【小説 しょっぱいマネージャー】第四話 信じてるって言ってたよ
桜子がログアウト社で退職代行の準備を進めている頃、雄一はいつものように職場にいた。
自席の端末に向かい、グループウエアを起動しメールを確認していた。
各チームと野平部長のやり取りが何通かある。
それも昨日の午前中で途切れていた。
なぜなら、野平部長は昨日の午後から入院してしまったからだ。
進捗会議で責め立てられた傷だらけのプロジェクトマネージャーは、事切れるように卓の上に突っ伏した。
一度は息を吹き返すものの再び意識を失い、その後、救急車で搬送された。
(どうなるんだこれから)
雄一は目の前で組んだ両手に額を乗せ、ため息をついた。
「どうしたんですか?」
隣に座る桂子が心配そうに声を掛けて来た。
「野平部長、大丈夫かな」
「そうですね。こうなってしまっては戻ってくるのは難しいんじゃないんですか」
「大川さん。結構、ドライですね」
「まあ......そんなつもりはないんですけど。野平部長って50代ですよね。バブル世代だと思うんですよ」
「そうなるんですかね」
藤澤の件があってから世代というものが気になっていた。
3、4歳差があるだけで、退職一つとってみてもこれだけ常識に差があるとは驚きだった。
「あの人たちの時代って簡単に就職出来たでしょ」
「そうですね」
「だから、出来ない人も大勢いるんです」
「なるほど」
「私から見るとあの世代って出来る人と出来ない人にハッキリ分かれてるんです」
桂子の言いたいことが分かった。
野平部長はバブルのお陰で簡単に就職出来て、ぬくぬく育って年功序列で出世した。
その結果、今苦労しているのだろう。
「そんな奴らのツケを今私たちは払わされてるんですよ」
桂子は長い黒髪に覆われた白くて綺麗な顔を歪めた。
彼女は年齢からすると就職氷河期と呼ばれた世代だ。
バブルの恩恵を受けることも無く、就職難というババをひかされた悲しい世代だった。
それを裏付けるかのように彼女は派遣社員としてしか仕事したことが無かった。
データ移行チームの作業では、本人のスキルを鑑みて補助的な役割を与えられている。
「ところで、藤澤さんは?」
一しきり愚痴った桂子は辺りを見渡した。
「あいつは......」
そう言い掛けた時、谷中に声を掛けられた。
「有馬さん、顧客の担当者が呼んでますよ」
「顧客?」
「シーバード社の三浦部長」
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「よぉ」
会議室に行くと福島課長がいた。
その向かいには、飲み会で何回か見掛けた男が座っている。
「いつもお世話になっております。シーバードの三浦です」
名刺を渡された。
そこには
シーバード株式会社 マリッジ事業部 部長 三浦紘二
と書かれていた。
「こちらこそ、お世話になっています」
雄一も一礼し、名刺を差し出す。
顧客の部長が自分のような一リーダーに一体何の用なのだろう。
「有馬、三浦さんからお前に話があるそうだ」
「は、はい」
福島課長にそう言われ、思わず身構える。
顧客、上司、この場に自分にとってのキーマンが二人もいる。
これは絶対何かある。
三浦部長は6月の熱い中、群青色の細身のスーツ。
その内側にベストを着こんでいる。
組んだ足は長く、細面にキチンと櫛の通った七三分け。
雄一が見て来た管理職たちとは一線を画すスタイルの良さだ。
「うちの野平が色々とご迷惑をおかけしました」
「え? 野平部長ってシーバードの社員だったんですか?」
三浦部長は頷いた。
声の感じから40代後半くらいか。
「彼は今回のプロジェクトのために、シーバードの子会社サガス・インフォメーションへ出向させました」
野平部長にそんな過去があったとは。
三浦部長は続けた。
「彼の前任のPMがGW前にある事情で外れることになったんです。そこですぐに後任が必要になったんです。そこで、まあ......PM未経験だったのですが業務のことが多少分かる野平を出向させプロジェクトの管理をやってもらうことにしました」
雄一が来た時から既に野平部長がプロジェクトマネージャーだった。
雄一はてっきりプロジェクト開始から野平部長が管理をしていたと思っていた。
今年の1月から始まったというこのプロジェクトは要件定義と設計を終えこれから開発に入る。
そう考えると、要件定義と設計はオンスケでここまで来ていたのだ。
それは野平部長の前任あたるプロジェクトマネージャーが有能だったのだろう。
その人間が突然辞めた。
引継ぎも無し、管理のことも分からず出向させられた野平部長にとっては、始めからプロマネなど無理な話だったのだ。
「野平は引き揚げさせることにしました」
「え!?」
会議室で卓の上に突っ伏した野平部長。
あれが雄一における野平部長の最後の姿になるとは。
「残念ながら彼は白旗を上げてしまった。戦闘不能な者に食わせるほどうちは裕福じゃない」
表情一つ変えず三浦部長は言ってのけた。
この後の野平部長の待遇は推して知るべしであった。
