325.能力主義は差別なんです Part2
初回:2023/8/16
まず、前回のコラムに色々とコメントを頂き、ありがとうございました。
『能力主義』の話は、なかなか面白いので、Part2 を組んでみました。
P子「ますます反発を食らうんじゃないの?」※1
まず、コメントでのご意見について、そこを争う気はありません。「地動説と天動説」の様に、どちらの意見が正しいかという議論ではなく、どちらも正しいという前提で、もう少しマイルドに解説してみたいと思います。
P子「やたら素直ね。気持ち悪いわ」
1.その前に...
まず、コメントから読み取れるのは、能力に差を設けることが、現実社会では常識だと信じているように感じます。ある意味正解ですが、あくまで側面から見えている現象だと思っています。
P子「やはり、そう来たわね。マイルドっていう意味、理解してるの?」
もちろん、反論されている人たちは、能力主義を絶対的な正義とは考えておられないと思います。私もそれが悪だとは思っていません。能力による差を肯定するのか否定するのかではなく、その天秤をどちらに傾けるのかという『程度の問題』だと思っています。
男女差別はいけないというのは、現実はともかく、言論的には、ある意味定着しつつあります。
さて、以前少し話題に上げましたが、プロテニスの4大大会の賞金額は、男女同額になっています。ではテレビやネットでの視聴者数は、男子の試合の方が、女子の試合より3倍程度多いと言われています。また、放映権料も同程度の差がありますが、それでも優勝賞金は同額です。
一部には、それを不公平という意見もありますが、プロテニスという枠で考えるなら、能力(この場合は稼ぎ)の差は男女間には設けられていません。
もちろん、優勝と準優勝で賞金が異なるというのは、能力による差が設けられているといえます。これが私の言う天秤です。
また、プロ野球で言うと、ドラフト会議や、FA権行使などの制約がありますが、球団の能力(収入や選手に与えることのできる年俸)に応じて自由に選手をかき集めることができれば、金持ち球団の一方的な試合になり、トータルでのプロ野球の魅力が失われることになります。
なので、戦力の均衡を保つためのルールが導入されています。これも、能力差だけが正義ではない一例だと思います。
2.一般的な会社の場合
さて、スポーツの世界は能力による差をつけることに関しては特殊なので、一般的な会社組織で考えてみましょう。
営業と技術...どちらに多くの給料を支払いますか?
P子「それは会社の種類によるでしょ」
もちろん、商社とソフトウエアハウスでは異なるでしょう。しかし、通常は営業と技術で同じランク(例えば主任とか課長とか)の場合、同一賃金にしているケースが多いと思います。
P子「営業手当とか技術手当で差をつけてるかもしれないわよ」
では、総務と人事と経理で差をつけるのかどうかとか、これって、能力が違うわけで、その差をどうやって決められるのでしょうか?
P子「会社への貢献度とか?」
難しいでしょう。総務や人事や経理は人がいないと会社が回らないけど、売り上げを上げていませんし、利益も出していませんが重要な職種です。要するに、能力の評価が難しい場合は、同じにしているというケースが多いのではないでしょうか?
また、同じ技術職の場合でも、開発職と研究職の場合、開発職は直接売り上げに結びつき、研究職はすぐには成果に繋がりません。その場合どうするのか?
