エンジニアとしてどうあればいいのか、企業の期待とどう折り合いをつけるのか、激しく変化する環境下で生き抜くための考え方

基本設計をうまくこなせない経験者たち

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●コラム執筆にあたって

 筆者はスキル標準(ITSS、UISSなど)を活用した人材育成の仕組みづくりのコンサルタントですが、職歴はユーザー企業のIT部門に始まり、国内ITベンダ、その後は日本オラクルに11年勤務していました。過去を振り返ると、様々な環境で様々な役割をこなしてきましたが、一本線が通っているという状態ではありませんでした。

 日本オラクル時代に、マネジメントとして一番気にしていたのは「後進の育成」でした。人事や人材開発などの部署に属したことはなく、長い間エンジニアとして現場を歩いてきましたが、その中で一番頭を悩ませていたのが若手の育成でした。若手の多くは、入社して2、3年経つと社内の一通りを分かった気になり、もうやることが無くなったように感じたり、ここにいては成長できないのではないかと思うようになって、飛び出したくなってくるのです。また、仕事上で他社のエンジニアと接したりすると、余計にその気持ちが加速してしまう傾向があります。考えてみれば、自分自身も常に会社から与えられた仕事だけをこなしてきました。自分のやりたいことは何か、どうなりたいかは、自分の中ではっきりしていたわけではありません。それなのに若手から相談されて、自信を持って指導できる訳は無いと思っていたのです。

 各部署に投げかけてキャリアパスやスキルセットを考えるタスクを何度か立ち上げてみましたが、結局あまり成果は上がりませんでした。どうしていいか分からないと停滞感を感じていた時、経済産業省からITSSがリリースされたのです。早速経営者に人材育成の重要性と、そのベースとなるITSS導入の必要性について説得しました。日本オラクルも成長期のような右肩上がりの業績を続けるのは難しくなっており、しかも新卒入社のメンバーが、かなりの社員数を占めるようになっていました。よって、いかに人材育成が重要かを再認識するところに来ていましたので、筆者の提案は割合すんなりと受け入れられることになりました。これで、今までの自分の経験が生きてくるという展開がスタートしたわけです。

●基本設計をうまくこなせない経験者たち

 今からお話しするのは、ある5000名ほどの社員を抱える大手SI企業で、実際に遭遇したことです。人材開発の責任者の方が筆者のところに来られて、「自社の中堅・ベテランエンジニアが、基本設計をこなすことができない」と言うのです。まさかと思いましたが、93年頃松下電器産業の依頼を受けて、現場のエンジニアだった筆者が作成した「システム分析」の3日間コースを実施することになりました。このコースは、松下電器産業様の研修センター(大阪府枚方市)で、グループ企業を含めて20回以上実施しました。それ以降も日本HP、日本オラクルなど多くで実施している実績あるコースです。内容は、システム構築の上流工程で、よくある理論だけの内容では無く、実際に筆者が現場で経験してきた内容をベースにしている実践的なものです。

 20名のリーダー、プロジェクトマネージャクラスの方を集めていただき、その3日間のコースを実施しました。コースの初日に受講者の皆さんに色々と質問をしていきます。「Enterprise Architectureを知っていますか」「要求分析、機能分析のモデリングの時に、どういう手法を使いますか」「データ分析では、ERモデルを使いますか」「Data Flow Diagramを書いたことがありますか」。これらの殆どの答えが「No」でした。質問した内容は、システムの基本設計では必須の内容ばかりです。また、基本設計は「画面と帳票を作ることです」と言った方もいました。まさに責任者の方が言った通りです。前半レクチャーで後半ワークショップの3日間のコースをどうやって進めようかと、一瞬目の前が真っ暗になりました。