「この人手不足の時代に、我が社にもサガス・インフォメーションにもPM候補はいません」
「そうなんですか......」
雄一は三浦部長の意図が分からなかった。
こんな話を自分にして一体何のつもりだろうか。
プロジェクトマネージャーのいないプロジェクトだけど、よろしく。
とでも伝えたいのか。
「今回のプロジェクトはだいぶ癖のあるメンバーが集まっていると聴きました」
三浦部長は体制表を見ながらそう言った。
顧客を頂点に、その直下にサガス・インフォメーションがいる。
そのサガス・インフォメーションが仕事を各社に外注し各チーム分けをして取りまとめる形になっている。
「福島課長に聴いたんですが、有馬さんはかなり優秀だそうですね。ステイヤーシステムさんの希望の星だとか。何でも前回の仕事では形勢不利なコンペで受注を勝ち取ったそうじゃないですか」
「いえいえ、そんなことは」
三浦部長に褒められていい気になった雄一はチラッと福島課長の方を向いた。
福島課長は目を閉じたまま何も応えなかった。
雄一は何だか嫌な予感がして来た。
「そんな有馬さんにお願いがあるんです」
上げて上げて、その先で何かある。
いつもそうだ。
「あなたにPMをやって頂きたい」
「ええっ!?」
「有馬さんしかいない」
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雄一の頭の中に昨日の進捗会議でのやり取りが思い起こされた。
リアル系チームのゴツイ池江が野平部長を責め立てていた。
インフラチームの田原がそれを冷ややかに見ていた。
そして、正体が分からないAI担当のシロッコという会社。
(とても無理だ......)
彼らの顔を思い浮かべただけで気が滅入って来る。
唯一の救いはバッチチームの谷中くらいだが、その彼とも特別仲が良いわけでもない。
三浦部長の誘いに即答出来なかった雄一の代わりに、一日以内に返事を出すと福島課長は言った。
「有馬よぉ......」
考え込む雄一に福島課長が声を掛けて来た。
二人は職場近くのコメダワラ珈琲店で向かい合っていた。
三浦部長とのやり取りの後、福島課長の誘いでここに来た。
「ブレンドコーヒーでございます」
豆菓子と共にコーヒーが運ばれて来た。
福島課長は珈琲を一口啜るとこう言った。
「決めるのはお前だ」
雄一は何も応えなかった。
決めるも何も、答えは一つだった。
だが、それを言ってしまっていいのだろうかという迷いもあった。
せっかくのチャンスを前にして戦う前から逃げようとする自分は、正しいのだろうかという迷いだ。
「お前は今、こう考えてるんだろ? 自分には無理だってな」
何も言えなかった。
「俺も初めてのPMの時は苦労したぜ。丁度、前の会社でお前の年位の時だった」
「え? 福島課長って最初からうちの会社じゃなかったんですか?」
「おお。結構大企業に勤めてたんだぞ。まあ、東海社長の口説きに負けてこんな零細企業に入っちまったがな。嫁には怒られた」
「へぇ......」
「まあ、今はその話は置いといて。PMっていうのは、それまでの担当者やリーダーとは違う難しさがあったのは確かだ。それはプロジェクトに関わる全てのメンバーの面倒を見なけりゃならないからだ」
福島課長はクリームをコーヒーに入れ掻き混ぜながら、続けた。
「そりゃそうだ。担当者の頃なら自分に与えられたものを開発すればいい。リーダーなら自分のチームのためだけに戦えばいい。だが、PMはお客さん、各チームのリーダー、末端の担当者のことまで考えて動かなければならない。プロジェクトを成功に導くために。自分のプライドを捨ててでもな」
いつの間にか、雄一は福島課長の話に聴き入っていた。
「コーヒー冷めるぞ」
そう言われて我に返った。
「皆には沢山の苦労を掛けたし、スケジュールも遅れた。終いには赤字にもなった。だが、プロジェクトがカットオーバーし無事にシステムが稼働した日、俺はそれまでの仕事以上の達成感を感じたのは事実だ」
「課長......」
雄一は目の前の男を憧れの眼差しで見ていた。
福島課長は右手でピースを作り、雄一の目の前に差し出した。
「有馬。エンジニアには大きく分けて二つの道がある」
「それは......」
「技術を極めるか、管理を極めるか、のどちらかだ」
お前はどちらなんだと選択を迫られているような気がした。
「俺は......」
「エンジニアっていうのはな、この二つのどちらに進むか選択しないといけない時期が必ず来る。お前にとってはそれが今なのかもしれぬ」
「俺はそんなこと考えたことも無かったです」
「俺もお前の年でそんなこと考えてなかった。だが、必要に迫られてどちらかを選んだ」
管理者と答えれば自分はプロジェクトマネージャーになるのだろう。
まだ迷っている雄一は口を開くことが出来なかった。
「聞いた話によると、お前は安田にこう言ったそうじゃないか」
