【小説 スーパー総務・桜子】第三話 私に相談してね!
プロジェクトルームに戻ると、石野課長が手招きしている。
「有馬君、ちょっと会議室まで来てくれ」
先程の進捗会にて色々ともめた挙句、個別に話そうと提案されていた。
そのために呼んでいるのか。
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会議室に入ると既に根岸が着座していた。
彼は何かの用紙を拡げてそれを見ている。
「進捗会では色々と発言有難う」
石野課長のその言葉に雄一は皮肉を感じた。
「まぁ、君の発言も一理ある。良い人材というか、作業に合った人材を採用したくて少々手荒いやり方になってしまったのは謝る。だけど我々も限られた予算と時間の中で採用活動をしなきゃいけないということはちょっと理解しておいてほしいんだよ。元請けの目黒ソフトウエア工業の意向でもあるしね」
何だか奥歯にものが挟まったような物言いだ。
「自分たちに責任ありません」といった態を見せ、どうすることも出来ないことをアピールしているのか、それもと雄一を懐柔しようとしているのか、どちらにしても先程の態度から大幅に一変しているので気味が悪い。
「ただ、君の言った『物みたいに扱うなって』いうあの言葉。あれが心に響いて私たちも考えを改めたんだよ」
そう言うと、根岸の方を向いた。
彼は手元にあるA3用紙を雄一の前に差し出した。
それはスケジュール表だった。
「これって......」
各画面とその担当者が記載され、開始完了の予定と実績が記載されている。
雄一が驚いたのは、自分と由紀乃の担当分が一緒くたにされているということだ。
「説明します。有馬さんが担当している20画面と、川崎さんが担当している20画面を合わせて40画面。これを二人で共同で担当してもらいます」
「え?」
根岸の後を継いで石野課長が続けた。
「本当なら川崎さんはお役御免だったんだが、君の情熱を感じたからこの際、彼女のことを任せてみようと思ったんだ」
雄一はスケジュール表から顔を上げた。
石野課長と目が合う。
「つまり彼女が出来ないことを君がカバーする。分からないことは君が教える。まあ言ってしまえば君の下に彼女を付けた感じだ。リーダーってことだね。彼女にも了解を取ってある」
リーダー何てやったことも無いし、いきなりこんな話を振られて動揺していた。
「何だか心配そうだな。けど川崎さんの完了分が4画面。君の完了分が14画面。合わせると18画面完了。二人で担当している画面が40画面だからほぼ半分が終わったことになる。今日12月2日の時点で多少の遅れはあるがほぼオンスケに近い状態だ」
物量的なことを説明されると少し安心した。
「それに彼女だって無能じゃない。ITの仕事はコツを掴めば短期間で飛躍的に伸びることだってある。それこそ後半は彼女の方が君の方をフォローするんじゃないのかな?」
「だろ?」と石野課長は根岸の方を向いて同意を求めた。
根岸は特に何も言わなかった。
雄一はニヤニヤ笑いながら喋る石野課長を若干気味が悪いと感じはしたが、徐々に楽観的な気分になって来た。
何より、由紀乃と共同で仕事が出来る。
そいういうことを通して、いずれは彼女とは店を通さずにプライベートな関係に発展するチャンスも増える。
そんな下心が推進力のように働き、この提案に対して俄然やる気が湧いて来た。
「兎に角、お互い協力して12月末までに40画面の単体テストを終わらせてくれればそれでいいよ。どっちがどれくらい分担しようが、内訳は問わない。要は君たちはチームってわけだ」
気が付けば雄一は、あれ程目の敵にしていた石野課長に心の中で賞賛を送っていた。
「どうだい?」
「やります!」
雄一は二つ返事で応えた。
「じゃ、この話は一旦終わりだ。次に......根岸、お前から何かあるんだろ?」
石野課長が促すと、根岸がA4用紙を取り出した。
そこには雄一が担当している画面の名称が記載されていた。
名称の横に『×』が記載されている。
根岸は用紙を指差しながらこう言った。
「有馬さんが我々に確認依頼を出していた単体テストのエビデンスなんですが......」
