324.能力主義は差別なんです
初回:2023/8/9
今回は、社会の仕組みを変えようという感じの話ではなく、現実社会での対応方法について考えてみたいと思っています。
P子「自分の力でできる範囲で対処しようってこと?」※1
そういう事ですが、タイトルだけでは真意が伝わらないと思いますので、順番に考えていきたいと思います。
P子「でも、タイトルで拒否反応示している人が多いんじゃないの?」
そうでしょうね。でも、それって実は『バイアスが掛かっている状態』で、私から見ると『天動説』を信じている人たちと同じだと思っています。
P子「また、多くの人を敵に回したわね」
1.男女差別はなくすべきか?
P子「当たり前でしょ」
まあ、この辺りは現在の日本人なら表立って男女差別を『肯定』する人はいないかもしれませんが、実際問題としてどうでしょうか?
≪参考1≫
https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20230621-OYT8T50075
【ジェンダーギャップ指数2023】過去最低125位、男女格差の改善どうすれば?
2023/06/21 19:28
今回は、この話ではなく、男女差別はいけない事という事くらいは実践できているかどうかはともかく、理解できていることでしょう。
P子「でも、女性が救命処置のために土俵に上がっただけで大騒ぎになったわよ」
2.障害者差別はなくすべきか?
P子「当たり前でしょ」
そうとも考えていない人たちも、一定数いるみたいで深刻です。
≪参考2≫
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/27/kiji/20230427s00041000252000c.html
車いすギャル「エレベーター乗れない」ミヤネ屋出演後、批判の声...「これは差別」「酷い」励まし続々
2023年4月27日 11:47
サクッと解説すると、『車いすギャル』が(健常者による割込みなどで)エレベータに乗れない問題を訴えたところ、「お前みたいな弱者に税金おさめてんじゃねーんだよ」みたいな声が届いたそうです。
この『車いすギャル』さんは働いて税金を納めているって述べていますが、働いていなくってもいいじゃないかと思っています。
P子「少なくとも、何らかの生活するうえで消費税は払ってるもんね」
あくまで少数意見でしょうが、(匿名だとしても)そういう考えを表立って表明する人たちがいるってことが、結構驚きです。
車いす生活なんて、いつ自分がなるか判らないのに、そういう想像力もないんでしょうか?
3.能力差別はなくすべきか?
P子「ここからが本題ね」
例えば、能力の高い人と、能力の低い人がいて、同じ職場、同じ上司の査定を受ける場合、能力の高い人ほど、昇進が早かったりします。
P子「だって、成果を上げている=会社に貢献している人の方が、報酬が多くなるのは当然じゃないの?」
当然という考え方が、差別を生む土壌になっているというのが、今回のお題です。
会社の経営者から見れば、より多くの成果を上げている方を優遇するのは当然でしょう。それが会社という組織だからです。
さらに言うと、会社経営者から見れば、成果を上げて利益を出してくれるのが人間である必要性すらありません。
P子「AIに仕事を奪われるって話?」
人間が走るより車が走るほうが早いとか、人が運ぶよりトラックや船、飛行機などで物を運ぶ方が早く、多く運べます。これが自動運転やドローンによる自動操縦になると、人は不要になります。
つまり、能力的に、多くの人間より、AIの方が、優っているという時代が、現実に来るかもしれないという時代になりつつあると思います。
P子「能力で差をつけるという考え方自体が、危険だという事なのね」
いつ自分が車いす生活を送らなければならなくなるのか、想像すらできていないのと同じで、平均より能力が高いと思っている人々が、実際はAIより劣っていることに気づいていないというのが、驚きです。
もう一つ、能力主義の落とし穴というのがあって、能力が低い=努力していない という認識を持っている人が、結構多いという問題です。
大谷翔平選手を出すまでもなく、日本の一軍で活躍しているようなプロ野球の選手など、努力だけでなれるものではありません。もちろん、何の努力もせずに到達している人もいませんが、少なくとも平凡な能力の人がものすごい努力をすればなれるのかと問われれば、やはり無理だと言わざるを得ないでしょう。
