294.日本では心理的安全性の確保は難しい
初回:2023/1/11
Kyonさんが『心理的安全性の高いチームってなんだ』というコラムを書かれていましたが、私も以前から興味があったのですが、直感的に難しいと感じていました。そこで、もう少し論理的に考えてみようと思いました。
P子「本気の心理的安全性って言うタイトルじゃないの?」※1
1.前提
ここでは、ややこしい学術的な話は各自で調べて頂くとして、話を進めるための前提となる事柄を明確にしておきたいと思います。
Kyonさんのコラムの参考URLの『Google re:Work 「効果的なチームとは何か」を知る』の中から、心理的安全性についての定義を引用します。
・心理的安全性: 心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。
さて、ここで3つの側面から考えてみましょう。つまり、自分、チームのメンバー、そして上司です。
まずは、メンバーからです。
他のメンバーがおかしな発言をしても、『無知、無能、ネガティブ、邪魔』だと思わない状態って、一体どういう事でしょうか?
P子「例えば、成長するための質問なら、誰もバカにしないと思うわ」
例えばネットワークのプロがアプリケーションの初歩的な質問をしたとしても、バカにはしないでしょうし、チームの若いメンバーが同様に初歩的な質問をしても、無能だとか邪魔だとか思わないと思います。そういう質問が、自身の成長の為の質問だとすれば、メンバー個人の能力の底上げにつながり、チームの総合力の向上にもつながります。
次に上司からです。
例えば、上司のアイデアやチームの結論が出たとして、それに反対するような意見をメンバーが出した場合、上司に単なる異端児として扱われないケースというのは、どのような場合でしょう。
P子「反対意見が単なるいやがらせとかでない場合?」
反対意見を前向きにとらえられるケースと言ってもいいでしょう。例えば、ディベート的な発言なら、上司も検討するかもしれません。それは単なる反論ではなく賛成・反対を超えた所で、アイデアを精査するには良いと思います。
最後に、本人です。
上司もメンバーも『無知、無能、ネガティブ、邪魔』だと思っていないとして、本人が言えないと感じるケースというのは、上司やメンバーを信頼できていない場合でしょう。信頼できていないという事は、信頼もされていないという事です。自分がメンバーに信頼されて初めて、メンバーの事も信頼できるという事です。
P子「逆じゃないの?」
例えば、上司もメンバーも優秀で尊敬しているとしましょう。そして自分の能力の未熟さも知っているとしましょう。そんな中で、無知をさらけ出すような質問、間違っているかも知れない意見などを出せるでしょうか?出したとしても、上司もメンバーも、誰もバカにしないとしても、信頼できないでしょう。それは、自分が信頼されていないと感じている限り、上司もメンバーも信頼できないと思います。
P子「どうやれば信頼してもらえるの?」
常に努力を行い、上を目指す...上って役職とかではなく勉強しているという意味合いです。
2.現実
さて、馴れ合いのチームの場合、心理的安全性は高くなります。でもそんなチームを目指しているわけではありません。目標は高く、それでいて心理的安全性が高くないと、成果を出せるチームには成長しません。
P子「目標が高いだけで心理的安全性が低ければ、ブラックチームになるわね」
さて、そのようなチームというのは、メンバーの皆が勉強し他のメンバーを尊敬しているケースですが、メンバーの中に勉強しない人が混ざっていたり、マウントを取りたがる人がいたり、上司としてメンバーの査定をしなければいけない人がいる場合、チームとしてまとまるでしょうか?
P子「メンバーの査定をしなければいけない上司って普通にいるわよ」
チームのメンバー内にリーダーがいて、リーダーはメンバーの査定をしない場合、メンバー内での『密談』は外に漏れる事もなければ、無知、無能と思われるリスクは軽減されますが、リーダーが上司でメンバーを査定する場合、無知、無能と思われるわけにはいきません。
チーム内から、勉強しない人、マウントと取るような真似をしない人、査定しない人だけを集める事が可能でしょうか?
例えば、組織横断型に優秀なメンバーを集めてプロジェクトチームを結成した場合、それぞれがプロ意識を持った人材なので、心理的安全性の高いチームを構築する事が出来る可能性があるかもしれませんが、職場内にチームを結成した場合、メンバーの能力や性格をある程度把握している状態で、かつ先のチーム内にふさわしくない人材をチームから外すことも、ほぼ不可能でしょう。
例えば、たまたま優秀な人材で心理的安全性の高いチームを構築する事が出来たとしても、ある組織に所属するチームすべてを、心理的安全性を高くすることは不可能でしょう。...日本では。
3.日本では心理的安全性の確保は難しい
P子「なぜ、日本じゃ出来ないの?」
簡単に言うと、アメリカと日本の働き方の違いでしょうか?
