051.今、流行の「どれが本当でどれがデマか?問題」に便乗します
初回:2019/10/30
1.流行に敏感です
P子「最近ブログの方のタイトル、手抜きしてない?」(※1)
今回のネタは『どれが本当でどれがデマか?』(手塚規雄さん)を受けての『デマ上等』(Anubisさん)に対する【全力ツッコミ】なんですが、実は、その前の『台風の報道を見て政治のことも知っとかなくっちゃと思った話』(abekkanさん)とそれを受けた『プログラミング教育よりも教えておきたいことがある』(Kyonさん)に対して書いてみたいことが、かぶってきたので一気にまとめてみようと思った訳です。
2.ますは『デマ上等』への全力ツッコミ
さて、元ネタの手塚さんの主張の要点はと言うと...
・真実と嘘を見分けるのはとても難しい
・見分けるための一次情報源の調査の手間が大きい
・デマ拡散の手助けにならないように注意しないといけません
・正しい情報であっても浸透させるのは難しい
この話を、自分なりに時系列で整理すると、以下の3段階のレベルがあると思っています。
①世の中の情報が真実かデマかを見分ける(第一段階)
②真実と信じて、世間に(親切で)広める行動(第二段階)
③その情報を使って行動を起こす(第三段階)
ここでは(あえて)触れられていない、デマ情報に対して『行動を起こす人々』に対しての意見です。有名な所では「ガラケーの女」に間違えられた会社経営の女性がインスタグラムに大量の誹謗(ひぼう)中傷が寄せられ、女性が代表を務める会社にも同日だけで280件の電話があった...という件です。
また、古い所では、小保方氏犯人説に関する過熱報道ですね。
『行動を起こす人々』ですが、デマ情報でアクションを起こすのはダメで、真実なら良いのかと言うと、真実でもダメでしょ!と私は思っています。なので、今回のテーマとは違う話になるので、また別の機会にまとめたいと思います。
P子「『デマ上等』へ突っ込んでないわよ」
今からです。
実際、ツッコミ所が満載なので、ひとつづつ反証すると大変なので、一言でまとめると、第一段階の真実かウソかを判断する話だけで、第二、第三段階の話がない事です。残念ながらそこまでの議論では正しい結論は出せないと思っています。
『デマ云々言うなら、本屋行って本を買ってくれ』の主張に対しても、本が正しい、新聞が正しい、活字(印刷物)が正しいという論理的保証はどこにもありません。この話は、後でもう一度繰り返します。
『間違えた情報より、不安で判断を間違える方が遙かにリスクが大きい。』についても、そんなことは無いと思っています。間違えた情報を拡散する、それに基づいておかしな行動を起こす人をたきつける事になれば、大きなリスク...それこそ、訴訟沙汰にもなりかねません。
『理論指向を全面否定する』...理論思考...??論理的思考=ロジカルシンキングの事だとすれば、それを全面否定されることを全面否定したいと思います。
P子「一言でまとめるって、言ってなかった?」
デマ情報でした。
3.学校で教わらなかったこと、教えるべきこと
実は、本当に書きたかったのはここからです。
三権分立や衆参両院の事は学校教育で学んでいます。当時は全く興味がありませんでした。大人になってからは、参議院議員は芸能人枠とか思ってましたし...
