188.資本主義に毒されているのか?
初回:2021/11/17
資本主義を批判しているわけではありません。
P子「いつも批判してるじゃん」(※1)
誰が何と言おうと、世界中が資本主義の真っただ中にあります。これは社会主義であろうと、共産主義であろうと、絶対君主制であろうと、資本主義の枠組みの中にあります。なので、資本主義を批判したところで、どうしようもない事実があります。
P子「だからと言って、黙ってもいないでしょ」
1.水を飲むだけで死ぬこともある
例えば『水』は人にとって生きていくうえで重要ですし、多少ならがぶ飲みしても問題はありません。しかし、水飲みコンテストでの死亡例もあるように、一度に大量に摂取すると体にとって毒になります。同じように、資本主義が『あたりまえ』になり、さらにこれを『最優先事項』と捉える思考に陥ってしまうと危険だと思います。
《参考資料》
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/11/14/kiji/20211114s00041000453000c.html
ひろゆき氏「真面目であることの価値はゼロ」HUNTER×HUNTERの冨樫氏を例に持論展開
[ 2021年11月14日 16:00 ]
例えば『真面目の価値はゼロ』とか『遅刻をしないことより、成果をあげることの方が大事』などの考え方には、私は賛同しかねます。
P子「資本主義というより、成果至上主義なんじゃない?」
資本主義の目標は、資本を増やすことです。資本を増やすには成果を上げる、効率よく活動する必要があり、つまり、成果を上げる人が成果を上げない人より重要視されるという事です。さらに付け加えると、成果が低い人、成果を出せない人はこの世界に必要ないどころか、お荷物だという思想につながってきます。
2.『遅刻』は他人の損失より自分の利益を追求する行為
少し、思考実験してみましょう。
『遅刻』という概念について、世界に自分一人しかいないとすれば『遅刻』に意味はあるのでしょうか?遅刻しようが何しようが、関係ありません。という事は『遅刻』は他人との関係に依存するという事です。一方、成果を上げるというのは、世界に自分一人しかいない場合には重要です。衣食住を自分一人で調達するには、成果重視でないと非効率になります。成果は自分自身の利益に直結します。つまり、遅刻と成果の優先順位付けは、他人との関係と、自身の利益の優先順位付けを行っていることと同じです。
『遅刻』によって、他人の損失が発生することよりも、自身の利益を追求するのが素晴らしいというのは、資本主義に毒されているのではないかという事です。
これらは『程度の問題』という事を言っておきたいと思います。確かに資本主義において成果は重要です。
ひろゆき氏の例でいうと、時間厳守で成果がないケースと、時間は守らないが成果があるケースで比較しているので、なんとなく時間を守らない方がよさそうに感じますが、例えば、『186.フリーランスになれない条件』であげた、『3.出所不明のたとえ話』の素晴らしい成果だが、完成しない礼拝堂の彫刻の場合なら、どっちもどっちとなるでしょう。
P子「完成しないんじゃ、成果にもならないでしょ」
という事は、そもそものたとえ話が、成果がゼロと成果があるものを比較しているので、そりゃ成果があるものの方が良いと『錯覚』するでしょう。
比較するなら、必ず時間厳守するが、売上100万円のケースと、遅刻で原稿を飛ばすが、掲載された場合は、売上300万円だが、掲載されるのは年間4回程度の確率とする場合、つまり、成果が同じ場合なら、どちらが良いか...からスタートすべきでしょう。
P子「スタートって?」
スタッフの時間的損失などを考えると、成果が同じなら時間厳守する方が仕事がやりやすいという事は明白です。なら、成果がどれくらい多ければ、遅刻が許されるかという問題になると思います。
P子「スタッフの時間的損失や飛ばした場合の損失の合計を超えるかどうか?」
それだけでは、スタッフの精神的苦痛に対する手当が含まれません。
3.さらに複雑にしてみる
たった一人の作家の成果だけで雑誌は成り立っていません。色々な作家がいて、色々なスタッフがいて、その中での複合要因が複雑に絡み合っているので、一人の作家が間に合わなかった場合、あちこちに多大な影響が発生します。つまり、その作家の作品が掲載されない場合の損失が、本当に遅刻をフォローしていた時の損失に匹敵するのか、判断する必要があります。遅刻する作家の掲載を終了して、新人作家の連載をスタートさせた場合、売り上げが減少するかもしれませんが、どれくらいの減少幅ならカバーできるかも考慮する必要があります。もしかすると大ヒットするかもしれませんし。なら、そんなスタッフに迷惑をかける遅刻魔をいつまでも使い続ける必要があるのか、判断が必要です。
P子「そんなの、やってみないと判らないわね」
つまり、遅刻と成果の大小を天秤にかけるのは無理があるという事だと思います。
先の遅刻の例も、1~2時間ならスタッフの頑張りでカバーできるなら、原稿に穴は開きませんし、それが毎回ではなく、数年に1,2回程度なら許せる範囲...かもしれませんし、そもそも許せる範囲という事は、損得勘定がすでになされているということです。もし、許せる範囲でなければ、その作家は掲載終了させられていると思います。
P子「そもそも、締め切りは守るけど成果が出ない作家なら、とっくに切られてるわね」
そういう事です。なので、成果が少なく遅刻も少ない作家と成果が多く遅刻も多い作家とどちらを選ぶか...という質問にすべきです。
話を戻すと、結局、どちらがより利益を上げられるか...という事になるので、遅刻と成果の比較ではなく、利益の比較になり、まさに資本主義の土場での比較を行っているだけの事です。
4.資本主義にどっぷり
資本主義的な発想で成果を重視するのは、世界的な資本主義の中での行為なのである程度は仕方ないと思います。しかし、他人の利益は無視して、自分の利益のみを追求する風潮は、資本主義に毒されていると思われます。
資本主義が行き過ぎると、水の大量摂取と同じで、毒になります。
P子「過ぎたるは猶及ばざるが如し...ね」
ほんの少し前にあった『生活保護者よりねこの方が上』炎上事件でも『生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃない』...って、税金はそういう所にも使うんだという事を知らないんでしょうか?
P子「しれっと再開してるそうよ」
ファンがいて、再開を喜ぶのは自由ですが『ろくでもないホームレスや生活保護受給者に気なんて使わなくていいと思う』というコメントもあるそうで、本人だけではなく、一般人の中にも、資本主義に毒されている人がまだまだいるようです。
資本主義や需要と供給の原理だけが独り歩きしだすと、『役に立つ』より『利益の大きさ』が尊重され、『善い行い』より『利益の大きさ』、『人類の為』より『利益の大きさ』、『倫理的な正しさ』より『利益の大きさ』が優先されます。
そうなると、次第に思考が毒されていきます。
良い例が「フォード・ピント事件」でしょう。興味のある方は、ご自分で検索してみてください。
エンジニアは、こういう資本主義的な毒素に対して、『役に立つ』『善い行い』『人類の為』『倫理的な正しさ』を追求して欲しいものです。
P子「無理からエンジニアライフ的なコラムにしてない?」
てへ(※2)
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「いつも批判してるじゃん」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
※2 てへ
軽くグーを作って自分の頭をこつんとしながら、ペロッと舌を出します。遠くから見ると「シェー」に見えるのでご注意ください。