まず、日本では法律的な要件もあり、簡単にクビを切れません。人材の流動性が異なります。もちろん、会社にクビを宣告されるケースもありますが、勉強してより待遇の良い会社へ移るケースも受け入れ先が豊富にあればこそ可能になってきます。つまり、優秀な人材というより、努力して勉強して優秀な人材が出来上がり、それらが集合してさらなる上を目指すという環境が出来ています。
日本では正社員は、クビになりにくい代わりに、受け入れ先も少ないと言わざるを得ません。
P子「じゃあ、フリーターや非正規社員は?」
フリーターや非正規の優秀な人たちが、チームを組んでプロジェクトを遂行する...みたいな環境があれば非常に良いのですが、どちらかというと正社員...有能か無能かはおいておいて、が、プロジェクトリーダー等を務め、フリーターや非正規のメンバーが、対等に議論できるのかというと、まだまだそういう環境には達していないと思われます。
P子「なら、アメリカのような社会が良いと?」
そこが問題です。その場合、能力のない人は淘汰されるでしょう。そもそも、日本の場合、優秀な人は人材不足ですが、無能な人は余っています。
P子「言い過ぎね」
言い方を変えれば、本来きちんと勉強して努力している人なら優秀になれますが、クビの心配が少ない正社員の場合、目的をもってきちんと勉強してきた人は少ないと思います。あくまで仕事上、必要な事は勉強してきたかもしれませんが、それ以上に勉強してきた人は少ないでしょう。
4.では、どうするか
元に戻すと『効果的なチーム』を構築する大きな要因として『心理的安全性』が重要という事ですが、残念ながら日本では定着しないでしょう。
それより、要因としては小さいかもしれませんが、他の要因から改善を始める方が良い気がします。
・心理的安全性
・相互信頼
・構造と明確さ
・仕事の意味
・インパクト
少なくとも、構造と明確さ、仕事の意味、インパクト については、組織の管理者が率先して改善する事が可能でしょう。そういう事から、順番に改善する事で、『効果的なチーム』に一歩近づけると思います。
さらに、フリーターや非正規社員を上手く活用する事で、心理的安全性の高いチームを構築できる可能性が高くなると思います。
5.まとめ
『心理的安全性』というブームが、日本に定着するかどうか判りません。
ただ、正社員で構成する場合は無理でしょう。しかし、理解あるリーダーがフリーターや非正規社員とチームを組んだ場合、『効果的なチーム』を構築できる可能性はあると思います。
さらに、今後、副業を許可する企業が増えれば、正社員でありながら独立した人材として企業の枠を超えたプロジェクトチームが構築できれば、『効果的なチーム』の構築ブームが起こるかもしれません。
P子「ブームというより、今の日本に必要なのは、経済再生だと思うけど」
経済問題については、またの機会に改めて考えたいと思います。
P子「前回も、言ってなかった?」
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「本気の心理的安全性って言うタイトルじゃないの?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
コメント
じぇいく
あえて短絡した表現をすると、「査定する人がチーム内にいると、無能をさらすわけにはいかないので、心理的安全性が確保されない」というご主張と理解しました。
しかしこれは査定が現時点の能力に対する評価として行われることが前提となっているように思います。
私の属する組織の評価制度もそうですが、若年層ほど能力や成果ではなく取り組みの姿勢やプロセスを重視して査定が行われるような制度を持つ企業も多いはずです。
(出世欲バリバリな意識高い系の人材にはそれが不満となっている、という話もありますが)
流動性の低い労働市場を前提としたときに、組織の中でいかに人材を育んでいくかという命題に対するチャレンジがそうした制度が作られた背景にあるはずです。
心理的安全性というキーワードが注目されていることは、そうした評価制度の背景にある意図が改めて正しく認識されるチャンスだと言えるんじゃないかなと私は考えています。
もちろんクソみたいな会社、クソみたいな上司がクソほどいるというのもまた一面の真実だとは思いますが、ペシミスティックになり過ぎるとそれこそ心理的安全性がダダ下がりますのでー。
ちゃとらん
じぇいく さん、コメントありがとうございます。
ザクっと要約すると
・査定する人がチーム内にいると、無能をさらすわけにはいかない
・流動性の低い労働市場(流動性の高い非正規雇用者の待遇があまりよくない)
が、「心理的安全性の確保が難しい」二大要素である…と言えるかもしれません。
> 流動性の低い労働市場を前提としたときに、組織の中でいかに人材を育んでいくかという命題に対するチャレンジがそうした制度が作られた背景にあるはずです。
というのは、至極真っ当なご意見というか、そうしたチャレンジをしている会社が伸びていくんでしょうね。