わたしの英語学習歴
わたしはシンガポールに住んでいて、シンガポールで働いています。英語なしでは、やっていけません。
英語圏といってよいぐらいに英語が通じるシンガポールですが、かといってこの国の人の母国語は決して英語ではありません。国民全員が外国語として習った英語で、仕事をして生活しているのです。もちろん、全国民が完璧な英語を話すわけではありませんが、とりあえずほぼ全員が日常会話はこなせるのです。そのことが、こんなに小さなアジアの小国に過ぎないこの国を、今の地位に押し上げたといっても過言でないでしょう。
シンガポールは第二次世界大戦の最中は「昭南島」と言われ、昭和17年から21年まで日本の支配下にありました。もし第二次世界大戦をもう少しうまく戦っていれば、もしかしたらこの島の共通語が日本語になっていたかも……などと考えることがありますが、現実には英語が共通語です。
産業革命以来という、人類の歴史の長さから比較すれば非常に短期間に起こった出来事の結果、英語は世界のの共通語になったわけです。歴史の中で確立してしまった、この現実。変えることは、たぶん世界が滅亡でもしない限り無理でしょう。これはある意味、非英語圏の人にとっては大きなハンディキャップになっています。しかし、共通語のない世界の不便さを思うと、そのぐらいの不公平さは我慢するべきことなのでしょう。
■中学時代、英語の勉強に目覚める
わたしが英語を初めて習ったのは普通の日本人と同じで、中学生になってからです。わたしは小学生の時は、算数だけはなぜかできましたが、それ以外は完璧な落ちこぼれでした。漢字の書き取りをやらせると、「100点満点中10点」と低迷。社会も理科もぜんぜん分からず。基本的に机に向かって勉強ができない子供でした。
中学生になって「それではいかん」と思ったのか、突然勉強するようになり、中間テストや期末テストになると、1週間ぐらい前から勉強予定表を作って、勉強を始めるようになりました。そのせいか、学校の成績はクラスの中間レベルにまで上がりました。
その中でも、中学から学習科目に入ってきた英語はよくできました。最初の中間テストで良い点を取れたのが良かったのかと思います。その後のテストも、レベルを落とさないようにしようと努力するようになったからです。
中学、高校時代、わたしの得意科目は数学、理科(物理と化学)、そして英語となりました。それ以外の科目は、小学生のころの不勉強を克服できず、最低点でした。しかし、これらの科目だけで、良い成績をとっていれば、一応難関大学に入れるのですね。1年浪人しましたが、関西の名門国立大学の1つの理学部に入学できました。
さて、中学時代の英語の勉強法は、教科書の英語をすべて日本語に訳して、それを英語に訳しなおすというものでした。その過程で、教科書に出てくる単語をすべて覚えて、文法も覚えることができます。教科書を暗唱するのも良い勉強法かもしれませんが、それはやりませんでした。それでは、習った文法を駆使して、文章を自分で作る能力が身に付かないと思ったのです。
■高校時代、学校の授業に満足できなくなってきた
外国語として英語を勉強するときは、文法はやはり必要だと思います。高校生になって、教科書の英語の量も増えてきて、さすがにすべてを日本語から英語にする勉強法はとらなくなりました。
高校2年ぐらいのころでしょうか、学校で習う「読んで訳すだけの英語」に満足できなくなり、近くの教会に行って、そこでやっていたアメリカ人の宣教師による無料の英語教室に行くようになりました。ここで、初めて外国人と英語でコミュニケーションをとったのです。
ところが、3カ月ぐらい通っていると、彼らの本来の目的である、布教活動が始まるのですね。それが始まったあたりで、面倒になってやめたのですが、初めての異文化体験、なかなか面白かったのを覚えています。
もう1つ、高校生の時にやった英語勉強法に『シャドウトーキング』があります。英語、特に話す能力を鍛えるトレーニングとして、頭の中で英文で思い浮かべるというものです。高校生のころ片道30分ぐらいの自転車通学をしており、通学中にシャドウトーキングを習慣としていました。
■大学時代、クラブに入るも挫折
大学生になって「英語をもっと本格的にやってみたい」と思い、大学のESSクラブに入りました。そこで、自分の英語力に対する自信が、もろくも崩れおちるのです。英語は、やはり短期間で身につく人とそうでない人がいるのです。その差は、記憶力の差に尽きるでしょう。「1、2回単語もしくは文章を読んだり、聞いただけで、単語や文章を覚えることができる」人と、わたしのように「1回読んで聞いて、それを覚えようとして単語帳に書いて覚えて、1カ月後に忘れてしまっていることに気付く」人との差です。