つまり、能力主義を肯定されている人も、こういうケースがあることは理解しているはずで、私との違いは、天秤の傾き具合だけという事で、納得していただけたかと思います。
3.能力主義の天秤
さて、能力による天秤を考える場合、私は色々な前提があると思っています。
1)能力は努力でいくらでも伸ばせる。
⇒ ある程度は伸びるが、先天的な差もあり、同じだけ努力しても伸び方が全く違う場合もある。
⇒ 同様に、能力が高くないのは努力せず怠け者であるからだという認識を持っている。
2)能力の差に応じた報酬の差は当然である。
⇒ 日頃、自分より能力の低い上司や先輩に対しての不満がある。
⇒ 自然淘汰とか弱肉強食とかそのような言葉を文字通りに受け取っている。
⇒ 自分の能力を発揮できる職場についたのは自分の努力の賜物だと思っている。
⇒ 実は能力を発揮できるかどうかも含めて、偶然に左右されるケースも往々にあります。
3)職業毎に報酬に差があるのは能力差があるからだ。
⇒ 職業による報酬の差は、能力差ではなく需要供給問題である。
⇒ 男女差別、障害者差別、職業差別は、否定するのに、能力差別は肯定するという矛盾
これらは、あくまで一例ですが『能力』というものに関する誤解が多いのではないかと思っています。
1)能力自体も、先天的能力と後天的能力に分けられますが、努力でカバーできるのは、後天的能力の方です。もちろん、先天的能力も努力によりある程度はカバーできるでしょうが、限界があります。よく言われるのは、IQは先天的能力で、EQ(Emotional Intelligence Quotient)は後天的能力です。
2)能力が努力で伸ばせるものという前提であれば、報酬の差は努力の差であり、当然の権利という考え方です。怠けている人と努力している人が報酬が同じというのに納得できない事もあるでしょう。その中で、努力による限界がある程度大きいと思っている人(私など)は、能力差を余りつけるべきではないと考えています。
3)もちろん、職業の違いによる平均給与の違いというものは存在します。ある程度は需要と供給の関係性があるので、高い能力がないとできない仕事は、それだけ供給量が少なく需要が多いため、報酬は上がるでしょう。ただ、注意が必要なのは、それは単なる需要と供給の差であって、職業の貴賎や能力の差が報酬の差になっているのではないと私は思っています。
この辺りは、資本主義の中での話なので、資本主義が進むと貧富の差が広がり多くの人が不幸になると思っている私から見れば、ある程度の社会主義や共産主義を混ぜるのが、良い落としどころだと思っています。
つまり、能力主義の天秤というのは、資本主義と社会主義の天秤と言い換えられるのかもしれません。
4.まとめ
結局、能力で差をつけるかどうかは、程度の問題という事だと思います。現代の能力差と報酬の差を良いか悪いかで判断することは、あまり意味をなさないと思います。というのは、すでに社会システムとして組み込まれているからです。
私が今秋テーマとして取り上げたいのは、時系列での考え方(今後の事、未来の事)をした場合、どうすべきかという話です。
つまり、今現在、能力で差をつけている事象は、将来的に差をつけない方向に進むのか、差をつける方向に進むのかという問題です。
私は、差をつけない方向に進むべきという考えを持っていますが、資本主義が進展すると、差をつける方向に進むでしょう。
そのあたりが、皆さんと異なるのか、同じなのかが、気になるところです。
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「ますます反発を食らうんじゃないの?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
コメント
一休さん
程度の問題を決めるのは経営者ですし、経営者はきちんと数字を株主に説明できればいいです。ちゃとらんさんも金融公庫、親戚や友人から1000万円ほどお金をかき集めてさっさと独立しましょう。
集めた出資金は何が何でも死守して下さい。できれば利益を計上して出資してくれた方々に配当を支払ってください。そんな重圧に耐えて会社を経営しているんです。
実際に経営する側に立ったら、努力しない人、経験の浅い人、才能がない人にも平等な十分な報酬を与えようなんて眠たいことが言っていられないでしょう。
ちゃとらん
一休さん さん… コメントありがとうございます。
> 実際に経営する側に立ったら、努力しない人、経験の浅い人、才能がない人にも平等な十分な報酬を与えようなんて眠たいことが言っていられないでしょう。
そうなんですよね。
資本主義、競争社会が進めば進むほど、そういう甘いことが言えなくなってきます。
今後、AIや自動化、機械化、コンピュータ化が進めば、多くの人間が不要になります。
当然、多くの中小企業も不要になるでしょう。
# 下請けとして、安く使えるから、残るか…
それを政府の補助金とか、訳の分からない規制で存続(ゾンビ企業)させているのは、そういう純粋な競争社会では、多くの人が不幸になるからじゃないんでしょうか?
