ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (40) メッセージ

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 夏目課長の予想あるいは期待に反して、ヘルプの外注としてサードアイを選定するという木名瀬さんの奇策に対して、大竹専務が異を唱えることはなかった。外部協力会社の選定は、役員レベルまでの承認ルートが設定されていて、大竹専務もルートの終点近くに位置しているから、目にしなかったはずはないのだが。
 総務課が仕切るダリオスの改修は業務委託として発注されているが、システム開発室のそれは派遣契約となった。開発の主体がシステム開発室である以上は当然だ。とはいえ、社員のぼくたちがほぼテレワークなのに、派遣の人に出社してもらうのもおかしな話なので、閉域SIM とノートPC を貸与してのリモート開発という形を取る。
 「これってどういうことになるんすか」マリが混乱した顔で訊いた。「同じ会社に同じ業務を2 つ発注するってことになるんですよね」
 「ちょっと違うね」斉木室長が会社から答えた。「総務課のは丸投げ、うちのはあくまでもヘルプ。まあ、確かにちょっと異例ではあるけど、一応、どんな社内規程にも違反はしてない」
 週明けの1 月18 日、ぼくたちはヘルプ要員受入のための打ち合わせを行っていた。外部協力会社選定報告書は、午前中に決裁が完了している。この手の申請にしては驚異的なスピードだ。斉木室長の話では、おそらく大竹専務が厳命したのだろう、とのことだ。大竹専務ができる限りフィフティフィフティの条件での競争を望んでいるのは確かなようだ。
 「あれ」マリが首を傾げた。「木名瀬さん、貸与機器申請、ちょっと変じゃないですか」
 「どこがですか?」
 「数量が1 になってますよ。3 ですよね」
 「いいえ」木名瀬さんは微笑んだ。「1 セットで合ってます」
 「3 名分じゃないんですか?」
 「派遣契約は1 名分です」
 「残りの2 人月分はどうするんですか」マリはニヤッと笑った。「着服して宴会費用にでも回しますか?」
 「魅力的な考えですが、それは横領です」
 「じゃ、どういうことです?」
 木名瀬さんが何か答えようとしたとき、斉木室長のビデオ会議から、騒々しい物音が聞こえてきた。システム開発室に誰かがノックを省略して踏み込んできたらしい。すぐにPC のカメラの視界に夏目課長が入りこんできた。
 「斉木くん」夏目課長はくぐもった声で喚いた。「どういうこと? どうして総務課のダリオス改修のサードアイ側の主担当が西山って人になってるの」
 「さあて」斉木室長がのんびりと答えた。「それはサードアイ側の事情ではないかと」
 「さっきサードアイに電話したら、この前来た、東海林ってベテランは、システム開発室の方の派遣になるって言われたわ。あんたたちが何か裏取引したんじゃないの?」
 ぼくは驚いて斉木室長の背後に立つ夏目課長を見た。
 「裏取引......」斉木室長は苦笑した。「いや、そう言われましても」
 夏目課長はいきなり正面からカメラを睨んだ。
 「イノウーくん」ぼくに向かって夏目課長の指が突きつけられた。「君の仕業?」
 「はあ?」
 「君の前職はサードアイよね。君が自分たちの方についてくれるように頼んだんでしょう」
 「いえ、そんなことは何も......」
 「だったらどうして東海林さんがそっちを担当するのよ。何らかの裏取引があったとしか思えないじゃない。私は発注書を届けるとき、サードアイに東海林さんをアサインしてくれるよう、わざわざ頼んでおいたの。それなのに......」
 「イノウーくんは関係ありませんよ」木名瀬さんが割り込んだ。「あくまでもサードアイ側がビジネスライクに判断した結果です」
 「ビジネスライクな判断ならなおさら、総務課側を選ぶはずでしょう。業務委託の単価の方が、派遣契約の単価より高く設定されていますからね」
 「斉木さん」木名瀬さんが呼びかけた。「今回の派遣契約条件書を出せますか」
 「もちろん」
 「夏目課長に見てもらってください」
 斉木室長は頷くとキーボードとマウスを操作した。すぐに目的の画面が開けたようで、夏目課長に場所を譲る。ほぼ同じタイミングで、木名瀬さんからTeams で一つのファイルが共有された。派遣契約条件書のPDF ファイルだった。クリックしたぼくは、内容を見て思わず唸った。
 「なに、これ」夏目課長が呻いた。「派遣受入人数が一人で、単価が......3 人月分?」
 派遣労働者一名に通常の3 倍の単価を付けたわけだ。派遣契約では人の指名はできないことになっているが、この単価に込められたメッセージは誤解の余地を残さないほど明確だった。ベスト・オブ・ザ・ベストの人材を寄こせ、だ。サードアイは、そのメッセージを正確に読み取り、真摯に検討し、そして結論を出したのだ。
