、うちは週末までに任された作業をやればいいんだな」
雄一は、さっきから繰り返し聞こえて来る『任された作業』の詳細は良く知らなかった。
恐らくはスケジュール表に書かれた、本来の開発環境を構築する上で行う作業の事だろう。
各チームで分担して合意した内容なのだからと思い深く突っ込むのはやめておいた。
「じゃ、有馬さん。よろしくお願いします」
三浦部長の言葉で会は終わった。
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2日後の木曜日の夕方、雄一は田原からサーバ構築完了の報告を受けた。
「今からそちらへ向かいます」
2階のプロジェクトルームから4階のサーバルームへ向かう。
IDカードを認証装置にかざし暗証番号を打ち込んで入室すると、冷気に体を包まれた。
ゴウンゴウンと空調の音が耳に響く。
タンスみたいな細長いサーバが整然と4列並べられている。
人がやっと1人通れる位の幅を通り抜けると、一番端っこにあるサーバのコンソール画面と睨めっこする田原の姿があった。
その横にはインフラチームのメンバーがいる。
「お疲れ様です」
雄一の挨拶に、彼はコンソールに向かったまま無言で頷いた。
「とりあえず9台構成が4台構成になったので、その辺り何とか調整しました」
田原は代替サーバ4台のサーバ構成図とソフトウエア構成図を拡げて見せた。
「データベースサーバは2台構成のRACでしたが1台のシングル構成にしました。アプリケーションサーバも2台から1台にしました。それと社内用webサーバが1台。あとバッチサーバが1台。社外用Webサーバは現段階で開発に必要ないので作ってません」
三浦部長から調整してもらった4台のサーバが綺麗に並んでいる。
構成図を見ると、各サーバにはOSとしてlinuxがインストールされている。データベースサーバにはORACLE、アプリケーションサーバにはtomcat、webサーバにはapacheと最低限のミドルウェアがインストールされている。
(いいね。いいね)
雄一は嬉しくなった。
先日搬入されたばかりのサーバは魂を吹き込まれたかのように勢い良くファン音を立て、LEDランプを点滅させている。
実際の物を目の当たりにして雄一はそれらを頼もしく感じると同時に、自分のプロジェクトマネージャーとしての初仕事を誇らしく思った。
再び、構成図を見る。
「あれ? AIサーバは?」
「まだマッチングエンジンが完成していないので用意していません」
「了解しました」
「有馬さん」
「はい」
田原はコンソールから雄一に視線を転じてこう言った。
「AIチームには気を付けたほうがいいですよ。現場にいないから遅れている原因も分からない。契約上進捗会議に来ないのは仕方ないにしても、進捗はマメに確認したほうがいい」
「分かりました。ありがとうございます」
「まぁ、開発中にエンジンの試作版が出来るかもしれないという話は聴いています。もし届いたらバッチサーバにでも共存させます」
ここまで気にかけてくれる田原に好印象を持った。
それまでは、進捗会議で野平部長に対して冷たく突き放した態度を取っていた彼に対して、内心では絡むのが嫌だった。
雄一は目の前の心強いメンバーに問い掛けた。
「じゃ、リアルとバッチチームに引き渡していいですか?」
この後、業務チームによるアプリのデプロイや環境設定がある。
「どうぞ」
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「PMなんて全然大したことないっすよ」
桜子に調子を訊かれた雄一は、ジョッキビールを飲み干しそう答えた。
本日3杯目にして心地よい酔いと共に気持ちも大きくなって来ていた。
「それは結構なことですこと」
桜子はジョッキに付いた霜を払いながらそう言った。
駅そばにある切手ビル10階のビアホール銀玉ライオン。
その窓際の席、そこで二人は向かい合っていた。
「しかし、安田さんの方から飲みに行こうなんてどういう風の吹き回しなんですか?」
帰り際に彼女からLINEメッセージが届いて、急遽会うことになった。
「急に誘ってくるなんて、まるで恋人同士みたいじゃないですか」
と、雄一は照れ臭く思いながら桜子の顔をチラ見した。
酔いか照れか分からないが、多少頬を朱に染めている。
彼女はグラスを傾け、一息つくとこう言った。
「私、代行で会社を辞めたの。今日はその報告」
「ええっ!?」
雄一は絶句した。