『大いなる力には、大いなる責任が伴う』スパイダーマンのベンおじさんの言葉が有名です。
一休さん
資本主義や競争を嫌う方々もいますが、大半の方は別にそれを不幸だとか考えていませんよ。「差別は悪・報酬で差をつけるのは悪」なんて言ってるちゃとらんさんは少数派でしょう。平等な社会が来たら、努力している人、才能のある人、経験を積んだ人が不幸となります。となると、ばからしく手自己研鑽や蓄積をやめる人が増えてきます。そうすると社会全体が貧しくなりますね。
競争社会が加速しようが、別にそこに付き合う必要もないですからね。ちゃとらんさんが競争が嫌なら、競争から降りればいいだけです。「ヤマギシ会」に入ることおすすめしますよ。私有財産を共有化し、みんなで生産し、のんびり暮らすユートピアが日本にあるんです。
私は強欲だから、どんどん競争してガンガン年収あげていきます。邪魔しないでくださいね。
ちゃとらん
一休さん さん… コメントありがとうございます。
> 「差別は悪・報酬で差をつけるのは悪」
なにか、決めつけておられるようですが、『私もそれが悪だとは思っていません。能力による差を肯定するのか否定するのかではなく、その天秤をどちらに傾けるのかという『程度の問題』だと思っています。』と本文中にも述べていますから、そんなに極論を言っているつもりはありません。
> 「ヤマギシ会」に入ることおすすめしますよ。
勧めていただかなくても、大丈夫です。自分で判断できます。
> 私は強欲だから、どんどん競争してガンガン年収あげていきます。邪魔しないでくださいね。
ぜひとも、頑張ってくださいね。
一休さん
> すすめていただかなくても、大丈夫です。自分で判断できます。
うむ、では、従業員の労働分配率や給料配分を決定するのは経営者なんですから、「能力給は差別(悪) *1」などと他人を悪人呼ばわりするようなコラムは控えてほしいですね。
*1) Part1で、差別は悪とおっしゃいました
せめて、口出しするなら株くらいは持って株主になってからですね。まあ、株主が自らの資産である株券の価値を喪失するような提案は通常しないもんですが・・
ちゃとらん
一休さん さん… コメントありがとうございます。
> 「能力給は差別(悪) *1」などと他人を悪人呼ばわりするようなコラムは控えてほしいですね。
能力給は差別であり、差別は悪であるという単純な話なら簡単ですが、そんな簡単な話ではなかったと思いますけど。
それに、『コラムは控えてほしいですね』って人の行動をどうにかしようというお考えをお持ちなら、7つの習慣の第一の習慣:主体的であるを一度、お読みになられた方が、人生が豊かになると思います。
# 〇〇してほしいと、〇〇だと思う は、ベクトルの方向が違うのはお判りでしょう。
> 口出しするなら株くらいは持って株主になってからですね。
何の関係があるのかさっぱりわかりません。
それより、能力給を肯定=もっと言えばそれが正義であり、会社は能力の高い人だけで構成すればよいというお考えなのでしょうか?
なら、そのように宣言していただきたいと思います。
『私は障害がある人や働かない人(失業中の人)には、一切の補助金を出すことに反対します』とか…。
会社経営をされて納税されているでしょうし、そのような人たちに税金が使われていることもご存じのはずですけどね。
たーじん
私はどちらかと言うとちゃとらんさんの意見に近い考えと思っています。
まず、この会社における能力評価については「能力によって差をつけるかどうか」の問題もありますが、「同じ職種・業務内容・能力なのに評価に差をつける」という問題も存在していると考えています。
私の会社で問題となったのが、同じような能力の人が以下のようなプロジェクトに配置されたときでした。
1、売上が良いプロジェクト
2、売上は悪いが、関係する会社とのつながりを考えるととても重要なプロジェクト
(1よりも重要プロジェクトと位置付けられている)
会社の評価方法は売上である為、1の人がより良い評価獲得しましたが、それにより2のプロジェクトにいた人は、脱退して売上が良いプロジェクトに移ってしまいました。
会社は大慌てで、現在も色々な調整を行っています。
また、これ以外にも経理、総務、人事は売上が存在しないので、配置されると自動的に評価が落ち、人材流出が止まらないという問題も発生しています。
私の会社以外にも能力評価というのは「売上」としている会社が多いと感じています。
しかし、その売上を獲得するために縁の下の力持ちとなっている人が犠牲となる能力主義には反対です。
ですので私は「基本は売上に応じて全員が平等評価」をベースとし、「特に頑張った人はプラス」「仕事もしない、努力もしない人はマイナス」と言うのが理想と思っています。
プラスとマイナスをどう評価するのか、これも新たな差別につながるのではないかという意見も出そうですが、そこを考えるのは経営者の役目であり、それに従うかどうかを選択するのが従業員であると思います。
ここに経営者目線をプラスすると、なり手とのバランスも重要となります。