 「よくも、まあ」夏目課長は悔しそうに吐き捨てた。「こんな汚い真似ができるものね」
 「汚いとは心外です。私はただ、目の前の案件をこなすために、最善と思われる手を打っているだけです」
 「よく言うわね。他の担当者の業務を妨害する営業行為はルール違反よ」
 「バルボッサ船長の言葉を借りるなら」木名瀬さんは顔色一つ変えなかった。「それはルールではなく、ガイドラインに過ぎません」
 「バル......何をわけのわからないこと......」
 「そもそも、これは営業活動ではなく、社内システムの改修です。営業部のルールだか慣習だかは適用されないのでは?」
 「わ、私は」夏目課長は視線をせわしく左右に振った。「倫理を問題にしてるの。こういうなりふり構わないやり方が許されるなら、何でもありになってしまい......」
 「夏目さん」斉木室長が聞いたこともないような冷淡な声で遮った。「あなたにそんなことを言う資格はないんじゃないですか。忘れましたか。営業にいたとき、あなたが私に何を指示したのか」
 「ちょっと、今、それは関係......」
 「ツダ・クリエイティブの基幹システム受注でした。当時、営業成績が右肩下がりだったあなたは、どうしてもその案件を受注したかったが、競合の会社の方が有利な提案を出していて敗色は濃厚だった。ところが、先方の責任者である生産管理部次長がLGBT であることを知ったあなたは、私に彼を誘惑してこい、と命じたんでしたね。彼のタイプだと思うから、という最低極まりない理由で」
 夏目課長に視線が集中した。
 「私が断ると、あなたは別の社員に同じことを命じたそうですね。彼があなたの命令に従ったのかどうか知りません。私が知っているのは、ツダ・クリエイティブの案件が受注確定した数日後に、彼は急に辞職したことだけです」
 「あれは......一身上の理由でしょう」
 「そんなことを信じろと? 立場を利用して、人身売買のような真似事をしておいて、何の責任も取らず、成果だけは自分のものにする。汚い真似? 倫理? どの口が言うんですか」
 夏目課長は唇を噛んだ。引き下がるか、と思ったが、そうではなかった。
 「ねえ、木名瀬さん」懇願するような態度だった。「お願いだから、通常の派遣契約に戻してもらえない? 私たち、同じ部門でしょう。敵対する関係なんかじゃない。私はあなたのことを高く評価しているの。協力し合えば、きっと全員にとってベストな方法が見つかると思うんだけど」
 「確かにそうですね」
 木名瀬さんがあっさり頷いたので、全員が驚きの表情を浮かべた。
 「え?」
 「ベストな方法ならあります」
 「さすが木名瀬さんね」夏目課長は歓喜に溢れる声で言った。「で、その方法って?」
 「総務課の発注先をサードアイ以外にすることです」
 夏目課長の表情は瞬間冷凍されたように固まった。
 「何を言うの」強張った顔で夏目課長は喚いた。「もう発注書を切ってしまったのに、発注先の切り替えなんかできるはずがないでしょう」
 「手続きは面倒ですが、ルール的に不可能ではないですよ」木名瀬さんは淡々と指摘した。「ご存じだと思いますが、例外規定がたくさん用意されていますから。私は庶務にいたとき、似たようなケースを処理したことが何度かあります」
 「......」
 今度こそ夏目課長は沈黙した。ルール的に可能であっても、現実的には不可能と同義なぐらい複雑な処理になるだろう、ということは、社内の手続きや慣習にはうといぼくでさえわかる。システム開発室が主管部門なら話は違ったかもしれないが、発注元は総務課だ。夏目課長はあくまでもシステム開発室の管理者として、ベンダーコントロールを行う立場に過ぎず、発注そのものには何の権限もない。それに、仮に全ての手続きが順調に進んだとしても、おそらく大竹専務が否認するだろう。
 「もういいわ」夏目課長は吐き捨てると、カメラの視界から離れていった。「こうなったら私も容赦しませんからね」
 死亡フラグが立った悪役みたいな捨て台詞を残して、夏目課長は出て行った。夏目課長がシステム開発室にいる姿を見たのは、これが最後となった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 一月末までの二週間余りで、4 回ほどサードアイと総務課・営業部との打ち合わせが行われたようだが、システム開発室からは夏目課長が出席しただけだった。当然、夏目課長はぼくたちに打ち合わせの内容を教えてくれたりしなかったし、議事録も共有されなかった。
 一方、ぼくたちは設計フェーズが解禁となった1 月20 日から、ダリオスの改修に向けて動き出していた。といっても、マギ情報システム開発に発注したとき、仕様については一通り目を通しているので、ぼくとマリが時間をかけているのはSpring Framework の方だった。