そこまで極端な例でなくても、一般的な会社で仕事ができる・できないを努力で補う事はありますが、努力さえすれば成果を上げられるとは限りません。能力主義というのは、生まれ持った男女差とか、車いす生活を努力だけで歩けるように出来ないのと同じで、能力の差を持って差をつけることは、差別に相当すると私は思っています。
4.現代社会は、能力で差をつけるのが当たり前
残念ながら、現代社会では能力で差を付けることを悪だと感じている人は少ないと思います。数世紀前の『天動説』を信じている人たちが多くいるのと同じ状況でしょう。
そこで『地動説』を唱えて異端児扱いされ、火あぶりにでもされると困るので、落としどころを見つけたいと思います。
つまり、社会の仕組み的には、まだまだ男女差別はありますが、男女差別を公には口に出さないのと同じで、能力差別を公に口に出さないようにしましょう。
P子「どういう事?」
人には色々な面があります。なので、ある能力が劣っていると感じても、別の秀でている能力の箇所を見つけてそこを褒めて伸ばすようにするという事です。できる人は、普通にそういう振る舞いを行っていますが、我々凡人は意識してそういう振る舞いをする必要があります。
P子「急に凡人の仲間入りをしたフリをして媚び売ってるのね」
まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、凡人の多くは、他人と比較してマウントを取ろうとして心の安心感を得ようとしますが、そんなことをしていては、いつかAIにマウントを取られてしまいます。なので今のうちから、能力で差別を行わない習慣を身に付けましょうというのが、今回のテーマです。
P子「微妙に上から目線って気がするけど、気のせい?」
気のせいです。
5.まとめ
人が走るより車の方が早いのは当たり前です。
AIがあなたより賢いのも当たり前です。
そういう世界で生き残るには、足の速い遅いで差別することもなければ、賢いかどうかで差別することもない世の中でないとまずいことが起こります。
今から、そういう時代に備えた発想力を身に着けるのは重要だと思います。
P子「無理からまとめた感じね」
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「自分の力でできる範囲で対処しようってこと?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
コメント
一休さん
では、あなた自身がそのような全員に平等なホワイト企業を作ってください。
その会社がより良い会社であれば必ず成功するはず。あなた自身も儲かって最高。
ちなみに私は左翼的な他者依存のクレームを言うのではなく、私自身が全員高収入なホワイト企業を設立して、高い報酬を出しながら、毎年黒字です。自分でやれの一言です。
ちゃとらん
一休さん コメントありがとうございます。
> 自分でやれの一言です。
まったく、その通りです。
ただ、ここで言いたいのは、ホワイト企業を作ることではなく、現在の常識が未来でも有効なのかという事を、常に意識しましょうという事です。
『ホワイト企業』、『必ず成功』、『儲かって最高』という単語が並んでいますが、多分資本主義的な思想の上での発言だと思います。なので、私にとっての『ホワイト企業』、『必ず成功』という内容は、一休さんとは異なるのでしょう。
匿名
(能力での}区別と差別は違うので、そこは間違わない方がよいと思います。
> 「能力で差をつけるという考え方自体が、危険だという事なのね」
というところの論理展開が非常にめちゃくちゃだと思いました。
> 人間が走るより車が走るほうが早いとか、
> 人が運ぶよりトラックや船、飛行機などで物を運ぶ方が早く、多く運べます。
すでに、人力車も荷物を運ぶ用途では使われませんし
馬車も能力的に劣るので、馬を世話する仕事も世の中にはほぼ存在しないですよね。
なので、AIに限らず、機械の能力に人間は仕事を奪われてきたんですよ。すでに。
ずっと昔から。
大量のトラック運転手は、過去にいた大量の馬車を運転する人の仕事を大きく奪ったに違いありません。
が、それは悪いことだったのでしょうか?
馬車を運転する人の仕事を奪うべきではないから
自動車は廃止したり制限したり、あるいは重税を行って
馬車をもっと普及させたほうがよかったですか?
