高村ミスズの事件簿 ブラクラ篇 (1)
「さあ、今週も始まりました。ピーター斎藤のイマ・トピ・ザ・ニュース! 今日もたくさんのアクセス、ありがとー! このコーナーはネット界隈でバズってるバズってないに関係なく、元SE のボクが興味深いなーとか、これどうなの、とか思ったり感じたりした話題をテーマに、ゲストと議論する30 分です」
私は襟元のマイクの位置を微調整した。テレビ番組にゲストとして呼ばれたことは何度かあるが、ネットテレビは初めてだ。しかも、ライブストリーミング形式のリアルタイム放送だ。失言しても、編集でカットしてもらうわけにはいかない。
「今日のテーマは、これ」
私の手元のスタンドに設置されたタブレットに、配信中の映像が表示されている。ピーター斎藤の「これ」と同時に、「ジョークプログラム貼ったら補導されちゃったJC の件」というテロップが、効果音とともにオーバーラップした。
「知らない人のために、ほんの少しだけ説明しとくね」ピーター斎藤が言った。「先週、某ネット掲示板に、神奈川県在住のJC、ま、ここはAちゃんとしとこうか、Aちゃんがあるリンクを貼ったんだよね。もう、そのリンクは削除されてるけど、これがその魚拓」
表示されたのは掲示板の一行。投稿者名や日時、リンクのURL 自体にはモザイクがかかっている。リンクのタイトルは「○○クンのプライベート画像はここだよ」だ。○○の部分は、私でも名前ぐらいは知っているダンスボーカルユニットのリードボーカルだ。
「で、これをクリックすると」スタッフの指がリンクに触れた。「こんなのが出てくるんだよね」
JavaScript のalert で
いつまでも出るよ~www
というメッセージと、OKボタン一つがポップアップされた。指がOK ボタンをタップしたが、同じalert が再び表示される。
「まあ、ちょっとしたジョークだよね」ピーター斎藤の顔に変わる。「こんなのタブ閉じればいいじゃん、って思うよね。でも、警察はそうは考えなかったみたいなんだな。何とこのAちゃん、警察に補導されちゃったんだ。怖くない?」
スタッフが私に合図した。
「では、今日のゲストをお呼びしましょう。セキュリティ専門家の高村ミスズ先生です」
拍手が鳴り響く中、私はピーター斎藤の隣の席まで歩いた。ピーター斎藤と名乗っているが、純粋な日本人だ。私たちは握手と挨拶を交わした。
「高村ミスズ先生は、タカミス先生の愛称でネットでは有名人です。みんな、当然、知ってるよね。今日はお許しをいただいて、タカミス先生とお呼びします。さて、タカミス先生、補導されちゃったということですが、一体、何の容疑なんでしょうか」
私は咳払いして口を開いた。
「県警によれば、不正指令電磁的記録供用未遂ということですね」
「えーと、すいません。もう一度、お願いします」
「不正指令電磁的記録供用未遂」私はゆっくりと繰り返した。「簡単に言うと、他人のPCやスマホで不正なプログラムを勝手に実行したり、不正なプログラムを作成したりすることを禁止する法律です。ウィルス作成罪なんて呼ばれることもあります」
「ということです」画面には「不正指令電磁的記録供用未遂」がふりがな付きで表示されている。「詳しく知りたい人は、ググってみてね。では、先生。Aちゃんがやっちゃったことは、この法律に違反してるということですか」
「そうは思いませんね」
「というと?」
あらかじめ割り当てられたのは120 秒だ。私はまとめておいたメモを見ながら、今回のスクリプトの仕組みを簡単に説明し、リンクを開いた機器での実害はないこと、簡単に解除できること、リンクを貼った女子中学生はウケ狙いのいたずらの意図だったと言っていること、そもそもこの程度のジョークプログラムに刑法168 条の2 及び168 条の3 を適用するのは無理があることを話した。
「県警も、これがいたずらだったことを認めていて」私は締めくくった。「その上で、ネットモラルの乱れに対する警鐘の意味をこめての摘発だと言っています。要するに、見せしめ、ということです」
「つまり、先生は」ピーター斎藤が念を押すように言った。「これは冤罪だ、と主張したいわけですね」
「冤罪、というと語弊があります。そもそも、犯罪を形成するような事象ではない、と言いたいのです」
「ありがとうございます」ピーター斎藤はにこやかに私に笑いかけると、カメラの方を見た。「では、ここで別の方の意見も伺ってみましょう。セキュリティ専門企業、HSS ジャパン、広報技術部、スガノさんです」