 2 月1 日、サードアイからの派遣契約が始まる。リモート開発を行う環境は事前に整っていたが、初日だから、ということで、ぼくたちは全員出社し、東海林さんも挨拶に来てくれることになった。プロジェクトの初日は、関係者全員が顔を合わせて意識を一つにする、というのは、マーズネットの伝統だ。実効性があるとは言えず、ましてやコロナ禍においては顔をしかめられような商習慣だが、ぼくは悪くないと思っていた。精神論、と言い切るのは簡単だが、やはり対面で得られる情報量は、1920×1080 ピクセルの映像とは桁違いだ。
 10 時ちょうどに東海林さんはシステム開発室に案内されてきた。
 「改めてお世話になります」東海林さんは深々と頭を下げた。「短い間ですが、よろしくお願いします」
 どうにも落ち着かない気分だ。この件で、ぼくは派遣先責任者に指名されている。つまり、大先輩の東海林さんに仕事を直接指示する立場だ。
 「えーと、その」ぼくは何とか返した。「こちらこそお願いします」
 「それで井上さん......」
 もう限界だ。ぼくは慌てて手を振った。
 「東海林さん、お願いだから敬語は止めて下さい」ぼくは懇願した。「イノウーでいいです」
 「ですが井上さん」東海林さんはニヤニヤしながら、真面目くさった声で言った。「この業界、下請けは元請けに絶対服従が不文律です。ましてや派遣となれば、その力関係は歴然としていますからねえ。そんな失礼な呼び方をするわけには」
 他のメンバーは笑いをこらえていた。いや、マリはこらえきれずにクスクス笑いを漏らしている。東海林さんがぼくをからかっていることは明らかだった。
 ぼくが重ねて要望すると、東海林さんはようやく頷いた。
 「またお前と仕事ができて嬉しいよ、イノウー」
 「また、いろいろ学ばせてください」
 東海林さんには夏目課長の席に座ってもらい、ぼくたちもそれぞれの席に戻った。
 「すでに承知かと思いますが」東海林さんは説明した。「うちの人間が、先月からこちらにお邪魔して仕様の説明を受け、設計に入っています。御社の事情から、互いに情報共有はしない、ということになっているそうですね」
 「すいません」ぼくは頭を下げた。「ゴタゴタに巻き込んでしまって」
 東海林さんは首を小さく横に振った。
 「正直に言うと、少しばかり心配してたんだ。お前がこちらの会社に来て、もう1 年以上になる。うちでプログラミングをやっていた頃とは変わってしまったんじゃないかとな。でも、安心したよ。自分の信じるもののために戦える、というのは大事なことだ。特に属する会社の規模が古く大きい場合は、その既得権益もまた強力だからな。勝ち目があるかどうかに関係なく、逃げない、ということは、なかなかできるものじゃない」
 「鍛えられましたから」ぼくは答えた。「今、勝ち目、と言いましたが、実際、勝算はあるんですよね?」
 「うん、ちょうどその話をしようと思っていたところだ」東海林さんは別の方向に顔を向けた。「実際のところ、勝敗を付けるつもりはない、という理解でよろしいですか?」
 東海林さんが見ているのは木名瀬さんだ。木名瀬さんは頷いた。
 「きっとわかっていただけると思っていました」
 ぼくとマリは顔を見合わせた。東海林さんの言葉も、木名瀬さんの返答も、どちらも意味がわからなかった。
 「え? なんですか?」
 「ごめんなさい」木名瀬さんは笑った。「実際に東海林さんを迎え入れるまではと思って黙っていました。少々強引な手段を使ってでも東海林さんに来てもらったのは、大竹専務が仕掛けた競争に勝つためではないんです」
 「なんのためですか?」
 「うちの会社の開発部門存続のためです」
 「それはわかっています」ぼくは首を傾げた。「でも、そのためには競争に勝たなければ......」
 「勝ったとして何が得られるんですか」
 「一年間の猶予です」
 「そして一年後にまた同じことを繰り返すんですか?」木名瀬さんは、ぼくが密かに考え、恐れていた状況を口にした。「それでは問題の解決になりません。次こそ、息の根を止められてしまうかもしれませんし、そもそも次などないかもしれません。ガンダルフも言っています。わしらはこの脅威に終止符を打つ手を探し出さなければならぬ」
 ガンダルフはその後に「たとえその希望はないにしても」と言ったのではなかっただろうか。ぼくは訊いた。
 「その手、とは何ですか」
 「サードアイさんのような外部協力会社との、永続的な開発業務の協業体制です。うちとエースシステムが事業統合したように、開発業務だけをマージするんです」
 ぼくとマリは唖然となって木名瀬さんの目を見た。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 次週は更新をお休みします。次は5/10 となります。