大谷選手よりも高速で玉を発射できるピッチングマシンはいくらでもあるのでしょうが
そのマシンに、大谷選手よりもみんなが興奮して熱狂する、ということはないですよね。
野球のゲームが、人間対人間で楽しむものなのですから。
なので、人間とAIを比べるのは意味のないことです。
競争は、AIを使いこなせるような有能な人と、そうでない人、との間で起きます。
そして、競争による能力の差は差別とはいいません。
努力が常に能力に結びつくわけではないのは確かですが
能力による差によって収入などに差をつけなければ、非常に古めかしい共産主義になり
怠惰な人は、怠惰であっても収入を得られるのでより怠惰になり
努力する人は怠惰な人と比べてなんの得する事もないので、努力しなくなり
社会は急速にひどい状態になります。
> 能力主義というのは、生まれ持った男女差とか、車いす生活を努力だけで歩けるように出来ないのと同じで、
> 能力の差を持って差をつけることは、差別に相当すると私は思っています。
明確に全く違う主題ですし、差別には該当しません。
ちゃとらん
匿名 さん、コメントありがとうございます。
> 能力での}区別と差別は違うので…
おっしゃる通りです。
男女で区別するのは当然必要ですが、男女差別はいけません。
さて、私の文章力の問題でもありますが、私はAI否定派でも馬車を守る派でもありません。どちらかというと、AI推進ですし、自動化、機械化は賛成派です。
その代わり、人の働く環境が急激に失われていくとも思っており、それも賛成です。
> 能力による差によって収入などに差をつけなければ、…
さて、論点はここです。
健常者と障害者で差別はいけないから区別しましょう。そして、障害者には等級に応じて補助金を出しましょう。…というのが今の世の中です。金額はともかく、社会主義的な対応ですね。
で、努力しなくても普通に仕事ができる人と、努力しても普通に仕事ができない人がいて、これは区別せず、成果に応じて報酬を与えることは、差別にはならないのか? という問題提起です。
現代社会では、これは当然の結果だとみんなが考えていますが、本当でしょうか? というところを、もう一度冷静に、フラットに考えてみてはいかがでしょうか?
> 努力する人は怠惰な人と比べてなんの得する事もないので、努力しなくなり
> 社会は急速にひどい状態になります。
まず、努力と能力は分けて考えましょう。
努力してもできない人もいれば、努力しなくてもできる人がいます。
努力する人を優遇すべきか、能力の高い人を優遇すべきか、どちらでしょうか?
さて、もうひとつの問題は、能力による差をつけない場合、能力のある人は努力しなくなるのでしょうか?一生怠惰に生きるのでしょうか?
それとも、プロ野球選手にはなれなくても、草野球で楽しく人生を謳歌しないのでしょうか?
AI や機械による自動化で、多くの人が働く必要がなくなった世界があるとして、まだ、努力したかどうかで収入の差が生まれると、お考えでしょうか?
# その努力は、ほとんどの人にとっては、機械化によって、意味をなさないレベルになると思っています。
一休さん
「これは差別ではなく区別です」という言葉があります。差別はよくないことだと思われています。ですが、実は、差別には「マイノリティを排除する」「弱者を侮辱したり貶める」みたいな意味はありません。
区別=区分に分けること
差別=分けて差を設けること
本来の意味はこうです。つまり、特定の人たちが「差別だ!差別だ!」といつも言っているから、私たち日本人はなーんとなく「差別==よくないこと」と言う印象を持ってしまったのです。
ですから、実は差別=悪ではないのです。単に分けて差を設けることです。
例えば、自国民は徴兵に応じる義務があるが、外国人にはその義務はないと言ったことも、住民を国籍で分けて、負う義務に差を設けてるわけです。一時滞在の外国人より国民の方がそりゃ納税だとか徴兵だとか義務は大きいわけです。
会社だって、能力に応じて、できる社員とそうでない人を分けて、待遇に差を設けてよいのです。もし、ちゃとらんさんがそう思わないのであれば、自ら会社や組合を作って事業をすればいいのです。
日本には、事業組合・漁協・農協とたくさんの組合があります。漁協の中には完全に平等に利益を分配している漁協もあります。
合同会社は出資比率によらず自由に平等に配当することも許されています。NPOのように、出資者が配当を得ることが許されていない組織すら、日本では許可されているのです。
さっさと独立してお前自身がお手本となれ!です。
ちゃとらん