またしても拍手が鳴り響く中、スーツ姿の恰幅のいい中年男性が、自信ありげな笑みとともに入ってきた。画面には、ハウンド・セキュリティ・サービス・ジャパン 須加野さん、と表示されている。私の顔が配信されていなくてよかった。きっと強張った表情になっていただろうから。
カメラが手を振る須加野氏を写している隙に、私はピーター斎藤に囁いた。
「聞いてないですよ」
「そうでしたっけ」ピーター斎藤は人の良さそうな笑顔で応じた。「まあ、とにかく意見を交換していただければ」
須加野氏が座ると、ピーター斎藤は問いかけた。
「早速ですが、須加野さん、先ほどのタカミス先生のご意見、どう思われますか」
「そうですね」須加野氏は甲高いバリトンで答えた。「私に言わせれば、ナンセンスですねえ。的外れ、ということです」
私はその意味を問おうと身を乗り出したが、ピーター斎藤が先んじた。
「的外れ、というのは」
「高村先生のご高名は存じ上げておりますが、いささか技術者視点に偏っていると言わざるを得ませんね。問題の画面ですが、これ、あまりネットに詳しくない年配の方や、初めてスマホを触った子供がいきなり遭遇したら、どうでしょう? ちょっとパニックになるんじゃないでしょうか。これはもう、充分、"不正な"プログラム、と言えますよ。それに実害はない、と高村先生は仰いましたがね、リンクをクリックした人は、こんな画面が見たかったわけじゃないですよ。にもかかわらず、あんなふざけた画面を見せられて、その対処に時間を浪費したことになります。これ、立派な実害じゃないですか」
「なるほど」ピーター斎藤は頷いた。「なんでも、この件で県警に助言したのは、HSS ジャパンさんだったとか」
それは初耳だ。私は思わず須加野氏を見たが、須加野氏は得意げに首肯していた。
「ネットのセキュリティレベルを健全に保つための製品を販売している弊社としては、たとえ子供のいたずらであろうと、見過ごすことはできませんから」
「バカバカしい」耐えきれなくなった私は、口を挟んだ。「何が実害ですか」
「さあ、タカミス先生が反撃に出ました」ピーター斎藤は嬉しそうに視線を動かした。「先生は実害はない、と仰るんですね」
「ネット普及の黎明期、ブラウザクラッシャー、略してブラクラと呼ばれるプログラムが発生したことがあります。うっかり開いてしまうと、ゾンビウィンドウが無限に開き続けたり、フルスクリーンになって他の操作ができなくなったりするものです。終了するには、ブラウザのプロセスを強制終了するか、マシンを再起動するしかありませんでした」
「今回のも、そのブラクラではないか、という意見もありますね」
「わかってない人が言ってるだけです。今時のブラウザなら、タブを閉じれば終わりですし、アラートの表示を繰り返しているだけなので、CPU やメモリを大量消費する、ということもありません」
「だから、それが技術者の一方的な視点だと言っているんですよ」須加野氏は薄ら笑いを浮かべた。「わかっていない人、と仰いましたが、ネットユーザのみんながみんな、ブラウザを使いこなしているわけじゃないし、JavaScript に詳しいわけでもない、ってことをお忘れじゃないんですか。それに、今回は、たまたまマシンリソースを消費しないタイプのプログラムでしたが、同じ技術の応用で、マシンに負荷をかけたり、ウィルスに感染したり、個人情報などの重大情報が抜き取られたり、といった仕組みのものが出てくる可能性だってあります。それを防ぐ意味でも、今回の補導は間違っていない、と思いますね」
「そういう事例があるんでしょうか」
ピーター斎藤が訊き、須加野氏は重々しく頷いた。
「日本ではまだありませんが、海外ではいくつか事例が報告されています」
「どんな事例です?」私は訊いた。「寡聞にして聞いたことがありませんが」
「それはまあ」須加野氏はニヤリと笑った。「一応、企業秘密ということで。うちは国際企業ですから、各国での情報収集を密に行っているんですよ。そうした事例の中には、うちの技術チームの対処によって解決した例もあります。顧客の情報を公にすることはできません」
「そのような事例を公開しなければ」私は指摘した。「同じ被害に遭う企業や個人が、続出するじゃないですか」
須加野氏は、私のその言葉を待っていたかのように、足下から何かを掴んだ。
