【小説 エンジニアの事故記録】第二話 3-4x
液晶テレビには、夏の甲子園出場をかけた県予選の決勝戦が放送されていた。
「江戸川個岩高校」と、小山と幸一郎の母校である「大都会西高校」の甲子園出場が決まるかどうかの大一番だった。
3-0で迎えた九回裏。
母校は3点リードされていた。
後攻の大都会西高校が攻撃で、二死満塁の状態だった。
ここでホームランが出れば逆転サヨナラになる。
「次は誰がヒットを打つかな」
「ヒットって......」
その表現が、野球部だった小山らしくて笑えた。
ヒットとは、二人が所属するプロジェクトのメンバーが起こす事故のことを指していた。
「一週間前は、田淵さんがヒットを打ったんだよ。確か、本番環境でファイルの権限を操作ミスで変えたとか......。幸い、すぐ気付いたから良かったけど」
それまでの緩んだ表情とはうって変わって真面目な顔つきで、小山は言った。
夜中に外部システムから転送されたCSVファイルを、データベースに取り込むバッチがある。
データベースサーバのOSはLinuxで、バッチはそこで動く。
転送されたCSVファイルは特定のディレクトリ「/gaibu_data」の配下に配置される。
仕様の変更で取り込むCSVファイルが一つ増えた。
取り込むCSVファイル名を設定ファイル「torikomi_settei.txt」に登録しているのだが、その設定ファイルに新しく取り込むCSVファイル名を追記しようとしたとき事故は起きた。
普段、torikomi_settei.txtには所有者、グループ、その他のユーザに対して読み込み権限しか与えられていない。
それを、編集するときは一時的に
「chmod 744 torikomi_settei.txt」
と、所有者に対してのみ書き込み権限を与えるコマンドを実行しtorikomi_settei.txtを書き込みOKにするのだが、どういう訳か、田淵はそこで手順を無視して以下の通り実行してしまった。
「chmod 744 *」
「それじゃ、カレントディレクトリにある関係ないファイルまで権限が変わってしまうよな」
幸一郎はそのことを小山から聞いた時、呆れた。
明らかに手順を無視した田淵が悪いと思った。
「そのまま気付かずにいて、ファイルの権限を考慮して動くバッチとかあったらヤバかったな」
「気付いたのって誰だっけ?」
「作業のチェッカーだった吉田課長が気付いたんだよ」
あまりに事故が続くので小山の提案により本番環境変更作業は、作業者、確認者の二名体制で行うことになった。
だが、新体制初日からこの失態である。
チェッカーならば作業者が手順書に無いことをしようとしたら止めるべきなのに、吉田課長のチェックは漫然としていたのかそのタイミングを逸していた。
田淵のミスに気付いた後、すぐにtorikomi_settei.txt以外のファイルを本来のアクセス権限に急いで戻した。
幸いお客のサービスに影響は無かったが、事故は事故である。
「うちのプロジェクトって、たるんでるのかな......」
銀鱈の身を箸でほぐし、それを熱々のご飯にのっけた幸一郎は、誰に問い掛けるでも無く言った。
それを聞いた小山が、食後のお茶を一口啜ってからこう言った。
「このプロジェクトは俺もお前も含め二年以上在籍しているメンバーがほとんどだろ? みんな自分がベテランだっていうおごりが、事故を多発させてるんだよ」
「ベテランだと、作業ミスが少なくなるような気がするけどな」
「甘い見方だな。吉田課長も朝会で言ってただろ。慣れたと思っても油断するなって。あの人もそこは自覚してるみたいだな。みんな慣れ切って油断してるんだよ。それだけ長く同じプロジェクトにいると、作業を回せるようになった分、怠惰になっていくところも出てくるんだよな。勘違いして、俺って仕事出来るじゃんって感じになってさ。
覚えてるからって手順を読み飛ばしたり、本来やらなきゃいけない手順を自己判断で冗長だからって省いたり。最近起きてる事故もそういう怠慢が原因から来る初歩的なのものが多いだろ?」
幸一郎は、なるほどと思い、大きくうなずいた。
「各作業だって、この人しか知らないって部分が多くなって、属人化が進んでいるのも問題だよ」
幸一郎は小山の分析について、もっともだと納得出来たし、さすが将来のリーダー候補だとも思った。
だが、ふと疑問に感じたことを問い掛けた。
「じゃあ、このプロジェクトはこのままずっとミスを犯し続けるのか? そういう訳には行かないだろ。未経験者を外から呼んできて入れ替えるしかないのか?」
小山は幸一郎の意見を黙って聞くと、こう言った。
「やはり、吉田課長がこういう状況になる前に手を打たなかったのが原因だと思うんだよ。あの人は、後、四、五年で定年だから、ヘタにメンバーと喧嘩してやりにくくなるのも嫌だし、小手先で何とかして、この場を切り抜けたいと思ってるんだよ」
また小山の吉田課長批判が始まったと内心思った。
朝会でも小山は吉田課長と対立していた。
若くやる気のある小山は、自分と考え方が違う上司とそりが合っていないようだ。