問題は、学校教育の『目的』は、教育基本法1条(教育の目的)に書かれているのですが、真の目的は『国家に従順な都合の良い均質な労働力の確保』です。
P子「また、国家陰謀論?」
中国や北朝鮮、韓国の反日教育など、国家に都合の良い事を優先的に教えている国があるのですから、日本も自国に都合の良い内容になっている可能性は高いと思います。
アメリカでは、今でも日本への原爆投下(※2)は、戦争終結を早め多くの自国民を救ったという理由で正当化している人達がいます。
しかし、私の個人的な意見としては、
①日本がもうすぐ降伏するという情報をアメリカは掴んでいた(暗号が解読されていたとのうわさ)
②ウラン型とプルトニウム型の2種類の原爆を使用(どう考えても実験としか思えない)
③落とす場所は軍事的な要因より天候や地形の要因が優先された(後で実験結果を評価するため)
つまり、日本が降伏しちゃう~折角作ったのに実験したい~えーい落としちゃえ。というノリです。そして京都市に空襲が少なかったのも、三発目の原爆投下候補地だったという説が有力です。
P子「この辺りも真偽不明なわけね」
ま、そういう事です。
私も引用によく使うウィキペディアですが、中国では閲覧を遮断したり、中国共産党の宣伝用に内容を書き換えたりされています。(※3)
デマと言うより国家戦略での書き換えであり、昔から歴史書は当時の国家権力者に都合の良い様に書かれてきたことと同じでしょう。だから、色々な古文書や各種文献を精査して、出来る限りの努力で真実を探ろうとしているのでしょう。
つまり、新聞、書籍、教科書、学校教育もどこまで信用して良いか判りません。
さて、何が言いたいかと言うと、学校教育で実生活で役に立つ政治・経済の話は聞けない可能性が高いという事です。なぜなら、現政治家が自分たちの非を認めるような教育を国民にするはずがないと思っているからです。
4.では、何を信用すればよいのか?
何を信用するか、という問いは難しいのですが、最も重要な事は『言論の自由(表現の自由)』(※4)だと考えています。色々な目や色々な考え方があり、それらを政治的な制約を受けずに表明することも聞くこともできる事が重要だと思います。もちろん、人の悪口や誹謗中傷などまで、何でも言ってよい事はありませんが、あまりにも忖度(そんたく)しすぎるのも良くないと思っています。
よく言われるのは新聞は3社以上読めとか、出来れば海外メディアの記事も読めとか、賛成意見、反対意見の両方を見ろとか言われますが、そういうことが出来るのも『言論の自由』があるからです。
もし、学校教育に取り入れるならば『言論の自由』の考え方、つまり、色々な意見を言い、議論し、人の話を聞き、正しい判断を積み重ねていく訓練です。
その一つの手段として『教育ディベート』(※5)の採用です。(すみません。最近の学校教育で行われているかどうか知りません。)
2つの対立する意見に分かれるのですが、持論と別の意見側になるかもしれません。自分の考えを自分で論破しなければいけないのですが、それが考える力を付けると思っています。また、本来のディベートの様に勝ち負けだけにこだわらず、相手の意見を聞く事も学んでほしいと思いますし『自分の案でもない、相手の案でもない、それらよりももっと優れた「第三の案」』を導き出す様な教育になれば良いと思っています。
そうすることで、人々の多様性を認め昇華し論理的思考力も身に付くので『信じたいことを信じる』とか『情報をそのまま鵜呑みにする』などの行動が少しは抑制されるのではないでしょうか?
これは、自分で考える力が付くと、政府発表などについても見方が変わる可能性があります。
P子「なら、学校教育にディベートが採用されると困る政治家が多から、採用されないわね」
少し補足すると『言論の自由』を論じると『知る権利』が絡んできます。真偽を確かめる、議論するための正確な情報を得る為には『知る権利』が必要ですが、「知る権利」には「プライバシー権」が絡んできて、さらに「国の安全保障」とか「国家機密」とか「企業秘密」などが入ってくると、それだけで話が明後日の方向に飛んで行ってしまいます。
ただ、国家が情報を隠すときは、国民(国益)の為なのか、国家権力(既得権を守る)の為なのか見極める必要がありますが、見極めるには情報公開してもらわないと判断できません。私は、8割以上が既得権の為だと思っています。(※6)
P子「思うだけなら自由ね」
5.最後に...