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「俺が府中屋の案件を勝ち取ります。そしたら安田さんにデータベースエンジニアとして活躍してもらいます。そのために俺はどんなことでもする。DFプロジェクトの時みたいに無念な思いはさせない。だから、俺に力を貸してください!」
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「まぁ、結局府中屋の件は失注した。が、もしあのまま受注されていれば、お前はPMという立場になっていただろう。そしてその言葉通り安田を技術者として使ってプロジェクトを回す立場になっていたはずだ」
「そ、そうですね」
自分がかつて発した言葉と、怖気づいた今の自分、その板挟みになっているせいで迷いが湧いて来てるのだと分かった。
「この前、安田にこの質問をした時、あいつは技術を極めると言っていた」
雄一の顔を見て、「ふふっ」と福島課長は悪戯っぽく笑った。
「あいつは総務という管理職でこの業界を生きると決めていたのにな。その思いを覆したのは誰だろうな。有馬君」
雄一は迷いを断ち切る様にコーヒーを一気に飲み干した。
「ああ見えて、あいつはお前を信頼してるんだよ。だから、お前は遅かれ早かれ......」
「分かりました」
もう、笑うしかなかった。
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ステイヤーシステムに戻った桜子は、福島課長が帰るのを待っていた。
それにしても普段常駐先にいるので、たまに自社に戻ってもやることが無くて手持無沙汰だ。
「安田さん」
総務の富士子に声を掛けられる。
「はい」
「藤澤君から預かっていた年金手帳やらの書類、送付しておきました」
「ありがとうございます」
これで藤澤はもうステイヤーシステムの社員じゃなくなった。
だが、それは一時の事だと桜子は思った。
ログアウト社に一泡吹かせて連れ戻して見せる。
「お疲れ」
富士子と雑談していると、福島課長が戻って来た。
「課長」
「安田」
桜子と福島課長は同時に口を開いた。
「お前から、いいぞ」
福島課長に促され、桜子は再び口を開いた。
「ログアウト社で退職代行の打ち合わせをして来ました」
「どうだった?」
「まぁ思った通りでした。退職が有利になる様なエピソードの捏造。この辺りで同社がかなりの闇だということも分かりました。そして」
「そして?」
「辞めた後のケアとして転職の斡旋もしているようですね」
「どうぞ」
応接セットで向かい合う二人に、富士子がお茶を持って来た。
「明日、ログアウト社の松永が課長を訪ねて来ます。よろしくお願いしますね」
「分かった」
二人はお茶を啜った。
「有馬の事だが」
福島課長がおもむろに語りだした。
「あいつ、散々迷ってたけどPMをやるって決心したよ」
「ほほう」
「ほほうってお前の描いた台本通りにしたから、そうなったんだけどな」
「私は彼の言葉を信じていますからね」
「上手いこと言ってあいつを操ってんじゃないよ」
福島課長がニヤリと笑うと、桜子はつられて笑い、
「私が伸び伸び技術をやるために、彼には管理を覚えてもらわないとね」
つづく
コメント
VBA使い
技術を極める、はよく聞きますが、管理を極める、も確かにありですね。
スーパーエンジニア桜子に憧れてきた有馬君だが、このまま管理の道へ進むのか!?
湯二
VBA使いさん。
コメントありがとうございます。
自分の周りの話を聞いてると、エンジニアとして技術で行くのか管理で行くのか選ばせることが多いようです。
皆、管理よりもやっぱりエンジニアとして技術をやりたいっていう人が多い。
でも会社の意向でマネージャー職を苦労してやってる人が多いようです。
主人公なので、一応何でもやらせてみようと思ってます。
foo
>「辞めた後のケアとして転職の斡旋もしているようですね」
なるほど、退職代行サービスに転職斡旋もセットにしたワンストップサービスか。今後退職代行業者が事業拡大すれば、転職エージェントの合弁事業で実際にそういうことをやりだす会社は出てくるかも? ……というリアリティのある話だな。
ただ、ログアウトや松永に限っては、ろくでもない絵を描いてるんだろうし、その分桜子主演の「必殺仕事人のラスト15分」なシーンが早くも待ち遠しい。
桜子さんが一番
私も初めてPMやった時の嫌な思い出がフラッシュバックしました・・・w
湯二
fooさん。
コメントありがとうございます。
色々想像していただきありがとうございます。
代行業者のことを調べていたら、こんなのいたら面白そうだと思って作りました。
お陰で、家のパソコンのブラウザは、代行の宣伝だらけです。
代行の方はえげつない話に持って行って、最後の方で本筋の方とリンクできたらいいなと思ってます。
湯二
桜子さんが一番さん。
コメントありがとうございます。
しんどい思いを思い出させてすいません。
PM。
色んな意見と話が、色んな人から飛んできて、しんどそうです、端で見てて。