一休さん、コメントありがとうございます。
> なーんとなく「差別==よくないこと」と言う印象を持ってしまったのです。
> 実は差別=悪ではないのです。単に分けて差を設けることです。
男性と女性を分けて、差を設けること…自体は、男女差というのがあるので『悪』ではないかもしれませんが、ここで問題になっているのは、その『差』が不当な場合だという事です。
つまり、女性は政治的判断ができないから参政権を与えないとか、女性は外科医になりたがらないから、入学試験の点数を下げるとか、そういう行為が『悪』だと認識されています。
逆にスポーツなどで男女差を設けずに行えば、身体能力の差がでて、それこそ不公平になるでしょう。
スポーツの男女差を持ち出して、差別は悪ではないという主張と、徴兵の例は、同じ土俵です。
一応言っておくと、徴兵制はある意味平等ですが、志願兵の場合は、金持ちは志願せず、就職できない若者ばかりが志願するという事になるので、自由意志の様に見えて実は差別的な行為になります。
さて、ここでの私の主張は『会社だって、能力に応じて、できる社員とそうでない人を分けて、待遇に差を設けてよいのです。』という現代の常識を、一旦疑ってみても良いのでは、という事です。なので、正論っぽい事をいくら主張されても、『その通りです』としか言えなく、逆にその考え方自体を見直してみては? というのが主題ですので、平行線になってしまいます。
そのあたりが、『天動説』を信じている人は、簡単には『地動説』を信じられないゆえんです。
ちなみに、『天動説』を信じている人に『お前は間違っている』という主張をしているつもりはありません。現代において、一休さんの信じておられる世界は正しいのだと思います。
匿名
> で、努力しなくても普通に仕事ができる人と、
> 努力しても普通に仕事ができない人がいて、
> これは区別せず、成果に応じて報酬を与えることは、
> 差別にはならないのか? という問題提起です。
差別にならないですよ。区別です。
努力しなくても普通に仕事ができる人は、それまでの積み重ねとか、自分の能力がその仕事にマッチしているものを選ぶことを真剣にやってきたから、それなりの結果をだしていて
努力しても普通に仕事ができない人は、それまでの積み重ねもうまくいかず、能力もマッチしておらず、それを切り替える選択ができなかったりして、結果をだせていないのでしょう。
努力してもだめだ、と、いろいろなことをすぐにあきらめた人はうまく行かず、
そんなことを思わずに継続して努力し続けて積み重ねていって、うまくやれるようになるから世の中、まともなんですよ。
何らかの運不運などはあるにせよ、それを努力でがんばってはねのけようとして結果だせていく人を正しく評価するのが、正当な区別です。
「努力しても普通に仕事ができない」ということは、単に言い訳にも使われますし、努力がたりないのか、選択が間違っているとかです。
そういう人でも、もっとうまくやれる方法を見つけられるといいとは思いますが、うまくやれないのにうまくやれている人と同じ評価と同じ収入、という事になるのは、社会主義ですね。
社会主義を信じるのも自由だと思いますが、たぶんうまくいかないですよ。
> それとも、プロ野球選手にはなれなくても、
> 草野球で楽しく人生を謳歌しないのでしょうか?
なんか、だいぶよくわからない感じな話しをもってきますね。
楽しめばそれでいいと思いますが
あなたの主張していることは、草野球レベルの技術の人が、プロ野球選手と同じ収入が欲しい。
球団がそうしないのは、差別だ!
ということですよね。冷静にフラットに考えてみてください。
変じゃないですか?
ちゃとらん
匿名さん、コメントありがとうございます。
最初にはっきり言っておきますと、匿名さんのおっしゃっていることは、完全に正しいと思います。ただし、現在社会では・・・という条件付きです。
能力が高く、努力せずに成果を出している人は、過去に努力したり、能力に合った仕事を自分の力でつかみ取った…的なニュアンスですが、そういう人もいますが、そうでない人もいることを理解してください。
自分の力ではどうしようもない場合もあります。そういう人達にも自己責任を主張されているように聞こえます。
> 草野球レベルの技術の人が、プロ野球選手と同じ収入が欲しい
これはたとえ話で、会社でプロ野球レベル(=人工知能)と草野球レベル(ほとんどの社員)になった場合、ほとんどの社員は無給でもよいと思われますか。
そういう時代がもうすぐそこに来るかもしれません。
> 冷静にフラットに考えてみてください。
> 変じゃないですか?