一瞬で酔いも勘違いも覚めた。
「なっ......何で俺に相談も無く辞めたんですかっ!? 一緒にこの業界を変えてやろうって誓い合った仲じゃないかっ! ......俺の、俺の気持ちは」
「分かったから、落ち着いて。話を聞いて」
「これが落ち着けるかよ!」
ドンッと拳でテーブルを叩いた。
周りの客が一斉に振り向く。
「そうか、藤澤の影響だな。それで代行使って辞めたんですよね。本当は前々から俺と働くのが嫌だったんでしょう?」
怒り心頭の雄一を、桜子はなだめるようにこう言った。
「じゃ、何で私は今、君と会ってるのよ?」
会社の人と会いたくないから代行で辞める。
「そっか......」
桜子の行動は雄一にとって矛盾していた。
「えっとね......」
首を傾げる雄一に、桜子は話した。
ログアウト社を使って、わざとステイヤーシステムを代行退職したことを。
「何でそんなことを?」
「藤澤君を取り戻すためよ」
「え?」
雄一の頭の中にかつて総務として活躍していた頃の桜子の姿が甦った。
極悪非道の派遣先から不払いの残業代を取り返して来たあの時の姿。
半グレ集団から多額の貸し金を取り返して来たあの時の姿。
「君も藤澤君が戻って来てくれた方が、仕事し易いでしょ」
「は、はい。助かります」
結局、三浦部長が調整すると言ってくれたベテランメンバーは都合がつかないようだ。
相変わらずデータ移行チームは雄一と桂子だけだった。
チームとしてはスケジュールにまだ余裕があるものの、雄一がプロジェクトマネージャーを兼務するようになったのでその余裕もいずれ無くなるだろう。
何より、自分勝手かもしれないが雄一は藤澤ともう一度やり直したかった。
「福島課長の方も丁度いい人が見つからないみたい」
この人手不足の時代、ニーズに合う人材がすぐ見つかることなど期待出来ない。
「私は藤澤君がログアウトに食い物にされてるように思うの」
「どういうことですか?」
「あの松永っていう男の行動が怪しいのよ」
「怪しいって?」
「だいたい代行なんて電話一本で依頼者の意思を伝えればいいのに、あの男はわざわざうちに出向いて藤澤君の意思を伝えに来たわ」
「それが怪しいんですか?」
チーズダッカルビが二人の間で湯気を立てている。
だが、それに手を付けることも無く会話を続けた。
「有馬君、会社に行かず、上司にも会わずに会社を辞める方法って代行以外にもあるって知ってた?」
「え? そうなんですか!?」
桜子はフーッと溜息をつき「あんまり教えたくないけど」と付け加え、こう続けた。
「内容証明で退職届を送るだけで辞められるの」
「内容証明......って?」
「そっから説明しなきゃいけないのね。分かったわ。内容証明っていうのは郵便局が「誰が」「誰に」「いつ」「どんな郵便」を送ったのかを証明してくれるの」
「それだけで辞められるんですか?」
「うん。会社に郵便が届いた時点で受理したってことになるから」
「便利っすね」
関心する雄一に桜子の冷ややかな視線が注がれた。
「あんた、会社辞める時、そんな不義理な方法だけはやめてね」
「な......何言ってんすか! 俺は辞めないっすよ。万が一辞めるとしてもそんな手は使わないです」
雄一は激しく首を振りながら否定した。
「うむ。よろしい。で、このやり方は会社が退職届を受理してくれないようなどうしようもない時に使う最終手段だからね。円満退社を望むなら絶対に行わないこと。あと送りっぱなしだから細かい交渉事は出来ないからね。有休消化とか退職金の交渉とか」
「はい」
頷き、ダッカルビに手を付けようとした時、考えがある点に行き着いた。
「......ってことは、そもそも代行業者なんていらないんじゃないですか!」
「そうよ」
「あいつら......無知な人間から高い金取ってアコギなやつらですね」
「まぁ、会社を辞めたくてどうしようもない人って藁にも縋る思いだからね。尻に火が付いて目の前の事しか見えてないだろうし。それに自分で郵便を送るよりも誰かに依頼して全部やってもらう方が気も楽なんでしょう」
確かに藤澤みたいな新人は辞めると決めてその準備をする中で、かなりストレスを感じたことだろう。
相談相手だって欲しかったに違いない。
そこでネットを彷徨ううちにログアウトと出会った訳だ。
「代行業者である松永はなんで、うちを訪れたんでしょうか?」
藤澤の代わりに退職届を内容証明で送ればそれで終わりだ。
何故、わざわざ出向いて交渉するという手間の掛かるようなことをしたのか?
