ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (48) あなたの夢をあきらめないで

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 「ゲームの設定を考えていたのは知っていましたが」木名瀬さんはため息をついた。「ここまで細かく考えていたとは知りませんでした」
 ぼくと木名瀬さんは、複合機の前にいた。古里氏が牧野社長の設定ノートを預かりたいと申し出たが、現物をそのまま渡すことを社長は許可せず、ぼくがコピーを命じられたのだ。古里氏が「できればデジタルデータで」と要望したため、ぼくは木名瀬さんに助けを求めた。オフィスの複合機は、スキャンしたデータをTIFF 形式ファイルで保存する機能があるが、保存先の共有フォルダの設定方法がわからなかったのだ。複合機はID カードでログインが必要で、ログインユーザに応じて使用できる共有フォルダが決まっているが、システム開発室のメンバーは誰も保存先を設定していなかった。
 木名瀬さんが慣れた手つきで設定を行ってくれた後、ぼくは試しにスキャンしてみた。正常にTIFF ファイルが保存されたので、自席に戻って共有フォルダから開く。問題なく表示されたので、ぼくは外部メディアの接続許可をもらうために、IT システム管理課に連絡した。在席していた柴田課長は「事前の申請がないと受付はできんね」と突っぱねそうになったが、社長の案件であることを話すとコロッと態度を変え、すぐに持ち出し用のUSB メモリを準備する、と言った。
 複合機に戻ったぼくは、残りのページを慎重にスキャンする作業を再開した。かなり古いノートらしく、分離しかかっているページもある。このノートには20 種類の惑星データが記述されていたが、牧野社長の自宅には同様のノートが10 冊以上保管されているらしい。
 戻ろうとした木名瀬さんは、シュレッダーの上に置いてあったA4 用紙を取り上げて眺めた。スキャンするつもりが間違えてコピーしてしまったページだ。