そうなんです。私の主張は変です。
何度も言うように、『天動説』の時代に『地動説』を唱えているのですから。
保守自由主義入門者
多数派意見と少数派意見の構造を、物理的な事象としての正誤である「地動説と天動説」に例えてしまうと、感情的な反論を煽ってしまうように思います。
「差別」については価値観に基づく問題であると私は考えておりますので、
例えるのであれば「カトリックとプロテスタント」や「シーア派とスンナ派」等の方が……
いや、これもハレーションを起こしてしまいそうな例えですね(汗)
私自身の意見については後ほど記入させていただきます。
保守自由主義入門者
はじめに、以降で述べている各組織の価値観については、日本の国法を遵守していることを前提としたものであることをご承知おきください。
本件について問題提起する場合、「組織の目的」という視点も重要になると思います。
たとえば「プロ野球チーム」と「草野球チーム」では組織の目的が大きく異なります。
そのため、能力に応じて差を設ける事の意味合いについても、同一視することが難しいのではないでしょうか。
会社組織においても、「組織の目的」は組織ごとに異なりますので、能力に差を設ける基準も同一視できないと考えます。
前の投稿で記載したとおり、「差別」は価値観に基づく問題であると私は考えています。
価値観に基づく問題であるため、全ての差別に対して「絶対的に正しい基準」を設定すること自体が実現不可能であると思いますし、実現させようとすると全体主義社会になってしまう危険性があると思います。
私自身は自由主義者ですので、社会全体に同一の価値観を強要することは好ましくないと考えています。
法律によって「女性役員の比率を○○%以上にすること」等と規制する公権力の介入は言語道断だと思います。
組織の目的を達成するために、「女性社員を多く採用した方が有利」という価値観の会社組織があっても良いですし、「男性社員のみを採用した方が有利」という価値観の会社組織があっても良いと思います。
そして、個人個人の価値観に基づいて「価値観を共有できる会社組織」に参加すると良いのではないでしょうか。
理想を述べますと、価値観を共有できる組織に任意に参加でき、価値観が異なると思ったら任意に脱退できる仕組みが構築できれば良いかなと思います。
組織Aでは低く評価されていた人も、組織Bで高く評価されるケースも多くあるのではないでしょうか。
ただ、現代日本においては退職金制度等の影響によって、組織への参加・脱退の頻度を阻害されているように思いますので、難しい問題ですね。
長々とコメントいたしましたが、「差別」であるか否かについて全く触れていない事に気づきました(汗)
おそらく、私自身は差別ではないと感じているから触れていなかったのだと思います。
長文、失礼いたしました。
ちゃとらん
保守自由主義入門者さん、コメントありがとうございます。
> 「女性役員の比率を○○%以上にすること」等と規制する公権力の介入は言語道断
それに関しては、同意見です。
> 「女性社員を多く採用した方が有利」という価値観の会社組織があっても良い
これに関しては、その組織単独であれば有利に働くとしても、社会の一員としての組織であれば、有利・不利だけではなく社会的責任として考えていただきたいと思っています。
その組織が社会的責任で多少の不利益を受ける場合と、自社の利益のみを追求する組織が有利に働くならば、公権力が介入してきます。
そうならないように、自社の利益のみを追求しているような会社は、社会が許さないという状況にならないと、まずいとも思っています。
この社会というのが、結局個人個人の消費者になれば、少しでも安い物を求めるのか、社会的責任を果たしているちょっと値段の高い商品を買うのか、という選択になりますが、これまた、制御できないので、困ったものです。
この辺りが、自由主義だけでは解決できない問題で、社会主義・共産主義とのミックス度合いが重要ではないかと思っています。
ちゃとらん
保守自由主義入門者さん、少しコメントを分けて返したいと思います。
> 価値観を共有できる組織に任意に参加でき、価値観が異なると思ったら任意に脱退できる仕組みが構築できれば良い
これまた、同意見です。
ただ、会社に就職・転職という形ではなく、個人が複数の組織に所属する(副業とは少し違う)という形で、さらにその参加の仕方も個人の状況に応じて行えれば良いと思っています。
現実社会で言うと、オープンソース系の開発などです。
その場合、重要なのは能力や評価ではなく、個人個人のモチベーションに依存すると思っています。最大の問題は、報酬をどうするか…なんですけど。
そのあたりが、ベーシックインカムとか、オープンソースを利用して利益を上げる企業への課税などで賄えないか? というあたりが、私の個人テーマ(関心事)です。
一休さん
長文書くと話が分散するので・・
<組織存続>
能力給を辞めて平等に配分する会社は基本的には倒産します。それが分かっているから、誰もそれを実践しないのです。
「能力でセグメントを別けて、待遇に差を設ける(良い差別)」
<差別の意味>
差別とは、別けて差を設けることです。