P子「最後にって、好きよね」
ネットには真実も嘘も誤解も勘違いもあります。自由に書けるし書籍や新聞より信憑性が低いのも事実ですが、色々な考え方を知ることが出来ます。新聞や書籍も色々な意見を見聞きするには良い情報源です。自分が嘘に騙されないようにすることも大切ですし、嘘を(たとえ自分は真実と勘違いしていたとしても)多くの人に広めてしまうリスクに注意が必要です。
だからと言って、ネットを使わないとか、真偽をあいまいなままにしておくという行為は思考停止に陥っていると思います。
さて、皆さんに課題です。
次の記事を、一人ディベートしてみてください。
https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_1443705/
犬猫にマイクロチップ埋め込み義務化 懸念される健康被害
NEWSポストセブン / 2019年9月4日 7時0分
https://news.infoseek.co.jp/article/20191020jcastkaisha201910370440/
「産休中に会社の福利厚生制度で旅行したら非常識?」女性の投稿が大炎上 専門家に聞いた
J-CAST会社ウォッチ / 2019年10月20日 10時0分
できれば自分の意見と反対側の立場で、自分の意見を論破してみてください。
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「最近ブログの方のタイトル、手抜きしてない?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
先々週も、同じ手法を使ってます。
https://el.jibun.atmarkit.co.jp/pythonlove/2019/10/050brilliant_jerks.html
050.今、流行の「Brilliant Jerks問題」に便乗します 2019/10/16
※2 日本への原爆投下
https://kaikore.blogspot.com/2017/08/atom-bomb-on-japan.html
2017/08/06
なぜ日本への原爆投下は正しかったのか? アメリカ人保守層が語るその正当性。(海外の反応)
https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/13/interveiw-dan-sensei_n_17747496.html
2017年08月14日 23時24分 JST
「アメリカ人も原爆について複雑な思いがある」スタンフォード大の研究者、戦争を語る【終戦の日】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/temp/2018/uran_plutonium2018-12.pdf
ウランとプルトニウム - 京都大学 原子炉実験所
※3 中国のウィキペディア
https://www.afpbb.com/articles/-/3225267
中国、ウィキペディア全言語ページを遮断 天安門事件30年を前に
2019年5月16日 13:20 発信地:北京/中国 [ 中国 中国・台湾 ]
https://www.epochtimes.jp/p/2019/10/48127.html
ウィキペディア、中国共産党の宣伝の舞台に 頻繁に改変
2019年10月15日 18時01分
P子「あんなけ言っといて、ウィキペディアを引用するの?」
※4 言論の自由(表現の自由)
https://hbol.jp/200088?cx_clicks_art_mdl=2_title
「表現の自由」が憲法で保障されなくなったら?<あべこべ憲法カルタ・第2回>
このカルタ、面白いので別の機会に取り上げたいと思います。
※5 教育ディベート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88
※6 知る権利と国家機密
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mscom/85/0/85_KJ00009411151/_pdf/-char/ja
知る権利と国家機密
特定秘密保護法を題材に
コメント
熊猫
>『間違えた情報より、不安で判断を間違える方が遙かにリスクが大きい。』へそんなことない
福島第一原発関連への対応とこれに関わる風評被害が、リスク顕在化の好例かと。
>『理論指向』~理論思考~
ロジカルシンキングじゃなくて、理論、ロジックに価値をおきすぎる指向性のことだと思います。そういう人は、自分のロジックにはまれば、デマを強く信じるともいえるので。
>日本も自国に都合の良い内容になっている可能性は高い
