【小説 スーパー総務・桜子】第二話 俺たちは物じゃねぇ!
雄一は鳴尾と別れた後、駅には向かわず繁華街へと向かった。
言い寄って来る客引きを無視し先を急ぐ。
目的地は由紀乃のいるキャバクラ『エガオヲミセテ』だ。
「いらっしゃいませ」
ボーイに案内され、黒い革張りのソファにドカッと座る。
ふかふかで座り心地がいい。
「有馬さん......。今日も来てくれてありがとう」
胸のあいた白いシルクのドレスをまとった由紀乃が手を振りながら現れた。
「や、やあ」
昼間、職場で観賞するのとは大違いだ。
日の当たる場所にいる時の彼女は元気で可愛い女の子といった感じだ。
だが今、目の前にいるのは、暗めの照明に照らされた妖艶で綺麗な大人の女だ。
そんな由紀乃が雄一の横に座った。
すぐに身を摺り寄せて来た。
ドレスから剥き出しの二の腕が、雄一のYシャツの二の腕にピッタリと引っ付いた。
職場にいる時とは大違いの接触度合だ。
お互いの吐息が降りかかるくらいの近さである。
「何飲む?」
「うーん......ビール」
一時間座っているだけで一万円も取られる上に、一杯いくらするか分からないビールまで頼む。
由紀乃は由紀乃で、これまた一杯いくらするか分からないワインを頼んだ。
職場で会話する時はタダなのに、ここでは指名料という名目で更に二千円取られる。
新人雄一の安月給でこの出費は非常に痛い。
だが、今はあえて金のことは考えないようにした。
これだけつぎ込んだ今、楽しまなければ損だ。
この後、散財に後悔することになるのは分かり切っていたが、もう自分を止めることが出来なかった。
「ねぇ、有馬さん。仕事の話していい?」
「ん、おお。何?」
「昼間言ってた、手伝ってやるって話、覚えてる?」
「あ、ああ......」
今日ドリンクコーナーで由紀乃と雑談してた時のことを思い出した。
「あの話、本気にしていい?」
そう言いながら、膝に置かれた雄一の手に自分の手を重ねて来た。
あたたかくて柔らかい掌の感触が伝わると、即時にこう答えた。
「おう」
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次の日、職場。
「進捗報告会、始めます」
石野課長がプロジェクトメンバーに呼び掛けた。
週一回の進捗会である。
プロジェクトルームの隅にある円卓に石野課長を中心にぐるっとメンバーが着座する。
メンバーは全部で8人。
リーダーはサルノ・クリエイティブの石野課長。
サブリーダーに同社の根岸。
清潔感溢れるスッキリしたショートヘアで、鼻筋の通ったイケメンだ。
二十代後半と思しき彼は、最近、第一子が出来たという話を人づてに聞いた。
そして後は外注派遣の面々が続く。
昨日雄一と飲んだ鳴尾、その隣には園田と奈村。
この三人は8月から参画していて、今回単体テストの対象となっている画面のプログラミングを経験している。
それから最近抜けた佐々木の代わりとして入った立山。
そして、雄一、由紀乃。
「じゃ、鳴尾君から進捗を」
石野課長に促され、一人ずつ進捗を発表する。
「20画面中、10画面完了です。オンスケです」
鳴尾がそう答えると、石野課長は進捗管理表にそう記載した。
一人ずつ答えていく。
そして、雄一の番が来た。
「20画面中、14画面完了です。少し進んでます」
単体テスト工程は11月から始まった。
ノルマとして一人20画面割り当てられている。
完了期限は12月末まで。
画面によって難易度はあるが、平均すると1画面あたり2日でテストが完了する見積もりになっていた。
雄一は当初、慣れるのに時間が掛かり2日で終わらなかった。
だが、次第にスムーズに行けば1日でこなせるようになっていた。
1カ月の稼働日を20日と考えると、1画面のテストに2日掛かるとして、10画面終わっていればオンスケだ。
11月から参画している雄一が12月の初めで14画面完了しているということは、かなり前倒しということになる。
(こんだけ進んでたら、川崎さんを手伝ってやれる)
雄一は昨日の夜のことを思い出し、思わずほくそ笑んでしまった。
いいところを見せて、由紀乃をものに出来る......かもしれない。
「じゃ、次、川崎さん」
「あ、あの、えとぉ」
由紀乃が戸惑っている。
明らかに芳しくない進捗を報告をしたくないのだろう。
「何本終わって、何本手つかずなの?」