重要な点:差別そのものは悪いことではないこと。差別の中に許容されない悪い差別があること
ちゃとらん
一休さん、コメントありがとうございます。
> 長文書くと話が分散するので・・
助かります。
> 能力給を辞めて平等に配分する会社は基本的には倒産します。
オーケストラは、楽器の差による給料の差はないという話を聞いたことがあります。
そもそも、高度経済成長期の日本は、能力より年功(功というより勤続年数)で給与が決まっていました。まあ、それが良いかどうかを議論すると、話がややこしくなります。
現実問題として、多くの会社は、能力に関係なく給与を配分しています。(営業と技術と経理とか)同じ職種内では差をつけていることでしょう。なので完全に能力差で給与を決めていません。
> 差別の意味
言葉の定義についての議論は止めておきましょう。
現代では、差別の定義は、悪い意味で使われることが大半なので、例え良い差別があったとしてもそれを持ち出して差別は悪くないという議論は、意味をなさないと思います。
> 「能力でセグメントを別けて、待遇に差を設ける(良い差別)」
待遇の差が、2倍なら許容できるとか、1万倍なら許容できないとか、程度の問題がありますので、良い・悪いの判断は、これだけではできないと思います。
名無しB
とても興味深く拝見しました。
私は無理のない論理展開だと思いましたよ。
手が不自由で仕事がはかどらない人と、考えが足りず仕事がはかどらない人、
同列に考えられないか? 明日は我が身かも、ってことですよね。確かに。
いま、仕事に対してセンスがなさすぎるお荷物な部下がいるのですが、
自分も転職前の業界では、まったく使えない人材だったんですよね。
努力も大事だけど、どうしたって向かない仕事ってのはある。
その考えから、その部下には粘り強く接し続けて、信頼を得ていますが、
今回のちゃとらんさんの提言で、裏付けをもらった気分です。
会社は社員を異動させる権利を持ってんだから、その人が輝ける場所に配置しろと。
だから均一給与ってのも、まったくおかしな話ではないと思います。
全方面に使えない人材もいないとも限りませんが、そこは育て方を工夫するとか。
まぁ、均一給与の話はやや理想論としても、少なくとも自分には「能力で差別を
行わない習慣を身に付けましょう」という結論は深く刺さりました。そうありたい。
ちゃとらん
名無しBさん、コメントありがとうございます。
うまくまとめていただき、ありがとうございます。
> まぁ、均一給与の話はやや理想論としても、
ははは・・・ その通りですね。私も無理筋というのは理解しています。
> 「能力で差別を行わない習慣を身に付けましょう」という結論は深く刺さりました。
この、『習慣を身に付けましょう』という表現は、人に伝える場合に非常にわかりやすいと思いました。
# タイトルをそういう風にしとけば、良かったかも。
匿名
> 現代では、差別の定義は、悪い意味で使われることが大半なので、例え良い差別があった
> としてもそれを持ち出して差別は悪くないという議論は、意味をなさないと思います。
> 待遇の差が、2倍なら許容できるとか、1万倍なら許容できないとか、程度の問題
良い悪いを決定するのは、株主と経営者です。株主は出資金を用意する、経営者は出資金を増やす、この課題を抱えて市場で戦っているんです。次元が違うとはこのことです。
経験の浅い人、優秀でない人、努力が嫌いな人に平等に高給を払うことで出資金が増える、株主が配当金を受け取れるというモデルをちゃとらんさんが作れるなら作ればいいですよ。
ちゃとらん
匿名さん、コメントありがとうございます。
> 良い悪いを決定するのは、株主と経営者です。
・・・んんんん。
世界が株主と経営者だけで成り立っているんでしょうかねぇ。
そういう世の中に向かっていることは理解しているつもりです。
だからこそ、一度立ち止まって考えてみては? という話のつもりでした。
> 経験の浅い人、優秀でない人、努力が嫌いな人に・・・
経験が浅い(新卒学生)優秀でない(適材適所でなかっただけ?)努力が嫌い(身体に障害があるとか)も含めて、企業としては不要な人材ですが、それを言うと社会が成り立たないのでは?
そういうことは大企業に任せて、中小企業は生き残ることだけ必死に考えればよいという事でしょうか?
困った人だ
>何度も言うように、『天動説』の時代に『地動説』を唱えているのですから。
違うよ。
君の主張は何度も言うように、『地動説』が証明された時代に『天動説』を今更唱えているから、馬鹿にされたり無視されたり批判されたりしているのでは?
ちゃとらん
困った人だ さん、コメントありがとうございます。
先に別の方にコメントを頂いたように、物理的な事象としての正誤である「地動説と天動説」を例に挙げたのはまずかったと思います。
> 『地動説』が証明された時代に『天動説』を今更唱えているから
そうかもしれませんが、現実社会は、完全な能力主義でも完全な平等でもありませんから、どちらが正しいか証明されていません。
この、『正しさ』も何をもって正しいとするかも決まっていないので、さらに複雑な課題になっているのでしょう。