「はい」
「全てやり直しです」
「やり直し......」
雄一が紙に目を落としたまま唖然として何も言えないでいると、石野課長がこう言った。
「あ、そっか! 最初にそれ言うの忘れてた!」
と、今思い出したかのような白々しい演技をした。
「君のテストのやり方には根本的な誤りがある。こんなんじゃテストしたと言えん」
「何言ってんですか! ちゃんとテスト仕様書も作ったしそれにのっとってテストした。それにエビデンスも取りました」
「それは当たり前の事だ。問題はテストデータだ」
「テストデータ?」
「私が説明します」
根岸がはそう言うと、ホワイトボードにSQL文を書き始めた。
「例えば SELECT * FROM AAA WHERE XXX='1'というSQLのテストをする場合、有馬さんはどんなテストデータを作りますか?」
「えっと」
突然の出題だが、簡単な問題なのですぐに答えが出た。
「AAAテーブルのXXX列に'1'というデータを作ります」
「そうですか。本当にそれだけでいいですか?」
「それだけも何も、SELECT文の条件が「XXX='1'」なんだからそれでいいですよね」
しばらく沈黙が続いた。
「1というデータだけでは不十分です。1以外のデータも作ってテストしなければ」
「え?」
「テストしたいのはWHERE句の「XXX='1'」です。だったら1以外のデータを用意して、それが検索されてこないことも確認する必要があります」
「は、はぁ......」
今一ピンと来ていない雄一に感づいたのか、根岸は続けて説明しようとした。
「根岸、もういい」
「いや、もう少し掘り下げて説明しましょう。分かってもらわないとまた同じことの繰り返しで、それが我々の首を絞めることになる」
「甘いなお前」
石野課長は黙り、腕を組んだ。
「私たちがやっているのは単体テストで言うところのホワイトボックステストというやつです。それを行うにあたり、判定条件網羅という方法に沿ってテストデータを用意してほしいわけです。つまり、SQL内の条件判定において、真偽両方を少なくとも一度は実行するようにデータを作成してほしい。例えば......」
といって、ホワイトボードに図を描き出した。
「このSQLをプログラム風に書くとこんな感じです。XXXが1だったら該当レコードデータを取得する。1以外であれば何も取得しない。つまり判定条件を網羅しつつその先の処理が通ることを同時に確認したいわけです。こう考えると少なくとも二つデータが必要だということが分かりますよね」
「......確かに、そうですね......」
合点のいった雄一を見て、根岸は小さくうなずいた。
「それにXXX列がnullを許す項目だったらnullのデータも用意してテストする必要があります」
こうやって丁寧に一通り説明を受けると理解出来た。
「君、こういうの会社でやらなかったの」
石野課長が呆れた顔をして訊ねた。
「いえ......、入社以来自社でずっと先輩社員の手伝いというか、そんなのばっかりしてまして」
と、照れ臭そうに頭を掻いた。
事実、雄一はOJTにおいて仕事らしい仕事はしてこなかった。
それは、雄一を担当した先輩社員が一人で何でも出来るタイプな人間の上に、人に物を教えることに興味を感じないある意味職人風情だったというのもある。
スキル的にはステイヤーシステムにとってもったいないくらいの人物であった。
その者が一人で担当するプロジェクトに雄一はOJTとして配属された。
優れたスキルを持っている者が良いトレーナーになるとは限らないということを体現するかのようなその人物は、雄一に最低限の事だけを教えると後は放置プレイだった。
雄一など眼中にないかのように好きなように仕事を進めて行った。
そのせいで雄一は毎日暇を持て余していた。
たまに依頼される仕事は、ソースコードの印刷や長時間掛かるデータ投入の監視など誰でも出来るものばかりだった。
なのでその間に曲の作成やドラムの練習といった内職に勤しんでいた。
そうこうしている内に、その優れた人物は他社から引き抜かれ、受け持っているプロジェクトごと移籍した。
そのため、雄一は社内で一人無職の状態で取り残された。
