326.ネット社会の次の世界
初回:2023/8/23
『能力主義』の善悪は、またの機会に譲るとして、今回はSFチックに少し先の世界の話を考えたいと思います。
P子「未来予想図?」※1
ヘルメット5回ぶつけないでくださいね。
1.過去の『能力主義』
まず、過去に必要とされた『能力』ってなんでしょうか?
P子「狩猟能力?」
そこまでさかのぼる必要はありませんが、その場合は、基本的には体力でしょうし、臨機応変...悪く言えば無計画でその場しのぎの対応能力とかでしょうか? 性格的には攻撃性とかでしょうか。単独行動で獲物を捕まえられるなら、多少の自分勝手も許されたのかもしれません。
P子「じゃあ、その次の農耕社会で必要な能力は?」
農業に必要なのは、団体行動、計画性、仲間と助け合う力でしょう。
P子「団体行動と助け合いを分けるの?」
言葉遊びはしたくありませんが、団体行動とは自分たちの農場を守るための仲間内の規律とかそういうコミュニティー内の関係性をイメージしています。助け合いというのは、他の農場に対して人手を貸し出す代わりに、自分たちの農場も助けてもらうとか、自分の農作物と他の農作物を物々交換するとか、コミュニティー間の関係性をイメージしています。
P子「じゃあ、その次の工業社会(産業社会)で必要な能力は?」
産業革命以後に必要とされる能力で言うと、同じ能力(均質性)、同じ時間(同時性)、同じ動き(同等性)が要求されます。
P子「言葉遊びはしたくないと言いながら、無理やり単語をそろえてるじゃん」
同じ能力(均質性)というのは、基本的には誰でもできるレベルまで仕事内容を落とし込んで、みんなで一丸となって作業するという感じです。色々な人が色々な方法で色々な作業をされると、品質が安定せず工業製品...大量生産大量消費には向きません。
同じ時間(同時性)というのは、朝の始業時間に大量に人間が同じ場所に集まり、同じ手順で作業を行うからこそ、流れ作業(ライン生産)が成立するわけで、人ごとに出勤時間が違うとか、人ごとに作業時間が異なっては、流れ作業ができません。
同じ動き(同等性)は、上司の命令に対して、従順に従うというイメージです。会社の方針や組織の規則に同じように従ってもらわないと、組織を維持できなくなります。協調性と言い換えても良いかもしれませんが、あえて同等性と定義します。そして、個人の出力を、あえて同じにそろえることで、個人が持つ能力に関係なく給料も決まるという考え方です。時間給とか年功序列はこの同等性の具体例と思っています。
均質性=Quality、同時性=Delivery、同等性=Cost をより見積もりやすくすることで、簡素化できるパラメータなんでしょう。
これらの能力は『義務教育』という集団的均質教育方法で実現されてきました。
P子「じゃあ、その次の情報化社会で必要な能力は?」
それは、皆さんの方がご存じだと思いますが。よく言われるネットから情報を検索、収集する能力とか、その情報を分析・解析する能力とか、その情報を活用する能力、情報自体を発信する能力などありますが、それらは活用する側...つまり先の工業化社会での雇用される側の能力であって、雇用する側の能力ではありません。
なので、あえて言うなら、情報を使いこなせる人を使いこなせる能力が重要だったんだと思います。
2.現代の『能力主義』
P子「所で、現代は何時代って思うの?」
高度情報化社会...では少し面白くありませんし、基本的にはネット社会で良いんじゃないかと思います。
P子「情報よりネットの方が概念が小さくなってない?」
情報というあいまいな概念ではなく、ネットというもっと具体的な物体が社会を構成していると考えた方がより分かりやすくなると思います。
このネット社会や、さらに先の社会を考える前に、今まで取り上げてきた『能力』は、何のために必要だったのかを再考してみます。
狩猟社会では、食べ物を獲得する能力=生きるため
農業社会では、食べ物の安定供給する能力=生活に安心を与える
工業社会では、製品を安定供給する能力=生活の質を向上する
情報化社会では、情報を活用する能力=精神的な豊かさを向上する
さて、ネット社会では、何を向上するかというと、人間の欲望を満たすための階層を考えればわかりやすいかもしれません。
有名どころの『マズローの法則』でいうと、社会的欲求は工業社会で満たされたとすると、承認欲求と自己実現の欲求が、ネット社会で手に入れたい成果だと考えられます。
もちろん、昔からこれらの要求はあります。承認欲求でいうと、上司や同僚に認められたい...などですが、せいぜい、数十人規模です。でも、YouTube やInstagram の場合、数百万、数千万という視聴者に認めてもらう事が可能です。
情報化社会で情報を活用する能力と、ネット社会でネットを活用する能力は、別物です。
ネット社会で必要な能力というのは、違う能力(格差)、違う時間(非同期)、違う動き(異質性)が求められる...つまり工業化社会とは正反対の能力が求められているのではないかと思います。
これを勘違いすると、醤油さしベロベロ事件とかが発生するのだと思います。
ネット社会では、色々な意味で、自己実現も可能です。アイドルになるとか、小説家になるとかいう事も、自称〇〇というだけなら、すぐに実現可能です。その先にどうしたいのか、有象無象の自称アイドルとか自称小説家とかがいても、そこから頭一つも二つも出ないと埋没されてしまいます。
P子「あなたも自称小説家っていうところ?」
自称であれば、自己実現の壁は相当低いと思います。
3.未来の『能力主義』
さて、ネット社会の次の時代はどうなるんでしょうか?