●体系的なトレーニングを受けていない非効率的で危機的な状況

 ところが、さすがに現場で経験を積んできた方たち。日本人は頭がいいと思いました。皆さん3日間で見事にキャッチアップされたのです。「感動しました」といって帰られた方もいました。つまり、しっかりと体系や手順をトレーニングしてもらっていないのです。方法論を知らないと現場では大変です。知っていれば簡単にできることが、自分で試行錯誤しなければいけないので、2倍3倍の時間がかかってしまいます。成果物に自身がないのも当然かもしれません。また、訓練されていない方々がリーダーやプロジェクトマネージャになって、部下の方を育成していくわけですから、さらにおかしなことが増幅していきます。

 後でその企業で持っているトレーニングのメニューを見ましたが、年間数千万円も使っていて、それだけ見るととても立派です。ところが、例えば外部講師を招いて「ロジカルシンキング」のコースが設定されていますが、それだけ単独で教えても余り意味が無いのです。要求分析フェーズで、ユーザーの要求をモデリングする時に、ロジックツリーやWHYツリーを使うわけで、その場面での実践的な方法論として教えないとうまくつながりません。システム構築が仕事なのですから、それを目的としてその中の流れの中で、手法のトレーニングをする必要があります。

 すべてそのような感じで、せっかくの投資が生きておらず、エンジニアにとってもっと有益なものにすることが可能だと思われます。この内容が現在の危機的な状況、スキルレベルが余りにも低い、ということを如実に物語っていると考えられます。

●国を挙げてITを推進するアジア諸国の台頭

 一方で、アジア諸国の台頭も無視できない状況にあります。近年アジアの脅威として盛んに新聞やTVで取り上げられている中国、インド、ベトナムなどアジア諸国は、官民が協同でITを盛り上げ、多くのITエンジニアを輩出する仕組みづくりに躍起です。IT系の大学は大変狭き門で、しかも学費が平均的な所帯の年収の何倍も必要になります。しかし、卒業すれば他に比べて数倍の給料が約束されているのです。彼らはエリートとして自負を持っています。さらに日本語も普通にしゃべれるエンジニアが多く、しかもその方が給料も高いのです。あきらかにターゲットは日本なのです。

●多すぎる? ITサービス会社と、若者人気離れが加速する「ITエンジニア」

 それに対し、日本では現在IT関連企業が全国で8000社以上あり、ITエンジニアは56、7万人いると言われています。自動車、金融、流通など他の業界に比べて大変多い数だと言えるでしょう。これはエンジニアを用意すればお金になるITバブルの結果とも言えます。それが通用する期間が大変長く続き、その間企業はITエンジニアの育成を怠り、人口だけ増えていくという状況に甘んじてきたのです。しっかりとトレーニングを受けずに、OJTと称して現場に出され、縦割り作業の中で全体像が分からず、作業することが目的で仕事をこなしていく状況であったと言えるでしょう。そのような中で育ったエンジニアが、後進を育成することになり、その結果は容易に予想できます。またITというキーワードだけで、向いていないのにこの業界に入った方が多いのも特徴です。

 また、別の観点では、若いITエンジニアが減りつつある現実も見逃せません。たとえば、学生から見たITサービス業界、ITエンジニアという職種は、他の業界に比べてさほど魅力を感じられない待遇などが目立ち、ひと頃に比べ間違いなく人気が低下しています。ITが若者の目に魅力がない世界と映っているとすれば、日本の未来にとってかなり大きな問題と言わざるを得ません。

 ただし、最近の経済産業省の学生向けの調査からは、人気度とは反対にITに関しての将来性を、一番高く評価しているということが浮き彫りになりました。評価はしているがIT系の職には就きたくないという現象でしょうか。

 この状態を生かすも殺すも、ここ数年が大きな節目になるのは間違いありません。

●人材育成に消極的な経営者と危機感のないエンジニア

 筆者は北海道から沖縄まで、地方にも講演などで出かけます。その関係で経営者の方とお話しする機会が多いのですが、よく耳にするのは「人を育成しても他社にすぐ転職されてしまうので、返ってお金の無駄遣いだ」、また「人材育成にかけるお金も暇も無い」ということです。経営者の方々は、今までも散々苦労されてきて、ここでまた苦労を繰り返すのはいやだという考えが見え隠れします。自社の魅力がないから社員が離れていく、前向きな経営方針を社員に語らないから企業としての魅力が出ない、ということに考えが及ばないのでしょうか。