「ご心配には及びません。弊社が開発した、この」と、言いながら、派手な色のパッケージをテーブルの上に置いた。「パーフェクト・ディフェンダー最新版であれば、今回のような事例はもちろん、以前に問題になった、CoinMakerEx のような仮想通貨マイナーにも対応していますので」
「さあ、また興味深いキーワードが出てきましたね」ピーター斎藤が嬉しそうに言い、また画面が切り替わった。「ご存じない方のために、CoinMakerEx 事件について、簡単に経緯を説明しておきましょう」
CoinMakerEx 事件は、私も専門家として少なからず関与している案件だ。数年前、一人の人気YouTuber が、起業の方法論などをわかりやすく紹介するチャンネルを持っていた。内容はどこにでもある、そこらの起業本をつまみ食いして再構成したようなものだったが、アイドル並のルックスと、語り口のうまさで、それなりのアクセス数を稼いでいたそうだ。YouTuber は内容をまとめた冊子を、自分のブログで販売しており、YouTube から誘導していたのだが、そのブログにCoinMaker という仮想通貨マイニングパーツが含まれていた。YouTuber 自身は、深い考えがあってそのパーツを選択したわけではなく、アフィリエイトの一つぐらいにしか考えていなかったようだ。
ブログ上で特に告知をしていなかったこともあり、しばらくは誰も問題にしなかったのだが、一週間後、他ならぬHSS ジャパンのパーフェクト・ディフェンダーがパターンファイルを更新したとき、CoinMaker をマルウェアとして検知したことから、ネット上で騒がれることになった。
YouTuber は、SNS での非難などを受け、一度はCoinMaker のブログパーツを撤去した。しかし、その後、自分で仮想通貨やCoinMaker の仕組みなどを調査した結果、「勝手に表示されるWeb 広告に比べて、余計なスペースを取ることなく、良心的に収益を上げられる」と考え、最新型のCoinMakerEx を導入した。
このYouTuber のブログをまめにウォッチしていたネットユーザがいたらしく、CoinMakerEx の存在はすぐに公になった。またもや非難が寄せられたが、YouTuber は「悪いことはしていない」という信念の元、CoinMakerEx を使い続けた。そして、ある日、警察官の訪問を受け、任意同行を求められることになったのだ。
家宅捜索と取り調べの結果、YouTuber は、不正指令電磁的記録保管の罪に問われた。前後して、同じブログパーツを使っていたブロガーが、全国各地で9 人、同様に家宅捜索、事情聴取を受けている。
私が、以前に関わった<リブパック・クロラ事件>を連想したことは言うまでもない。あのとき逮捕されてしまったのは、一人の罪もない善良な技術者だ。彼は20 日以上勾留されたものの、結果的には起訴猶予と判断され、その後、原因を作ったシステム会社が最終的に非を認めたことで名誉を回復することもできた。だが、CoinMakerEx の場合、警察も検察も確信を持って事を進めたようで、ほとんどの容疑者は、争うよりも略式手続を選択していた。
ただひとり、くだんのYouTuber だけは、略式手続を拒否して裁判を選んだ。私も専門家として証人に呼ばれ、法廷で証言を行った。検察が提示してきた証拠は、普通のエンジニアなら呆れるようなものばかりだったが、知識のない裁判官の目には、それなりの説得力を持っていたようだった。私もできる限り詳しく説明したつもりだったが、どこまで理解してもらえたのか自信がない。
傍聴はできなかったが、公判中、HSS ジャパンの技術者も検察側の証人として証言したらしい。パーフェクト・ディフェンダーがCoinMaker をマルウェアとして検知するようになった経緯を問われたようだ。検察側としては、1.被告のYouTuber はパーフェクト・ディフェンダーの検知を知って、一度はCoinMaker の使用を中断した、2.その後、パーフェクト・ディフェンダーが対応していないCoinMakerEx に切り替えてマイニングを続けた、3.アンチウィルスソフトに検知されたことを知りながら、つまりCoinMaker の違法性を認識しながら、なお、利益を優先して、CoinMakerEx を使用したことは悪質である、と主張したらしい。マイニングで得た収益が360 円だったことは、故意にか否か、言及されなかったとのことだ。
その後まもなく、横浜地方裁判所で論告求刑公判が行われ、検察側は不正指令電磁的記録の罪に該当するとして、罰金20 万円を求刑した。判決は来月末の予定だ。