平等評価にした為に役職者を目指す人が極端に減った会社もありました。
その会社はマネージメントに携わると給与が上がりやすい評価制度に変更しました。
これを差別と取るかどうか、、、このあたりが私も考えが纏まっておらず難しいです。。。
ちゃとらん
たーじんさん… コメントありがとうございます。
平等が正義か? と言われると、そうでもありませんし、能力と関係のないところ(配属先のプロジェクトとか、部署とか)での評価もありますから、本当に難しい話だと思います。
この、落としどころが、何も手を打たないと、強い者の論理に引っ張られるので、人類の知性を持って、うまく解決できれば良いと思っています。
名無しB
漫才コンビやバンドのギャラもそうですね。ボケとツッコミ、ネタを作る側と演じる側。
ヴォーカルとギターとドラム、作曲と作詞。誰の能力が上とか下とか判断しようがない。
だから、山分けが基本と聞きますが、とはいえ「方向性の違い」での解散のほとんどは、
実はギャラの取り分で揉めての解散なんだとか。でも、解散後に一人勝ちするケースは多くない。
総合的に考えると、役に立っていないように見えても、ある程度は許容することが必要なのかと思います。
多様性のなさは、弱さにつながる気もしますし。
自分は特定の能力には特段の自信を持っていますが、結論は「平等論」に近づいていくなぁw。
周囲が劣って見えても、自分に足りないところを補ってもらえている、と謙虚に受け取るべきと感じました。
ちゃとらん
名無しB さん… コメントありがとうございます。
> 漫才コンビやバンドのギャラもそうですね。…誰の能力が上とか下とか判断しようがない。
色々なパターンがいっぱいありますね。
> 周囲が劣って見えても、自分に足りないところを補ってもらえている、と謙虚に受け取るべきと感じました。
色々な人の協力があってこそ成功することもありますし。
もちろん、完全に平等に配分するのが正義だとも思っていませんが、適正…どちらかというと、大きな差を付けない方が、プロジェクトなどは結果的にうまく行くと思っています。
一休さん
> 色々なパターンがいっぱいありますね。
であるなら、「能力主義は差別(悪)と言うのは間違いですね。
あと、私は競争大好きですが、障碍者の福祉とか生活保護とかは賛成なんですよね。負けたら負けたでみんなで支援したらいい。
一休さん
ちょっと訂正
なんらかの事情でその競争に負けた人、生まれつき障害がある人などは福祉で支えたらいいと思います。でも、社会のエンジンである会社という営利組織は、馬力出すために能力主義が一番合理的。
ちゃとらん
一休さん さん… コメントありがとうございます。
なにか、『能力主義は差別(悪)』なんて強く言ってないんですけど、どうしてもそういう風に言ったと言わせたく、かつ、それを謝らせたいと言わんばかりの書き方ですね。
本文より:能力に差を設けることが、現実社会では常識だと信じているように感じます。ある意味正解ですが、あくまで側面から見えている現象だと思っています。
でいうと、営利組織では能力差は正義である とおっしゃられているように思いますが、それは一面しか見えていませんよ…という、お話です。
>> 色々なパターンがいっぱいありますね。
> であるなら、「能力主義は差別(悪)と言うのは間違いですね。
この、論理展開にはついていけません。
きっと、色々なパターン=『能力主義は悪』(言ってませんけど)だけではない、という事が言いたいのだと思いますが、同様に『能力主義は正義』でもないという事です。
まあ、ここで私が能力主義を肯定しようが否定しようが社会の動きとは無関係なので、それぞれが信じる道を進めばよいと思います。
一休さん
ちゃとらんさん、一度、簿記や会社経営を学んでみてはいかがでしょう。ちょっと優しく説明したので、落ち着いて読んでみてくださいね。
- お給料はどこに記載されているのか
- お給料の原資はどこか
- 経営者は株主に対する説明責任
ちゃとらんさんが、親族や友人に頭を下げて3000万集めて株式会社(不動産会社)を作りました。3000万円の出資金は、事業の失敗で失う確率があります。もしかしたら返せないかもしれません。
●Aさん
不動産のベテラン20年選手です。会社の売り上げの70%のこの人が稼いでいます。
●Bさん
高卒で入社。若手で売り上げは給料分も稼げていませんが、やる気があり、休みの日も営業ノウハウや宅建の書籍を読み、どんどん力をつけて行ってます。また、売り上げで貢献できていないものの店舗の掃除など暇を見つけては何かお店のために何かをやっています。
●Cさん
そこそこ良いの地元の大学卒。若手で売り上げはまだまだで0円の月もよくあります。言われたことはやりますが、不動産に興味もなさそうで、努力する才能がないとのことで休みの日はスマホのゲームやパチンコに興じているそうです。