桜子の怪しいという思いに、雄一も着地した。
「ログアウトは他の代行業者と決定的な違いがあるのよ。その違いが松永の行動の裏付けになってる」
「それって......?」
桜子は人差し指を立ててこう言った。
「一つ、退職希望者と直に会って相談に乗る」
退職希望者と会話することで信頼関係を築くのが目的だ。
次に、桜子は中指を立ててこう言った。
「二つ、相手先で有休消化や退職金などの交渉まで行う」
出向くのはそういった理由からだ。
「正直、ログアウトがここまでやる理由はまだ私には分からない。安易に交渉をするっていうのは奴らにとってもリスクだから」
「リスク......ですか?」
そして「三っつ」そう言って薬指を立てる。
「転職先の紹介」
他社ではそこまでしない。
これら全て、桜子が自身の立場を変えてまで潜入取材して分かったことだ。
「何でそんな手間の掛かることを?」
雄一は目をしばたたかせて、分からないといったことをアピールした。
「奴らは、それらを全て有料で行ってる。弱者から搾り取るために」
つづく つづく ※↓続きは以下で。
コメント
桜子さんが一番
いいなー、桜子さんから誘われる有馬君w
VBA使い
合意した内容なのだから「と」思い深く突っ込むのは
冷気に体「を」包まれた。
転職先に紹介される会社、せっかくスーパーエンジニアが来てくれるとこやったのに、実はスパイだった、なんてかわいそう。。。
あ、でも、湯二さんの小説のことだから、紹介先も良からぬ会社で、ギャフンと言わせて帰って来るんやろうなぁ(笑)
foo
>「内容証明で退職届を送るだけで辞められるの」
懐かしいねえ。俺も2年ほど前、会社側が作った契約書の内容を、会社自らが破っていくロックンロールスタイルにブチキレて、内容証明郵便での退職届を、最後の切り札として切らせてもらったっけか。
>「二つ、相手先で有休消化や退職金などの交渉まで行う」
交渉まで代行するとか、やっぱり非弁行為じゃないか(憤慨)
湯二
桜子さんが一番さん。
コメントありがとうございます。
私も頭の中で桜子と飲むので、一番さんも脳内でお願いします。
湯二
VBA使いさん。
いつも校正ありがとうございます。
修正しました。
>紹介先も良からぬ会社
まさにその通り、というかそうしないと面白くない。
ヒロインがあまりにできすぎ君になると、ピンチの場面を考えるって難しいですね。
パソコンの前で考えてます。
湯二
fooさん。
コメントありがとうございます。
>会社自らが破っていくロックンロールスタイル
これぞ事実は小説より奇なり。ですね。
>内容証明郵便での退職届を、最後の切り札
実際にやっておられる方がいるとは、私が知らないだけで意外に多いのでしょうか。
多いとそれはそれで雇う側にも問題があるのかもしれませぬ。
>非弁行為
弁護士バッチのない人間が、弁護士の業務を行うことを非弁という。
ほんと、最近知りました。