「未経験者で入れ替えても、その人たちが数年経てば慣れて今と同じ状況になるだろう。じゃあどうするかなんだけど、まず、観察して見ると一度ミスした人はもうミスしなくなってるんだよ」
確かに、初っ端にヒットを打った室井はその後、真面目すぎるくらい慎重に手順を踏むようになった。
ヒットを打った他のメンバーも事故を重く受け止めているようだ。
そのメンバー達の意見を参考に、小山はダブルチェックを取り入れることを吉田課長に提案した。
だが、課長は工数が二倍になるとその提案を却下した。
それでも小山は諦めることなく、その必要性を説いて本番作業では作業者、確認者の二名体制で作業にあたることを承認させた。
加えて、実績のある手順書で同じ内容だったとしても、当日の作業の流れでその手順が妥当かどうかを毎回レビューするようにもやり方を変えた。
小山が提案した一見時間が掛かって無駄と思われる作業も、行ってみることで多少の効果が出て来ていた。
確かに一度ミスした人間は、ミスを犯さなくなっていた。
彼に言わせると、緩みがちだったみんなの気持ちがこの事故の連鎖をきっかけに、プロジェクト発足当初の初々しいというか慎重だった頃に原点回帰しつつあるというのだった。
「そういう事を乗り越えて、しっかりしたチームになっていくんだと思うんだよ」
「それ自分で考えたのか?」
「ああ、上司が頼りないからな」
同い年でなかなか、色々と分析してるなあと幸一郎は感心した。
と同時に、自分との能力の差にちょっと嫉妬もしていた。
「お前がリーダーになったら、このプロジェクトもビシッと変わるかもな」
「褒めても何も出ないぞ」
幸一郎としては、出世に前向きで野心的な小山を褒めたつもりだった。
それが照れ臭いのか、彼はテレビの方を向いてしまった。
<打った! ホームラン!>
「やった!」
<3-4、大都会西高校優勝!>
母校が優勝したのをテレビで目の当たりにして、小山は喜んでいた。
小山が三年生の時、同じように県予選の決勝戦まで進みながらあと一歩で甲子園出場を逃していた。
それもあってか、喜びもひとしおなのだろう。
「こりゃ、応援に行かなきゃな!」
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小戸屋を出ると、外はどしゃ降りだった。
夏になってから、一日あたりのゲリラ豪雨の発生回数が、日増しに多くなっている。
小戸屋の店先で雨宿りしながら、二人は横断歩道の信号が青になるのを待っていた。
雨を睨みながら小山が、幸一郎に問い掛けた。
「このプロジェクトのメンバーって何人だ?」
幸一郎は頭の中で職場を俯瞰し、全員を席に座らせた状態にした。
左端の席から順に指折り数えて行った。
「......十人か?」
「いや、吉田課長は監督だから数に入れない。そうすると九人だ」
「九人......」
こいつはさっきから野球に例えようとしてばかりいるなと、思った。
高校の時、野球部だったからだろうか。
「いいか、この九人のうち、まだヒットを打ってないのは俺と、配属されて日が浅い水谷、そして不器用なお前だ」
「不器用は余計だろ」
「すまん。だがお前は、比較的長い期間プロジェクトにいてミスを起こさなかったのは、その不器用さが功を奏したからだと思うんだよ」
不器用だと作業時間は掛かるが、不器用さを補うための生真面目さで、作業は確実だからミスが少ない言うのが小山の分析だった。
「最終打者がホームランをかっ飛ばす。
そして、打者一巡した時、このプロジェクトが新しく生まれ変わる時を迎えるんだ」
「それって、近いうちに僕もお前も、水谷さんも何らかのミスを起こすってことか? しかもホームランって......そんな不吉なこと言うなよ!」
さすがにこれには、幸一郎も口を尖らして文句を言った。
「そういう事が無いように、気を引き締めてくれって言う意味だよ」
笑いながら小山はそう言うが、どす黒い霧のようなものが幸一郎の頭の中を覆いつくそうとしていた。
小山は幸一郎の沈んだ顔を見て元気づける為か、こう続けた。
「取りあえず、今日の初めての告白頑張れよ。良い報告を期待しているからな」
「押忍」
照れ隠しのつもりもあってか、思わず空手の挨拶をしてしまった。
「上手く行けば、これでお前への借りを返せるかな......」
小山の口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
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職場に戻った幸一郎は、じっと自分の右手の甲を見ていた。
拳骨を握りしめ、長い年月が経ったことで消え掛かっている拳ダコをじっと見つめた。
この拳ダコは空手の練習で、毎日のように巻き藁を正拳突きしたため出来たものだった。
拳をグーパー繰り返す。
高校三年の時、右手の甲を事故で複雑骨折したが、今ではもう握ることも出来るようになっていた。
(小山、借りだなんて、もう気にしてないぞ......)
幸一郎は、心の中でそう呟いた。
つづく