と言った3人がいた場合(実際、会社の構成ってこういうもんです)に、ちゃとらんさんは、この3名に同じ報酬を支払えと言ってるんですね。経営者やリスクをとった株主からしたら冗談じゃないってわかるんじゃないかと思います。普段、働く側って雇っている側の目線を持つことはないですよね。だから、相手の目線で考えてみるのはおすすめです。
会社にある資本金や利益の剰余金(昨年度までに稼いだ内部留保)、その時に稼いだ粗利益・・などの原資は、出資した株主の資産なんですよ。そこから、Cさんに年収1000万支払えるのかというお話なんです。Cさんに1000万も支払うと人件費が想定より700万上がり、その年の利益500万を削って200万の赤字となります。この場合、3000万の出資金は200万マイナスとなり会社の資産は2800万となり、親族や友人を説得して集めてきたお金は元本割れすることとなります。
ちゃとらんさんは株主総会で報告する立場にあり、若いCさんがそれほどの高収入を得ている理由を説明して株主を納得させる必要があります。なお、株主が納得しない場合、ちゃとらんさんは経営者不適格となり、社長を解任されます。株主の資産を棄損したのですからそれなりの説明が必要でしょう。経営陣は被雇用者と違い、解雇規制などもありませんし、失業保険もありません。経営者自身は雇用されている立場ではないので、多くの労働法は適用されないので、成果を出そうと必死なんですよ。その経営者(ちゃとらんさん)から見て、Cさんはどう映るでしょう。
ちゃとらん
一休さん さん… コメントありがとうございます。
> この3名に同じ報酬を支払えと言ってるんですね。
そんなこと、どこにも書いてないですし、それは一休さんの完全な思い込み(勘違い)ですよね。
出資金を給料に当てるかどうかはともかく、一休さんの能力に見合った配分で言うと、Aさんに、70% の給料を与えて、BさんとCさん、社長さんには、残りを適度に能力に見合って配分するのが『正義』だとおっしゃっているのでしょうか?
そんなことしませんよね。
期待のBさんに辞められると大きな損失ですし、Cさんも不動産に興味がないけど、もしかすると、スマホで売買する事業とかには積極的に取り組むかもしれません。
目前の能力だけで評価する…しかも大きな差を付けるというんは、どうなんでしょうというのが、何度も言っている趣旨です。
完全に同額にするなんてことは、最初から考えていませんよ。
匿名
一休さんの方が、現実に沿って正しく、突き刺さります。
「能力主義は差別」ってのは、変な考え方ですよ。
目に見えて現れている能力と潜在的な能力も見た上で、どこに力かけて報酬を配分する、とかいろいろ模索した上で、働く人達の能力を見て優劣を決めるのが能力主義です。今はまだ能力発揮できていなくても助け合いでより成果を出していこうとするのは自然です。
信賞必罰という言葉もありますが、成果を出す気持ちをもたないやる気の無い人に報酬を多く払ったりすると、グループの力はどんどん低下します。
そういう意味で、ちゃとらんさんが経営者になればいい、その考えでは失敗することは実践すればわかるし、想像してもわかるだろう。といってくれているのが、一休さんのアドバイスです。
天動説と地動説という例え話が出て、自分が地動説という正しいことを主張していると思いこんでいらっしゃるようですが、今の世の中で、地球平面説を主張するような、不思議な考え方をされている方なんだなという感想を持ちました。(なので、もう関わるのは無駄かなという気持ち)
ゲームを面白く観戦してもらうためには、男女差別はない方がいいし、金持ち球団だけが勝つ仕組みはゲームが面白くならないのでルールで縛る、っていうことは、能力主義ではなく平等主義、という事にはならないですよ。
ちゃとらん
匿名さん… コメントありがとうございます。
> 「能力主義は差別」ってのは、変な考え方ですよ。
結論ありきですね。その変…というところを誰も説明できていないと思います。
> 今はまだ能力発揮できていなくても助け合いでより成果を出していこうとするのは自然です。
ですよね。現時点で能力がなくても適切な配分を行う…というのも、能力主義だとおっしゃるなら、どのような状態でも『能力主義だ~』とおしゃってるように聞こえます。
それは、能力も『加味した』適切な配分をされているだけで、能力主義ではないと思います。
すべての会社経営者が、新卒社員は取らない、未経験者はいらない、他社で実績がないと採用しないというなら、能力主義を実践されていると言えるかもしれませんが、それでも、能力以外の要因で、適正配分をされていると思います。
そのような適正配分されている人たちでさえ、自分たちは『能力主義だ』と主張されているのが、理解できません。
> ゲームを面白く観戦してもらうため…(省略)…っていうことは、能力主義ではなく平等主義、という事にはならないですよ。
では、それらの事例も、『能力主義』だとおっしゃってますか?
私は先の話を、平等主義だなんて言っていません。能力主義『だけではない』という例のつもりですよ。
つまり、匿名さんも一休さんも他の方も、能力主義以外の要素を認めて理解されているにもかかわらず、どうしても能力主義を肯定したいように感じます。