ネット社会が、承認欲求や自己実現の欲求が満たせる世界時代だとすれば、次の社会は、自称ではない自己実現の世界に進むと思っています。
これを私は『仮想社会』ではないかと思っています。
P子「はあ? そんなの未来でも何でもないんじゃないの?」
ここでいう『仮想社会』というのは、今までの『現実社会』の一部である『仮想社会』という意味ではなく『仮想社会』そのものが現実社会であるという意味合いです。仮想と現実の区別がつかないとかでもなく、仮想そのものが現実社会であるという事です。
P子「ごちゃごちゃして判りにくいわね」
仮想通貨が現実世界で使えるとか、仮想人物(アバター)の初音ミクが、現実社会で活躍したりとか、そういうレベルではなく、仮想社会こそが現実社会になるという意味合いです。
すでに、AIが社会に与えたインパクトが大きいと思いますので、皆さん何となく気が付いているんじゃないかと思いますが、音楽や芸術、文章などをAIが人より上手く大量に休みなく生み出す社会で、人は何をするのでしょうか?単純な自称〇〇では、自己実現の欲求は満たせなくなりつつあります。
では、どのような事を実現したいかというと、慈善事業を行うとか、仮想企業を作るとか、独立国家を作るとか、自称〇〇ではない自己実現を目指すようになると思います。
クラウドファンディングで慈善事業を行う事も可能でしょうし、国民を募集して税金を納めてもらえれば、仮想国家も作ることができるでしょう。自称アイドルを集めて、にゃニーズ事務所とか、自称小説家を集めて、鋼男社とか作ったりできるかもしれません。
逆に、一般人や従来のちょっと高い能力を持った人たちでは、AIに勝てません。では、何をするかというと、何もすることがなくなるという事です。ただ、遊んで暮らすだけという事になります。
自称〇〇という自己実現をしたい人、それらを活用して自己実現を果たす人、単に遊んで暮らす人など、多様化するのですが、差も拡大していくことでしょう。
そこまで極端な未来はすぐには来ないかもしれませんが、多くの無能と烙印を押された人たちは、社会保障で生活し、一部の人たちはその場しのぎの仕事で日銭を稼ぎ、ごく少数の人たちが、セレブの世界で成果するるという、それこそ大昔の貴族と奴隷のような時代が来るかもしれません。
P子「そんなことないでしょ」
多くの人はそんなことは無いと安心しています。また、今現在成功している人たちも、自分は勝ち組だと安心しています。
そこに提言するなんて上から目線なことをするつもりはありませんが、思考停止するのではなく、自分なりに考えてみてはいかがでしょうか?
4.まとめ
私は『仮想社会』は『下層社会』だと思っています。持つものと持たざる者の差がますます広がるというだけではなく、持たざる者が圧倒的多数になる世の中だと思っています。しかも、それなりに生活ができるため、持たざるという事すら気づかない人が多くいる社会だと思います。
それが良い事か悪い事かは私には判断できません。
なぜなら、働かなくても、考えなくても生きていける世の中を良しとする人が多数いて、それで問題ないというなら、案外悪い世界ではないのかもしれません。
P子「本当にそう思ってるの?」
個人的には、そういう格差はなくならないにしても、行き過ぎた下層社会にならないように、ブレーキをかける役目を果たしたいとは思っています。
P子「いつもブレーキランプ 5回点滅させてるのね」
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「未来予想図?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。