Comment(24)

コメント

ちゃとらん

サードアイを選定した段階で、勝敗を付ける事はできない(サードアイのプライドにかけて)とは思っていましたが、廃止か存続かではなく、第三の道=永続のための布石だったんですね。

h1r0

東海林さんかっこいいな

ベスト・オブ・ザ・ベスト
みたいな二つ名が似合う人はざらにはいない

匿名

東海林さんにこんな言葉かけられたら泣いてまうやん。。

h1r0

東海林さんかっこいいな

ベスト・オブ・ザ・ベスト
みたいな二つ名が似合う人はざらにはいない

公英

ナラティブシリーズ拝読月間でどんよりした後の、主人公側に次第に光明差してくる感じ、麻薬みたいでたまらないですね。
今回は東海林さんまで付いてくる大ボーナス。
サードアイに就職した人は何かしら希望を得られると思っているので、完全巻き込まれ型主人公の西山くんが活躍するスピンオフも読んでみたくなりました。

匿名

東海林さんがイレギュラー過ぎて、全てを解決する神様みたいに見えてくるな

藤井秀明

こういう強引なやり方の延長線上に、過去のシステム開発部への仕打ちがあったと考えるとなかなか複雑な気分ですね。
安易に称賛は出来ないような気がします。
ただ、勝ち負け以外のルートを取れる木名瀬さんの柔軟さと、僅かな情報から意図を汲み取れる東海林さんの聡明さは流石ですね。

匿名

どうなるんだろう,と思っていたけど胸の熱い展開でうれしい。
「またお前と仕事ができて嬉しいよ、イノウー」はわが身に置き換えると,ほんと泣けますね。

匿名D

東海林さんは、Press Enterにおけるデウス・エクス・マキナですよね~。

匿名

そういう指示をしたということは…
夏目課長もかつては…
(゚A゚;)ゴクリ
夏目課長のナラティブ…

匿名

身構えているときには、死神は来ないものだ。イノウー。

匿名

「井上さん」呼ばわりしてからかったかと思えば、一転して元請けに「お前」!
それを普通に受け止めるシステム開発室は、やはり雰囲気の良いチームですな。

匿名

どれだけ親しい上司や部下であっても、「お前」と呼んだり呼ばれたりした事はないですね。
東海林さんは親分肌だから、「お前」呼びが似合いますね。

匿名

夏目課長と今枝の(そうじゃない)

匿名

今枝さんってあの特殊な…

匿名

「井上さん」のくだりが「諸見さん」のエピソードと重なって、
東海林さん、これからどんだけ大竹専務にあてこするのか楽しみになります。

匿名

読み直してきましたが、開発部門はもともと赤字だったんですね。
それで会社の建て直しを断行して、成功したから部長から専務に昇進されたと。

その専務がここまで何もしてこないのは逆に不安です。
むしろここまで想定通りなのかなと・・・。
今後、いにょう~と東海林さんがどう対応していくのか楽しみです。

匿名

東海林さんと技術対決になるかと思いきや、協働体制かあ。
 
大竹専務は大物らしい酔狂。
本音は開発部門で社員が幸せになってほしいんじゃないかな。

しゅう

いつも更新ありがとうございます!

ヅダ・クリエイティブと空目してしまい。
「この会社大丈夫かいな,空中分解せやへんか?」と妄想したところで,
己の読み間違いに気づく。

匿名

ところで「東海林」さんは「とうかいりん」さんなのか、「しょうじ」さんなのか、どっち?

匿名

そういえば東海林さんの読みはどこにも出てこなかったか。

36話で、大竹専務が
「東海林さん東海林さん」
と連呼したくだり、「とうかいりんさんとうかいりんさん」だとえらい言いにくそうですな…

リーベルG

匿名さん。
東海林=「しょうじ」です。
確か、「ハケンの品格」で大泉洋が演じていた人の役名から取ったんだったと記憶してます。

匿名

5/10とか待ちきれないんだけど…。

匿名

明日やで

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