英語は英米人ならだれでもできるのだから、頭の良さや悪さで差がでるのではなく、それに接した時間差だけで差が出るという説がありますが、それは嘘だと思います。少なくとも外国語として学ぶ語学は、やはり頭の良さが能力差の原因になります。
そんなこんなで、ESSは1年生の夏休みの合宿を最後にやめてしまいますが、最後の夏合宿で英語だけで過ごした3日目の後、最後に日本語を話すことが許された瞬間に感じた、『日本語が英語のように聞こえる』感覚は忘れられません。英語はやはり集中して勉強するのが、一番効果があるのです。英語を本当に習得したいと望むものは、「集中」をうまく使うべきです。
普通に日本で生活していたのでは、この集中は得られません。男性なら、とにかく英語でしかコミュニケートできない彼女を見つけましょう。そして、とにかく一緒にいる間は、話し続けるのです。男性にとって、女性と付き合い始めのころ、一番困るのは、2人の間の沈黙です。男はとにかく、話題を提供し続けなくてはなりません。そのためにかける努力を英語力向上にも生かしましょう。
ESSを辞めた後、時々忘れたころにやっていたのは、短波ラジオでBBCやVOAなどを聞いて英語のリスニング力を鍛えることでした。SONYの短波ラジオ。2日間だけ夜中のバイトをして稼いだお金で買ったものでしたが、それで海外の短波局を良く聞きました。
ところで、この短波ラジオですが、今でも、政治的な自由が束縛されている国の人の情報源として十分に機能しているのですね。最近一緒に仕事をしているミャンマー人。その人自身はシンガポールにいるため、世界の情報を簡単に取得できるのですが、国に帰るとそうでもないようで。ミャンマーの田舎では、短波ラジオ、特にBBCで世界情勢、というか自分の国の情勢を聞くのがいまでも習慣なんだそうです。やばくなったらすぐに逃げることができるように、常に短波ラジオを聞いているとか。
そんなことを考えると、中国政府が強制する検閲を拒否するGoogleの話が最近話題に上がりますが、あれがどれほどの意味のある議論なのか疑問に感じたりします。世の中、特に発展途上国では、まだまだローテクで情報が伝わっていくのが主流なのではないでしょうか。英語を理解できる村のインテリが、短波ラジオで仕入れた情報を村の人々に伝えるみたいな世界は、まだまだあると思うのです。
■海外旅行で英語力を磨く
さて、英語の話に戻ります。学生時代の後半には海外旅行するようになり、英語を実際に使う場面が増えてきました。最初の海外旅行は、韓国への自転車旅行でした。関釜フェリーで釜山に着き、そこから鉄道でソウルへ、そこから自転車で南下して、釜山に戻るという旅をしました。韓国は当時はまだ発展途上国で苦労しました。
英語を使ったのは、あるとき船に乗っていたときに知り合った韓国人の青年との会話でした。たぶんこの時が、初めて対等な立場での外国人とのコミュニケーションだったと思います。
その年の夏休みにはインドを放浪しました。外国人とのコミュニケーションはすべて英語です。カルカッタのとある大学に潜入して知りあったインド人学生とのコミュニケーションは、いまでも忘れられない思い出です。卒業旅行は、台湾に旅行しました。台北のとある予備校に忍び込んで知り合った台湾人学生とのコミュニケーションも、忘れられない思い出です。
■社会人時代、海外駐在を経験
さて、英語に興味を持ち、学生時代に海外旅行を繰り返したわたしが就職先として選んだのは、海外駐在を保障してくれるところでした。卒業したら海外で仕事をして生活をしたいと思ったのです。1985年に入社、その2年後の1987年に早速ロンドン駐在となりました。
時代は、バブル経済全盛です。それ故に、入社2年目のわたしのようなものにも、駐在の機会が与えられました。1987年から4年間、ロンドンに駐在。初めて英語を仕事で使うようになりました。赴任当初は、英語で行われる会議、かかってくる外国人からの電話、分からないことだらけ、緊張の連続です。そのころのわたしの英語勉強法ですが、仕事で英語を使うのですから、もう努力して話す機会を探す必要はありません。とにかく、相手が話す英語を100%理解できるようになろうと、ペーパーバックの乱読を始めました。