「CoinMakerEx が」ピーター斎藤越しに須加野氏を睨みながら、私は指摘した。「マルウェアでもウィルスでもないことは、まともな技術者なら誰だってわかります。にもかかわらず、御社はマルウェア認定していますね。だったらなぜ、ネット上に蔓延しているWeb 動画広告をマルウェア検知しないんでしょう」
「健全さの問題ですよ」相変わらず薄ら笑いを浮かべながら、須加野氏は淡々と答えた。「動画広告は広く社会に認知されていて文句を言う人などおりません。一方、他人のパソコンやスマホを、知らないうちに自分の金儲けに利用していたとなると、これは不健全と言わざるを得ませんよ。ご高名なるタカミス先生なら、それぐらいのことはおわかりだと思いましたがね」
「動画広告も、スクリプトによる仮想通貨マイナーも、原理としては同じでしょう。ブラウザの中でスクリプトが動く。広告が表示されるか、仮想通貨のマイニングを行うか、の違いですよ」
「だから言ったでしょう?」やれやれ、と言わんばかりに、両手を広げた須加野氏が言う。「広く社会に認知されているかどうかだって」
「そんなことを言ったら、新しい技術は社会に認知されるまで、全部、怪しいものだということになってしまうじゃありませんか」
「それが正当な、つまり、健全な技術であれば、いずれ認知される。それでいいじゃないですか。CoinMakerEx だって、問題ないとなれば、検知対象から外しますよ」
「CoinMakerEx の件で前科がついてしまった人はどうなるんですか」
「そこまで責任は持てません。警察や裁判所が決めたことですから」
「パーフェクト・ディフェンダーが、その判断の背中を押したのじゃないですか」
「弊社はセキュリティの専門会社として、あくまで参考意見を述べたまでです」
自社製品の認知度を高め、販路を拡大するために、意図的に犠牲者を作り上げたのではないか、という疑惑を、私は口にするのを必死でこらえた。何の証拠もないし、HSS ジャパンは絶対に認めないだろう。そんなことを言えば「誹謗中傷だ」と騒ぎ立てられ、本題から話が逸らされてしまう。
「知識のない一般市民は」私は慎重に言葉を選んだ。「県警サイバー犯罪対策課というところは、IT知識がどこよりも豊富で、不正侵入やサイト改ざん、コンピュータウィルス蔓延といった犯罪を、次々に解決するスキルを持つ、高度なプロフェッショナル集団だと考えています。ところが実情は、そのスキルにおいて民間のセキュリティ専門企業に遠く及んでいません。だから、御社のような専門企業に意見を求めざるを得ないのです」
「警察批判ですか。確かに、弊社は警察や報道各社に意見を求められることが多々ありますが、それが何か?」
「責任が生じる、ということです。今回のジョークプログラムにせよ、CoinMakerEx にせよ、ブラウザのサンドボックス内でしか動作しないスクリプトが、CPU を暴走させたり、マシン内の個人情報を盗んだりするなど、およそあり得ない話です。御社の技術者さんは、その点について、正確な情報提供を行ったのですか?」
「詳しくは話せませんよ、そんなこと。まあ、世の中にはウィルスに感染させることを目的としたサイトはたくさんあって、現実に被害も出ていますからね。そういう事例を交えて、いろいろな可能性をお話したんだと思いますよ。今回のブラクラの件もね」
「たかが子供のいたずらを、重大なネット犯罪と同レベルで話したんですか」
「子供のいたずらだって、誰かがダメだと言わなければ、いずれ重大なネット犯罪にエスカレートするかもしれないじゃないですか。企業のCSR、社会的責任というやつですよ」
「御社の目指す社会とは、子供のいたずらも許容されない社会ですか。子供の創造性や、IT業界の発展を阻害するようなご意見ですね」
「実害を被った人がいる以上、子供のいたずらだから、で笑って見過ごすわけにはいかないんじゃないですか? 警察だってそう判断したから、補導に踏み切ったわけでしょう」
「被害届も出ていないのにですか? そもそも......」
不意にピーター斎藤が小さく手を挙げて私を制した。ピーター斎藤は、スタッフらしい女性が差し出したタブレットを覗き込みながら、小声で話している。やがて小さく頷いたピーター斎藤は、興奮気味に顔を輝かせて、カメラの方に向き直った。その顔がアップになる。