口ごもる由紀乃を責めるように石野課長は問いつめた。
「えと......4画面......」
「え?」
「4画面です」
遅れは明らかだった。
11月から参画して、20画面中4画面しか終わっていない。
相当な遅延である。
「先週から全然進んでないよね」
「は、はい......」
「巻き返せるって言ってたじゃん? どうしたの? 何か行き詰ってる?」
「そ、そのぉ、難しくて......テストデータを作るのが」
テスト対象となる画面はマスタメンテ系がほとんどだ。
データベースのテーブルに存在する項目と画面の表示項目が一対一で作られている。
画面は参照、登録、更新、削除と一通りの機能を備えているが、至極単純で経験者なら慣れれば容易い。
だが、それまでITというものを経験せずこの業界に入って来た由紀乃にとっては難しいようだ。
雄一も横で見ていて彼女が四苦八苦しているのは分かったが、ここまで遅れているとは思わなかった。
もじもじしながらも、彼女は上目遣いで石野課長を見た。
「な、なんだ? テストデータ作りの何が分かんないんだ?」
眉をへの字にし、瞳を潤ませた由紀乃に見つめられた石野課長は顔を赤らめた。
課長は少し動揺しているようだ。
無理もない、由紀乃は有名キャバクラ店のナンバー2だ。
こういった媚を売った表情などお手の物なのだった。
「SQL? っていうんですかね。あれがよく分からなくって......すいません」
「君、面談の時に出来るって言ってなかったっけ?」
「すいません......自社の人に『出来る』って言えって指示されたし、それに......私としては仕事して行くうちに覚えると思って」
「はぁ?」
由紀乃の発言に、先程までデレデレしていた石野課長は真顔になった。
「根岸、彼女と面談したのお前だっけ?」
根岸は頷いた。
そしてこう続けた。
「まぁ、川崎さんもSQLは組んだことないけど多少読めるって言ってたからテスターとしては問題無いと思って採用したんですがね。入ってから勉強しながら頑張るって言ってたし」
「お前、そんなんで決めんなよ」
「簡単に案件にピッタリの人なんてすぐ見つからないですよ。この人手不足の時代なら尚更......」
「けど、お前、とりあえず採ってみて、ちょっと使ってみるって、それでも結構コストが掛かるんだぜ」
雄一は「使ってみる」という言葉に少しカチンときた。
石野課長は由紀乃の方に向き直ると強めの口調でこう言った。
「いい? こっちは一人一人の実力に合わせて仕事を振っているわけよ? それが嘘だっていうんなら全体のスケジュールにも影響が出るわけ。分からないとか出来ないなら早くアラームをあげて欲しかったし、こっちとしては抱え込んでほしくないわけよ」
「は、はい」
「で、どうするの? この遅れだと今月末までに間に合わないけど。どうリカバリーするの?」
由紀乃は俯いてしまった。
両の拳を膝の上でキュッと握りしめ、唇を噛んだまま目を伏せている。
雄一は場違いだとは思いながらも、その様子が可愛いと思ってしまった。
「いやいや、黙るんじゃなくてさ。まぁ......あんまり好きじゃないけど深夜残業とか、土日も出てくれていいわけよ。こっちは。ま、遅れのリカバリーだから残業代は出せないけどね」
石野課長の問い詰め方は若干嗜虐的な色を帯びて来ていた。
怒る目的がすり替わっている。
リカバリー案を求めるのではなく、由紀乃が苦しむ姿を見たいだけではないかと思われた。
「案が出ないんだったら......ちょっとこの後、会議室来てくれる?」
「え? は、はい......」
この流れは彼女にとってお役御免を意味していた。
進捗会で進捗の遅れが認められ、代替案を出せなかった者は別室行きとなり、そこで最後通告。
その後、機械的に同じ派遣元またはそれと異なる会社から代替要員が連れて来られる。
「石野課長」
「あ?」
「採用したんだったら、それはもうあなたたちが面談において、彼女のその時の実力を認めたってことでしょ。だったら、最後まで面倒見るべきなんじゃないんですか?」
皆が発言の主である雄一の方を一斉に向いた。
雄一は一方的に由紀乃を責める石野課長に抗議したかった。
そして、彼がこういった発言をするのは今回が初めてでは無かった。
昨日の休憩の件など、その都度、不満や意見を述べて来た。
そんな雄一と石野課長は、その度にぶつかって来た。
「おい、おい、有馬君」