否定はしないけど、自国の範囲が広すぎのような。
現状を鑑みるに、役人と左派勢力の既得権益層に都合がいいんじゃないかなと考えます。
>P子「なら、学校教育にディベートが採用されると困る政治家が多から、採用されないわね」
ディベートする過程で現実の偏りを認識する能力を持たれると困るという観点から、政治家より官僚と左派勢力(法律家、教育団体、マスコミ、海外勢力に与するものも含む)が困るかと。
実務的には、弁論に関わる技術が教える時間がない、教える側は偏りを認識する/させることが難しいところが障壁かと考えます。
>国家が情報を隠すときは、~見極めるには情報公開してもらわないと判断できません。
yesでもありnoじゃないかなぁ。普通の人が見て普通でも、害するものから見ればすごく有用って情報多いと思いますし。
>私は、8割以上が既得権の為だと思っています。(※6)
全体でデマを論じ、"既得権の為隠す"ところで論文…の形を借りた、既得権の為に行われているデマとプロパガンダと判断できそうなものを引用するのは皮肉が効いて素敵です。
このコラムの趣旨は、思考停止して情報に流され流し行動しないようにしよう、と思ってます。
私はそこに加えて自分自身のバイアスや、情報の偏り(バイアス)とその意図も思いを馳せては如何かと提案します。
熊猫
追伸:官僚といっても権益と権力を維持したい、人や組織の論理を指してます。
ちゃとらん
>『間違えた情報より、不安で判断を間違える方が遙かにリスクが大きい。』
これは、デマ情報を信じて間違った判断をするのか、デマかどうか不安になって判断を間違えるかの比較かと思いました。デマかどうか不安になるという事は、少なくとも自分で考えた結果、判断を間違ったのであって、何も考えずデマ情報で判断を間違えるよりはるかにリスクが大きいとは思えません、という事が言いたかったのです。
>『理論指向』
これは、google で検索すると、オブジェクト指向が引っ掛かります。つまり、『理論指向』なる単語が広く認知されていなかったので、ロジカルシンキングの打ち間違えかと判断しました。(または、ひっかけ問題のデマ情報だったのかも?)
デマ情報と間違い情報と、戦略的誘導を、分けて議論しないと、難しいですね。それに、物事には二面性があり、どちらも真実という事もあります。その場合、自分にとって都合の良い事は真実で都合が悪いことがデマと思い込むこともあります。
> 自分自身のバイアスや、情報の偏り(バイアス)
このあたりも、合わせて考えないといけないので、なかなか難しい話です。
Anubis
どうも、Anubisです。
一つ返答しておくと、『理論指向』は単なる誤字です。後で見て、「あ、これでも字面を考えてくれれば意味が通じるか」と思い、放置してました。熊猫 さんはそこをくみ取ってくれたようで、ほっとしております。
『デマ云々言うなら、本屋行って本を買ってくれ』これに関して付け加えておくと、情報の是非というより、「情報にお金出せるか」と「本一冊分くらい一つのテーマに付き合えるか」というのが趣旨です。情報の中身より向き合い方ではないでしょうか。
情報の正解・不正解ばかり追っていると、不正解の情報を元に意見を言われた時に対応できなくなります。不正解の情報にも必ずバックボーンがあります。そういうのに向き合ってあげると、不正解の情報に翻弄されている人とでも上手くやっていけるようになれます。
ちなみに全面否定に対しての効果的な対応方法は部分肯定です。全面否定に対して全面否定すると、やってる手段が同じなので、意図せず別の視点で同調してしまうことがあります。これがロジックの思わぬ「抜け」になりやすいです。
ちゃとらん
> 『理論指向』は単なる誤字です。
だと思ってました。なので、誤字の指摘と言うより、デマに対抗する方法は、きちんと論理だてて考える事だと思っています。もちろん、デマを見抜くことは論理思考だけではできませんが、考えることを放棄するのは如何なものか、という事です。
> 全面否定に対して全面否定すると、
まあ、これはノリです。
デマ上等自体が釣りぎみなので、いっちょかみしただけで、実際に言いたかったのはネットの情報も信用できませんが、権威ある人による書籍や記事も信用できない(もちろん信用できなさの度合いは異なりますが)という事です。
ネットも書籍も権威ある人の記事も、正しい所もあれば間違い、デマ、勘違い、誘導などもあり、受け取る人のバイアスや「信じたいことを信じる」とか物事の二面性とかありますが、そういう情報過多の中で取捨選択するには、全面否定された『論理的思考』が重要な役目を担うと考えています。
そういう中で、私が最も信頼しているのは『言論の自由(表現の自由)』なので、Anubisさんや熊猫さん、他のブロガーさん達の多種多様な意見は、非常に参考になると思っています。