planet-1.pngplanet-2.png

 「SF 好きな人なんですかね、社長って」
 「テラフォーミング」木名瀬さんは単語を拾って呟いた。「超空間ゲート、軌道エレベータ......SF が好きというより、このゲームの設定を考えていて、そういう用語にたどり着いたんでしょうね。牧野社長の趣味に読書などは含まれていないようです。村上春樹や司馬遼太郎を読んだことがある、というぐらいだったはずです」
 ぼくは頷いた。宇宙を舞台にした戦略ゲームは数多くあるが、細かい設定は無視しているものがほとんどだ。牧野社長は根が真面目なのか、細部にこだわる主義なのか、背景を体系的に考えることに長い年月を費やしてきたらしい。他の恒星系に植民し開拓するとき、どのような経過が必要なのか。化学燃料で推進する宇宙船では、何光年も離れた星系に行くだけで100 年単位の年月を要する。レーザー推進、バサードラムジェット推進でも同じだ。星系間で貿易や戦争を行わせたいのであれば、超光速技術が必要となるから、牧野社長はその実現性を調べたのだろう。それはワープ技術だったかもしれないし、ワームホールだったかもしれない。だが、いずれも近未来での実現は不可能ではないか、とする説が有力であることを知った。1000 年後であれば実用化されているかもしれないが、それでは社会体制が現在とはかけ離れすぎていて、リアリティがなくなる。そこで太古に滅び去った異星種族が残した超空間ルートなるものを設定したのだろう。
 スキャンを終えたぼくは木名瀬さんに礼を言って、古里氏が待つ会議室へ急いだ。古里氏は牧野社長と談笑していたが、ぼくの姿を見ると話を切り上げて立ち上がった。
 「それでは」古里氏は牧野社長に一礼した。「持ち帰って検討させていただきます。近日中に結果をご連絡します」
 「よろしくお願いします」牧野社長は熱意をこめて頷いた。「話を聞いていただけただけでもありがたいですよ」
 ぼくは古里氏をシステム開発室へと案内した。中に入るなり、先に戻っていた大竹専務が古里氏にかみついた。
 「古里さん、話が違うじゃないですか」
 「先ほども言いました」古里氏は落ち着いて答えた。「私は御社の提案を正当に評価させてもらうだけです。私はただ自分の仕事をしただけです。あの設定書はこのまま一個人の情熱で終わらせてしまうにはもったいない。そう考えたからこそ、持ち帰って検討させていただきたい、と申し上げたのです」
 「実際にゲーム化するんですか」
 「それはまだわかりませんね」古里氏は肩をすくめた。「設定だけではゲームとして成立しませんので。ですが、牧野様が希望されているような単に領土を拡張していくだけでは、ちょっと目新しさが足りないので、トピックとなるような何かが必要でしょうね。オープンワールドでただダラダラと惑星の開拓をしていくだけでは飽きられてしまいます。敵対的な異星種族との抗争や、ガチャを設定できるような遺跡発掘、未踏惑星の開拓イベントなどです。おそらく、うちの企画部でウケそうなテーマやゲームシステムを出して、製品化できるかどうか検討することになるでしょう」
 「そのプロセスをできるだけ遅らせてもらうことは......」
 「すみませんが、そういう取引はやっておりませんので」
 「御社の部長レベルと話すこともできますよ」
 「どうぞ、ご自由に。でも結果は同じだと思いますよ」
 この男は確かに優秀で自分の仕事に対するプライドも誠実さも持ち合わせている。そのことは、他の状況であれば喜ばしいことだっただろうが、今回ばかりは、こいつがもう少し無能だったらよかったのに、と大竹専務などは痛切に感じていることだろう。社長の夢を断念させるために招聘した人間が、推進力となってしまったのだから。藪をつついて蛇を出す、というやつだ。
 二人が話している間に、ぼくはTIFF ファイルのコピーを終えた。パスワード付のZIP ファイルに圧縮してある。USB メモリを渡し、パスワードを口頭で伝えると、古里氏は頷いた。
 「では、これで」彼はスマートに一礼した。「本日の作業について、後日、請求書をお送りします。笠掛、またな。今度、メシでも行こうぜ。そうだ、ちょっと時間ないか? コーヒーでも飲みながら相談しようぜ」
 「すいません」マリは硬い顔で横を向いた。「忙しいので」
 「冷たいなあ。まあ、いいか」
 古里氏は颯爽と去っていった。その後ろ姿を見送りながら、大竹専務が苦々しい声でマリに向かって言った。
 「まったく余計なことをしてくれたものだな、君の元カレは」
 「元カレなんかじゃありません!」マリは抗議し、ぼくに顔を向けて訴えた。「ホントです。信じてください。向こうが勝手に言い寄ってきてただけなんです」
 「ぼくは別に......」
 「おい」大竹専務がぼくの言葉を遮った。「痴話げんかは他でやれ。それよりどうするのか相談しないと」
 「ノヴァさんからの報告を待ってからでもいいのでは?」
 斉木室長が言ったが、大竹専務は首を横に振った。
 「もし、ぜひゲーム化したい、などと言ってきたらどうするんだ。ジョイントベンチャーを、そのままゲーム制作会社に転換するとでも言い出しかねんぞ」
 「現実的に」マリが首を傾げた。「それは不可能なんですよね? 言語とかで。それぐらいのことは、社長だってわかると思うんですけど」
 「これから人材を募集するだけのことだ」
 「それはこの前、専務が止めたじゃないですか」マリが思い出させた。「ほら、グラフィック経験者を採用する計画」
 「あれは社長の思いつき以上のものではなかった。社長自身、まだまだゲーム会社設立など遠い将来の話だと考えていたはずだからな。ところが、君の元カレが......」
 「元カレじゃありません」
 「なんでもいい。とにかく、あいつが社長が暖めてきた設定は有望だ、ゲーム化について検討するなどと絶賛してしまった。見えなかったかもしれんが、あのときの社長の顔は、ここ何年も見たことがないぐらい輝いていた。まるで盆と正月が一緒に来たみたいにな。一年分の給与を丸々賭けてもいいが、今頃、社長は真剣にゲーム製作について、現実的な線で考えているはずだ。どうやったら実現できるかをな」
 まるでその言葉を聞いていたかのように、内線電話が鳴り響いた。反射的に木名瀬さんが受話器を取り、二言三言話した後、スピーカーボタンを押した。
 「社長です」
 『大竹くんはまだいますか』
 大竹専務は舌打ちしそうに顔を歪めたが、咳払い一つして真顔に戻ると、落ち着いた声で答えた。
 「はい、大竹です」
 『例のジョイントベンチャーですがね』スピーカーから聞こえる社長の声には、隠しきれない興奮があった。『今後の方針を打ち合わせしたいと思います。明日にでも関係者を集めてください。もちろんリモートでね』
 大竹専務は何か言いかけ、諦めたように答えた。
 「かしこまりました。調整します」
 『よろしく。各方面への連絡についても決めなければなりませんね。そのことも相談しましょう。では、私は本日、これで失礼します。帰ってやらなければならないことができたのでね。忙しくなりそうですよ、これから』
 きっと自宅にあるという設定ノートを引っぱり出して、見直し、修正を加えるなどするのだろう。大竹専務もそう考えたらしく、やや乱暴に受話器を戻すと、ぼくたちを見た。
 「やる気満々だぞ、社長は」
 「各方面への連絡、というのは」マリが誰にともなく訊いた。「何のことですか」
 「エースシステムのことでしょう」木名瀬さんが答えた。「ジョイントベンチャー構想については、当然、準備室を設立した段階でエースシステムにも通達しています。開発専門のベンチャーということで、難色を示されましたが、説明を重ねて何とか納得してもらっているんです。ですが......」
 「ゲーム製作を専門に行う、などと報告すれば、恐ろしい勢いで反対してくるだろう。あまりにもリスクが高すぎる」
 「たとえ反対されたとして」斉木室長が考えながら言った。「止める権利はエースシステムにはないのではないですか。ジョイントベンチャーは別会社になります。両社で交わした事業統合協議書では、それぞれの子会社はその範囲に含まれないとあります。せいぜい意見書を送りつけてくるぐらいのものでは?」
 「建前はそうでも」大竹専務は斉木室長を睨んだ。「現在の両社の力関係から言って、エースシステムからの意見書というのは、ほぼ命令と同義だ。拒否などできるはずがない」
 「えーと違ってたらすいません」マリが小さく手を挙げながら言った。「それならエースシステムに反対してもらったらいいんじゃないですか?」
 大竹専務は機嫌の悪い肉食獣のような険悪なうなり声を上げた。
 「わからんのか。社長の頭の中では、ゲームを製作する、という方針が既定事項になりつつあるんだ。エースシステムが止めろと言ってきたりしたら、では、事業統合は解消しましょう、などと言い出しかねない。元々、社長はエースシステムとの事業統合に賛成していたわけではない、というか、むしろ反対だったからな」
 「単なる好奇心から訊くんですが」ぼくは言った。「もしエースシステムと袂を分かったとしたら、どうなるんでしょう?」
 このプログラミングバカが、と言いたげに、大竹専務はぼくを睨み付け、早口で説明した。コロナ禍にありながら、どうにかマーズ・エージェンシーが現在の売上を維持できている背景には、実はエースシステムの名前を使えることが、大きく影響しているのだ。2020 年度はK自動車関連企業の受注が前年比で30% ほど増加しているが、これは事業統合がもたらしたものだ。エースシステムから仕事を回してもらった、という直接的な要因ではない。エースシステムがマーズ・エージェンシーと競合しそうな案件に手を出さなかったため、利益を圧迫するような単価設定を避けることができたのだ。
 「いっそのこと」木名瀬さんが言った。「ジョイントベンチャー構想自体を何とかして白紙に戻すか、少なくとも、遅延させるかしたらどうでしょう」
 「白紙に戻すだと?」大竹専務は怒鳴るように訊き返した。「どうやったらそんなことができるんだ」
 「責任者が不祥事を起こすとか」
 ぼくたちは思わず笑い声を上げた。JV 準備室の責任者である斉木室長を除いてだ。斉木室長は苦笑した。
 「おいおい、木名瀬くん......」
 「それも一つの方法だな」大竹専務が真剣な顔で呟いた。「なあ、斉木くん、君、どっかに愛人か何か囲ってるとか、ギャンブルにはまって会社の金を使い込んでるとか、何かやってないか? この際、正直に告白したらどうだ。それで会社のために犠牲になってくれ。なに、後のことは心配いらん。君の家族は会社で面倒見るし、部課長会議のときは、君を讃える歌を全員で朗読するように社則で定めてもいい。悪い話じゃないと思うがな」
 「やってませんし、犠牲にもなりません」
 斉木室長がムキになって大声を出したので、ぼくたちはまたひとしきり笑った。
 「冗談はさておき」笑いが収まると木名瀬さんがため息混じりに言った。「ここはやはり、イノウーくんに社長を説得してもらうのがいいのではないでしょうか。元々、その予定でしたし」
 全員の視線がぼくに集中した。
 「そのことですが」ぼくはゆっくり言葉を選んだ。「いっそ、社長の夢を実現する方法を検討してみてもいいんじゃないでしょうか」
 呆気にとられたような沈黙が室内に降りた。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(15)