「たった今、入ってきた情報です」笑みを抑えきれない、といった様子のピーター斎藤は早口で伝えた。「昨夜から今朝にかけて、複数のブログや動画配信サイトにアクセスしたユーザから、ランサムウェアに感染したとの報告が上がっているようですね。訪問したサイトには、いずれもCoinMakerEx のスクリプトが動いていたとのことです」
愕然とした私は、自分のスマートフォンを取り出した。オフにしてあった電源を入れると、SMS やメール、Twitter のDM、LINE などの通知でいっぱいになっているのがわかった。
「ただ、パーフェクト・ディフェンダーの最新版がインストールされていたPC やスマホは、その被害を免れていたということですよ。タカミス先生、これはどういうことなんでしょうか」
私は言葉を失って、ピーター斎藤の顔を見ることしかできなかった。ネットには、私の顔のアップが配信されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜遅く、ようやく自宅に戻った私は、スマートフォンの電源を切ってデスクの上に放り出すと、コーヒーメーカーのスイッチを入れて、ソファに深々と沈み込んだ。
事実確認と問い合わせへの返信で、午後から夜にかけてのほとんどの時間を費やすことになってしまった。スラドをはじめ、各種のIT系ネットニュースには、この件がトップに上がっていて、私が茫然自失となっているシーンの動画が、繰り返しアップされている。もはや、見返す気にもならない。
ニュースが飛び込んできた時点で、番組の残り時間は5 分を切っていた。私は必死で情報収集に努めたが、その短い時間で成果を得られるはずもなかった。逆に須加野氏は、鬼の首でも取ったように、ベラベラとパーフェクト・ディフェンダーの宣伝と自画自賛を繰り返し、司会者のピーター斎藤もそれを止めようとしなかった。リアルタイムで寄せられたコメント数は過去最大で、その大部分が、高村ミスズへの失望だった。技術的な観点から冷静な援護をしてくれたコメントもあったが、その他のコメントに押し流されてしまった。忌々しいことに、番組終了後の1時間で、パーフェクト・ディフェンダーのダウンロード数は、Android 版だけでも10 万件を超えたそうだ。
すでにほとんどのサイトから、CoinMakerEx のスクリプトは削除されていたから、事実確認にはかなりの時間を要した。だが、何とか残っていた海外のサイトのスクリプトを調べたが、以前に確認したスクリプトと変化がなかった。ランサムウェアを感染させるような記述は1 行も書かれていない。
何人かの被害者がアップしたスクリーンショットによれば、感染したランサムウェアは、デバイス内の主要データを暗号化し、ビットコインで身代金の支払いを求める典型的なものだ。ブラウザとOS の脆弱性を利用して感染するものだが、最新のブラウザであれば対策が施されている。
つまり調べた限り、CoinMakerEx とランサムウェアとの間に、直接の因果関係はない。こうなると別の要因を考えるべきだ。パーフェクト・ディフェンダーのユーザが被害を免れた、というのも怪しい。なにより発覚したタイミングが絶妙すぎる。よりによって、私とHSS ジャパンの関係者が生放送に出演している最中とは。
私の思考は、バイブ音で妨げられた。スマートフォンの電源は切ったはずだが、とデスクの上に視線を投げたが、震動していたのは特殊用途にしか使用しないブラックベリーだった。手を伸ばして充電スタンドからブラックベリーを掴む。表示を確認した私は、眉をひそめた。
ボイスチェンジャーアプリを作動させ、私は通話アイコンをタップした。
「キサラギ、珍しいな、そっちからとは」
『どうも、ボス』陽気なキサラギの声が答えた。『夜分にすいません。今日は、お友達が大変でしたね』
キサラギの前では、私は三村スズタカという男性で、高村ミスズの同僚ということになっている。だが、キサラギは情報収集の天才だ。その気になって調べれば、その二人が同一人物であることぐらいわかるはずだ。単に調べていないのか、調査した上で、なお私の芝居に付き合ってくれているのかは不明だ。
「お悔やみでも言うために、わざわざ電話をくれたのか」
『お悔やみって』キサラギはクスクス笑った。『死んだわけじゃなし。あ、でも、セキュリティ研究の第一人者としてのタカミス先生は、死んだようなもんですか』
「お前は、あの事件、どう思った?」私は訊いてみた。「スーパーハッカーのキサラギじゃなく、一人のネットユーザとして」