 さらにその中にいるエンジニアの多くは、よほどでない限り辞めさせられることはないのでリスクが殆ど無く、漫然と仕事をこなしていて危機感は殆ど無いという状態でしょう。これでは若者に人気の無いIT業界というのもうなずける話です。この状況が続けば、先に述べた海外の脅威に簡単に飲み込まれてしまうという姿が容易に想像できます。

●今後の連載に向けて

 今回はスキル標準にあまり触れる機会がありませんでしたが、ITエンジニア個人が自らを知り、今後のキャリアデザインが可能になるようにと、スキルの見える化と向上を目的に用意されたものです。

 しかしながら、企業はスキル標準自体をよく理解しないまま、ITエンジニアの評価目的や、「オラクルマスターを何人持っている」と同じような企業アピール、もしくは他社との比較目的で使ってしまう状況が多く見受けられます。

 また、企業によっては未だに人材育成担当は閑職であり、その方がスキル標準導入を推進するなら成功する可能性はかなり低いと言わざるをえません。さらに、理念や方針が定まっていないと迷走してしまうことになり、結局従来の枠組みと大して変わらないものが出来上がり、導入する意味もなくなります。客観的な実力を測るのはいいのですが、そこから先のステップに続けなければ意味がありません。

 このような状態で不当な評価をされれば、ITエンジニアのやる気は停滞することになります。ITエンジニアがネガティブになればスキルアップなど望めるはずもなく、業務にも悪影響を及ぼし、悪循環に陥る危険性もあります。

 スキル標準導入以前に、企業目標の達成に向けた人材育成についての理解が不足しています。こうした理解不足は「IT企業がITエンジニアの人材育成を重要視していない」とも言えることになります。その結果、現状としてIT企業は比較や評価のためだけにスキル標準を導入するのに躍起で、ITエンジニア個人は一部を除きそっぽを向いているという構図になっています。

 本来IT企業からすると、スキル標準導入の目的は、比較や評価することなどではなく、ビジネスに貢献ができる人材の育成です。

 このような状況やスキル標準そのもの、また取り巻く環境を読者に理解してもらい、今後のキャリアデザインの一助としていただきたいというのが筆者の願いです。

 重要なのは、スキル標準を自分のキャリアパスを考えるためのツールとして理解し、活用することです。自分の強みは何か、何が不足しているのかを認識するツールとして使うのです。そして何よりも目標を持つことだと考えます。自分は何を目指したいのか、キャリアデザインのツールとして捉えるのです。

 ITエンジニアにとって永遠の課題ですが、今後も追求していきたいと考えています。

Comment(2)

コメント

はじめまして、「下流」コラムニストの後藤です。

高橋さんは大手SIerの技術レベルの低さをご指摘になっていらっしゃいますが、私も下流工程から見て同じことを感じています。「やはりそうでしたか」という感じです。

私も現在のこの国のIT産業に危機感を感じています。ブログで意見を発信することが少しでも状況の改善に結びつけば、と思います。

かげながら応援しています。がんばってください。

高橋さんには及ばないと思いますが、私も自分のブログでがんばりたいと思います。

高橋秀典

後藤さん、

メッセージありがとうございます。
私は、コーディングからスタートし、システム設計やPMなどを順番に経験してきましたので、エンジニアのキャリアパスとしては、こうあらねばならないと信じていました。ただし4年ほど前までです。理由は、私の出会ったエンジニアで、私と同じように経験してきた殆どの方々は、極端に視野が狭く応用が利かないことを目の当たりにしたからです。経験してきたことが全てで、それによって大きな制限がかかているという感じです。何か育成の考え方や方法が間違っているのではないかと、強く思う次第です。

後藤さんはどう思われますか?

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