隣に座っている鳴尾が小さい声でたしなめるが、雄一は聞く耳を持たなかった。
「だいたい、川崎さんが出来ないで困ってたのは傍目から見て分かってたし、遅れてたのも先週の進捗会で分かってたじゃないですか? それを今日までほっといて、取り返しがつかない状態にしたのはあなた達ですよ」
と、石野課長と根岸の方に向かって言った。
続けてこう言った。
「つまり、川崎さんを切る理由を作りたかったんでしょ?」
「くっ......」
石野課長は図星のようだ。
求めるスキルにマッチングしない人材がここでは物のように捨てられる。
そして、新しい人材が連れて来られる。
正社員とは異なる派遣の悲しい運命ではある。
そして、人員の入れ替えの度にコストが発生する。
それを極力抑えるためには派遣元に責任を押し付けるのが一番だった。
求める業務内容をこなせない人員を寄越した派遣元を悪者にするために、石野課長は既成事実を作り、新しい人員を無償提供してもらっているのだ。
そのことに雄一は薄々感づいていた。
だから、由紀乃が切られると分かった今、ここで抗議すべきだと思ったのだった。
「こっちが何も言えない立場だからって、人を物みたいに扱うんじゃねぇ!」
皆の前で一喝された石野課長は顔を真っ赤にし、雄一を睨みつけた。
雄一としては、確かに由紀乃を思っての発言だったが、これは自分の問題でもある。
確かに言いすぎたかもしれないが、これくらいのことは言うべきだという思いが湧き上がって来た。
「とりあえず......」
根岸に声を掛けられた石野課長は、怒りを抑えたかのような低い声でこう言った。
「ここは進捗を確認する場でプロジェクトのやり方を議論する場ではありません。有馬君、不満があるのなら後で個別に話しましょう」
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「有馬さん、ありがとうございます。ちょっとスッキリしました」
「いやぁ、それほどでも」
「あの石野課長の悔しそうな顔ったら」
由紀乃にそう褒められると良い気分になった。
ドリンクコーナーで缶コーヒーを飲みながら、二人は向かい合って雑談していた。
元々彼女のために行ったことを、その当人から評価されたことで雄一は嬉しくなり有頂天になった。
「俺に任せといて下さいよ!」
「きゃあ! 有馬さん大好き!」
その言葉を本気に受け取っていいか迷ったが、一連の行動で好意を持たれたという確信はあったので素直に受け取っておいた。
「川崎さん、仕事落ち着いたら......映画でも......」
「ブルルル」
スマホが鳴りだした。
総務の安田桜子から電話だ。
この女はいつもいいところで邪魔をする。
<給与明細渡しに行くから。あと三十分くらいでそっちに着くわ>
「分かりました」
ぶっきらぼうに電話を切り、由紀乃の方に向き直る。
「彼女さん?」
「なわけ、ないっしょ」
雄一としては、ここは強調しておきたい。
「それにしても石野課長に呼ばれて何か話したんですか?」
「ん? ああ、仕事は大変なのかとか? 色々と」
「それだけ?」
「うん。とりあえず、頑張って続けてくれって。相談には乗るって」
「ほう」
あの石野課長がそんなことを言ったとは、さっきの進捗会からは想像出来ない。
雄一の発言が効いたのならそれはそれで良かったが、この態度の急変には何だか空恐ろしいものを感じた。
つづく
コメント
VBA使い
由紀乃が戸惑「い」っている。
採用面接、やったことあります。
業務で求められるスキルを、今持ってるかどうかは分かりやすいですが、
そうでない場合、教えたら育つかどうかを見極めるのは難しいですね。
湯二
VBA使いさん。
校正ありがとうございます。
>採用面接、やったことあります。
それは凄いですね。
私は受ける方ばかりですよ。
>業務で求められるスキルを、今持ってるかどうかは分かりやすいですが、
そうでない場合、教えたら育つかどうかを見極めるのは難しいですね。
とりあえず業務経歴書に書いてあることが本当かどうか質問するのがいいんでしょうね。
で、出来ないことは素直に告白したほうが良いと、、、
でも入社したての頃はハッタリで通せとか言われて、何も知らないから、出来るって言ってましたけど、やっぱ見抜かれてましたね。
教えたら育つかどうかも、本人にやる気があっても経験とか向き不向きもありますからね。
難しいですね。色々。