何とか読み通すことができたのは、 Sidney Sheldon、 Michel Crichton、 John Grisham など、ベストセラー作家の本でした。彼らの本は、読者のことを意識しているのでしょう。難しい単語はあまり使いません。その後1995年から1998年まで、2回目のロンドン駐在。そして、シリコンバレーへの駐在が1988年から2000年と合計、駐在員を10年ぐらいしました。1回目の駐在中は、英語力もかなり向上したのでしょうが、2回目、そして3回目になるとたぶん、あまり向上していないでしょう。
もう一度、英語力が向上したと思った時期があります。日本企業を退職し、インドのシステム開発企業で、日本で行うプロジェクトの日本側プロジェクトマネージャをやった時期です。東京にあるカナダの会社のシステムを、インドの開発リソースを使って開発するのです。プロジェクトマネージャとして、お客さんのカナダ人、そして開発者のインド人との間のコミュニケーションをとらなければなりません。会議、会議の連続です。そのほとんどは英語を使ったものです。日本人スタッフも混じる毎週の進ちょく会議では、通訳が入り日本語を使えますが、それ以外の会議は普通は英語です。
海外駐在時代は、英語を使っての仕事でしたが、日系企業の現地法人です。ほとんどの時間は日本語だけで過ごすことができたのですが、この時は違いました。仕事での会話は、ほとんど英語です。このころも英語が向上したのではないかと思います。
■現在、シンガポールにて
そして現在、わたしはシンガポールで日常的に英語を使って仕事をしています。ただ、開発エンジニアですので、ほとんどの時間はパソコンに向かっての開発です。英語を使うことはそれほど多くありません。
最近感じるのは、会議をしていてて、100%会議の内容を理解できないことです。とにかく集中が必要です。いろいろな説がありますが、どうもこれは、わたしが英語の発音ができていないからでないかと考えています。自分で発することのできない音を聞き分けるなどできるわけがない、ということが根拠です。
英語には、日本語にない発音が多くあります。例えば「R」と「L」の発音の違いなど、日本語にはありません。わたしは、これらをまったくといってよいほど区別できません。それにもかかわらず、相手のいうことをある程度理解できます。文脈を理解しているため、少しぐらい音の区別ができなくとも、なんとか理解できるのでしょう。
発音の矯正をやりたいのですが、こればかりは、特別な訓練を受けた先生について、マンツーマンでトレーニングを積まなければなりません。お金がかかりそうで、なかなかできないでいます。今のままでも、ある程度英語を使った仕事はできるので、その必要はないかとも思います。
■発音は運動能力である
しかし、これから英語を勉強しようと思う方は、正確な発音を発することができるようになる努力も怠らないようにするべきだと思います。正しい発音を身につけることにより、相手に「英語が上手だ」という印象を与えることができるのは当然ですが、それだけでなく相手のいっていることを聞き取る能力も格段に向上させられます。
発音なんてものは、単なる運動能力です。自転車に乗れたり、口笛が吹けたり、指を鳴らせたり、箸が使えたりすることと同じです。若いときにやればやるほど、楽に習得できるものです。最近は、小学4年生ぐらいから英語を習うと聞きました。小学生に下手にアルファベットを覚えさせるのではなく、早期に英語に接することができるようになった期間を利用して、英語にしかない発音を身につけさせるような英語教育はできないでしょうか?
そうすれば、これからの日本人の英語力は格段に向上すると思います。「TOEICの平均点が低い先進国、日本」の汚名は、早くなくしたいものです。
コメント
年初くらいからロゼッタストーンという英語学習教材を使って勉強していて、かれこれ4ヶ月、もうすぐゴールという段階なのですが、未だに"Hello"の発音で注意されます(PCソフトに)。ちょうど今朝「何でじゃ!」と思ってインターネットを検索したところ、いいものを見つけました。
RとLの発音の違いのレッスン(Rの発音)
http://www.youtube.com/watch?v=yIGdp9XNlwQ
LとRの発音の違いのレッスン(Lの発音)
http://www.youtube.com/watch?v=EhaFWYaLNzE
これを見て特定の舌の動きが苦手なことがわかりました。
(ベテランの方には参考にならないかもしれませんが。。。)