コメント

匿名

ウルトラCな方法で全員幸せな結末になるといいですね。

匿名

社長、字がかわいい

匿名

誰も不幸にならない結末を願うばかりだ

匿名

朝の連ドラ感ある

へなちょこ

イノウーがんばれ。ゲームを作るなんてプログラマの夢じゃないか

藤井秀明

イノウーが自分と同じ考えなら後でこっそりドヤ顔しよう

匿名

入社数年で、やり手の専務と本音ベースの話ができる関係になり、
社長と対峙できる立場になったイノウー、すげぇ。

こんぶ

異性種族は異星種族のタイポ?

育野

>そこで太古に滅び去った異性種族が残した超空間ルートなるものを設定したのだろう。
異性種族->異星種族
でしょうか。

匿名

誰もやった事がない、事業としてリスクが高いってだけでみな避けよう避けようとする。

リーベルG

こんぶさん、育野さん、ご指摘ありがとうございます。
「異星」でした。

匿名

殺戮に至る病のせいでタイトルに不穏さを感じてしまった

匿名

必要なのは技術でも予算でもなく、理解。ぶっちゃけ、社長とイノウー以外現時点ではゲームそのものに興味なしなわけで、そりゃ止めるよと。

S

超空間ルート->超空間ゲート、でしょうか。

匿名

>超空間ルート->超空間ゲート、でしょうか。
超空間ルートというのはトンネルみたいなもので、超空間ゲートはそのトンネルに入るための入り口なのでしょう。

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