零細企業のステイヤーシステムでは社員一人でも遊ばせて置く余裕はない。
この半年くらいで特に秀でた知識も技術も体得出来なかった雄一でも「行ってこい」の態でここに派遣されたのである。
「まぁ、そういうことだから、全部やり直しね」
「そ、そんな......」
また同じことをするということの大変さ、さらにSQLを解析してテストデータを作ることのしんどさを思い起こし、ため息が出た。
だが、それよりももっと恐ろしいことに思い至り悪寒が走った。
雄一は由紀乃と共同体制を取るということに同意してしまった。
それは、自分と彼女の完了分を足してほぼオンスケだから引き受けたのだ。
自分の分が全て差し戻しとなった今、その物量は由紀乃の完了分4画面を差し引いた36画面。
「あ、あの......さっきの話なんですけど」
「ん?」
「やっぱり、自分の分と川崎さんの分を......」
「それを言ったら彼女に幻滅されるよ」
石野課長がいやらしい笑いを浮かべた。
「い、いや、それにしたって先にこのやり直しの話をしてくれれば、川崎さんとの話は考えましたよ」
「甘いこと言うんじゃないよ。私はあなたの抗議を聴いたうえでこの人員配置にしたんだよ。派遣の意見を取り入れるなんて私たちもリスクではあるんだ。そこを受け入れたうえで君に任せてるんだ! 上にもリカバリー策として同意を取ってある。これで進めるしかないんだよ」
石野課長は意地悪く退路を断とうとしている。
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「ちょっと、どうしたの? すっごい顔色悪いよ」
桜子にそう言われた雄一は、窓に映った自分の顔を見た。
頬がこけ、目の下にクマが出来ている。
二人はプロジェクトが入居しているビルの一階エントランスロビーで向かい合っていた。
「仕事が大変なの?」
「は、はぁ、まあ......」
安田桜子は白いブラウスにチャコールグレーのベストとタイトスカートという制服姿でやって来た。
月に一度、忙しい社長の代わりに社員の様子見を兼ねて、こうして給与明細を手渡しに行っている。
心配そうに問い掛ける桜子に雄一はひきつった笑顔を浮かべている。
「悩みがあるんだったら何でも言ってね」
「優しいっすね......」
「そりゃそうよ。皆が気持ちよく仕事するためのサポートをする、それが総務の役目なんだから!」
胸を張ってそう言う桜子がちょっと頼もしく見え、雄一は相談してみようかと思ったが、やめた。
技術者でもない彼女に自分の悩みを打ち明けたとて、気休めの言葉しか掛けられないことは目に見えていた。
何より、相談するなら上司である福島課長に直接行った方が、的確なアドバイスや派遣先への調整も行ってもらえそうだ。
それに、男である自分が女に泣きつくなんて、それはもうどうにもならないどん詰まりの時に限るし、今はまだそこまでの状態では無いと思っている。
「すいません、時間が無いんで戻ります」
「うん、分かった。なんかあったらいつでも連絡してね」
無言で頷き、エレベーターに乗った。
「明日はちゃんと健康診断行くのよ!」
つづく
コメント
匿名
> 「明日はちゃんと健康診断行くのよ!」
奇遇ですね、僕も明日健康診断なんですよー
VBA使い
出ました! 恒例の追い詰められモード!!
Null、ついついテストから抜けてしまうんですよね(特に外部結合を使って、クエリの途中から発生するパターン)
湯二
匿名さん、コメントありがとうございます。
丁度良かったですね。
「明日のために早く寝ること!」
そんなセリフが聴こえて来そうです。
良い結果が出るといいですね。
湯二
VBA使いさん。
>出ました! 恒例の追い詰められモード!!
やっぱ主人公がピンチにならないと面白くないっしょ!
>Null、ついついテストから抜けてしまうんですよね(特に外部結合を使って、クエリの途中から発生するパターン)
SQLあるあるですな。
結合先のテーブルがnullだったりする場合有りますもんね。
間違いが無いと思ったら、自分で読み返して発見しました。
謝)合点の言った
正)合点のいった