『サイバー対策課、やっちまったな、としか』キサラギは含み笑いしながら答えた。『でも、オレは普通にJavaScript の知識あるし、ソースも見たからそう思いますけど、そこまで知識のない一般ユーザなら、警察が補導したってことは、それなりの怖い仕組みを仕込んでたんだろうな、と思うかもしれませんよ。これも一種のデジタルデバイドってやつですかね』
「そうか、そういうもんなんだろうな」
『いや、電話したのはそんなことじゃなくて、仕事の話です。実は依頼人からコンタクトがあったんです』
「お前に?」私は首を傾げた。「珍しいな」
三村スズタカにコンタクトを取るには、慎重に厳選したコーディネータを経由する必要がある。キサラギもその一人だが、その経路はかなり複雑で、IT 企業関係者に限られる。これまで、キサラギ経由で依頼されたことは、一度もない。
「今、時間が取れるかな。ちょっとゴタついてるから......」
『依頼人が誰だか知ったら、きっと興味がわくと思いますよ』
「誰だ」
『例の補導された女子中学生です』キサラギは答えた。『今日の番組で言うところのAちゃんですね。どうです? ちょっと興味深くないですか』
「ちょっとどころか」私は興奮気味になりそうな声を抑えた。「大いに興味があるな。依頼内容は?」
『名誉を回復してほしいということです』
「名誉も何も、その子が自分でリンクを貼ったのは確かだろう。ウケ狙いとか何とかで。あれが犯罪とはほど遠い内容なのは間違いないが、それでも......」
『Aちゃんはそうじゃないと言ってるんです』
「どういうことだ」
『元々、Aちゃんが入手したリンク先は、本当にアイドルの画像が集まったサイトだったんですよ。誰かが彼女を罠にかけて、彼女はそれに引っかかってしまったんです』
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
久々の高村ミスズの事件簿です。
実は別の話を書いていたんですが、急遽、こっちを書きました。
全3回、残りの2 回は水曜日、金曜日にアップ予定です。
コメント
匿名
なんとなく予感がしたら
連載再開でした!
ロコ
新作\(^o^)/
とても旬なテーマですね
水・金 楽しみにしてます!
匿名
別の話も期待してます!
匿名
旬のネタを逃さない小説家の鑑
へなちょこ
きた、きた、きた、きた、きたーーーー
待ってました新連載。
来週の月曜が待ち遠しい
あしの
月曜にはチェックするようにしていましたが・・・水・金が楽しみです!
今後の長編にも期待していますね。
匿名
タイムリーなネタですね!
高村ミスズ先生がこの件をどう調理するのか、楽しみです!!
匿名
さすがリーベルG先生!
流行の最先端を!
おのちん
おかえりなさい!ずーーっと心待ちにしていました。続きを期待しています。
匿名
話題の無限アラート事件とCoinhive事件を絡めていくスタイル…ッ!
しかしタカミス先生ならば「事実関係の裏が取れるまでコメントは差し控えさせていただきます(ニッコリ)」くらい言ってほしかった…ッ!!
早速独自展開のようなので大いに期待してます。
匿名
大丈夫ですか、逮捕されないですか(萎縮)
匿名
警察びっくり罪で逮捕されないか心配です
MUUR
今週中に続きが読めるなんて嬉しい!楽しみに今日も仕事頑張ります
MUUR
今週中に続きが読めるなんて嬉しい!楽しみに今日も仕事頑張ります
atlan
これは「ウイルス対策ソフトによって検知された」のか「ウイルスソフトとして検知された」のかのどちらかでしょうか?
>3.ウィルスソフトに検知されたことを知った
育野
新作が読めるのは素直に嬉しい.次回作の予定があるのも楽しみ.
一方,その手のネタに困らない現実社会ってのはどうなんだろう.
手放しに喜んでいて良いのか,複雑な気分です.
リーベルG
atlanさん、どうも。
「ウィルスソフト」だと、ウイルスそのものみたいですね。少し記述を変更しました。
Dai
出遅れました。
YouTouber が3回出てきますが固有名詞ではないですよね?
リーベルG
Dai さん、ご指摘ありがとうございます。
o が余分でしたね。
さかなでこ
細かいとこですが。
「だから、それが技術者の一方的な視点だと言っているですよ」須加野氏は薄ら笑いを浮かべた。
須加野氏=めぐみんかな?
リーベルG
さかなでこさん、ありがとうございます。
「ん」が抜けてますね。