魔女の刻 (16) 戦争の技術
戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない、と書いた作家がいる。私たちは戦争の渦中にいた。非常にバカげた戦争だ。そんなことに費やすリソースを、何かもっと建設的なことに活用すれば、この業界も、この世界もずっとよくなるだろうに。
エースシステムとQ-LIC の関係が良好でないことは、開発センターにいる人間にとっては周知の事実だった。Q-LIC にしてみれば、エースシステムは自分たちが種を蒔き、少なくないマンパワーを注力して育てた果実を、後から来てかっさらっていく盗人に見えるだろうし、エースシステムの立場からは、Q-LIC は一部のくぬぎ市職員に対する影響力を駆使して、プロジェクトに横やりを入れてくる目障りな存在でしかないだろう。
今年からプロジェクトに参加した私たちは知らなかったが、この戦争は去年の8 月、エースシステムがくぬぎ市再生プロジェクトを受注した時点から始まっていた。白川さんが多くのシステムエンジニアを率いて要件定義を進めている際には、エンドユーザであるくぬぎ市からの情報提供が遅れたり、担当者間で決まった要件が、上長の一声で白紙に戻ったりということが日常茶飯事だったらしい。当時、タスクフォース推進室は十分な権限を持っておらず、瀬端さんたちは文字通りお役所仕事の壁に阻まれ、十分な統率力を発揮することができなかった。プロジェクトに批判的な市幹部からの、直接的、間接的な妨害もあったし、タスクフォースの実力不足を理由に、市長のくぬぎ市再生プロジェクトの中止、または延期をもくろむ派閥もあったのだ。天下りというエサをぶら下げたQ-LIC が、裏で糸を引いている疑いは濃厚だったが、アドバイザリ契約のせいで、瀬端さんたちには打つ手がなかった。
Q-LIC の兵装が利権だとすれば、エースシステムの主力兵器はプロジェクト推進力だった。ソースを書く技術はなくても、エースシステムの暗黙知→形式知変換能力は一流だ。中でも白川さんのそれは際立っている。
こんな伝説が残っている。
要件定義フェーズの開始直後、白川さんは、それまでQ-LIC 絡みで甘い汁を吸っていた市幹部による子供じみた嫌がらせにたびたび見舞われていた。打ち合わせの定刻5 分前に延期の連絡が入ったり、会議室の場所をわざと間違えて伝達し、遅刻したことを責められたり。セクハラまがいの誹謗中傷もあったらしい。
奈須野市長は、それを諫めるどころか、黙認していた。前市長時代には教育委員会にいて、現在の学校情報システム導入にも携わっている。学校システムのタブレット購入の際、不明瞭会計に関わった疑惑でネットメディアにスクープされたこともあり、決して清廉潔白な人物ではない。行動力を評価されて当選したわけではないので、自身が宣言した再生プロジェクトについても、どっちつかずの煮え切らない態度を続け、周囲を苛立たせていた。おそらく、Q-LIC にすり寄って将来の保証を得た方がいいのか、くぬぎ市再生の立役者としての名声を得た方がいいのか、決めかねていたのではないだろうか。
親Q-LIC 派閥にとって想定外だったのは、白川さんの行動力だった。要件定義フェーズが開始されて2 週間後、白川さんはB 全用紙数枚とボールペンだけを携えて、定例の進捗会議に臨んだ。退屈そうな市長が席に着くと、白川さんは部下に命じて、会議室のテーブルを動かし、大テーブル1 つを挟んで市長と向き合った。そしておもむろにB 全用紙を広げると、自らが構想する新たなくぬぎ市のICT システムイメージを描き始めたのだ。
PowerPoint やExcel を駆使した見映えのいいイラストやグラフを見慣れていた市長は、度肝を抜かれて白川さんの手の動きに見入った。白川さんの繊手が4 色のボールペンをしなやかに躊躇いもなく操り、力強い線を白いキャンバスの上に描いていく。行政オンラインシステム、クラウドサービス、学校情報支援システム、図書館システム、地元商業振興支援システムといった電子的なオブジェクトが、市庁舎、地元商店、2 つの中学校と4 つの小学校、市立図書館などの物理的な構造物と同時に生み出されていった。それらの周囲には、専門用語を極力排除し、それでいて必要な事項を省略することなく、少しクセがあるが読みやすいゴシック体で情報が書き込まれた。
30 分後、白川さんはペンを置くと、B全用紙を180度回転させ、市長の顔を見て笑みを浮かべた。市長は思わず小さく拍手をしたという。市長の目の前に広がっていたのは、市民の生活拠点と、行政システム、それらを行き交う情報の流れが過不足なく再現された一種のマップだった。
参加していた市幹部の一人が、おそらく難癖をつける意図で、まだ計画されてもいない文化交流センターの建設について述べ、マップの中央に指を立てた。ここに建てたら、この図は成り立たないんじゃないかね。白川さんがあらかじめリハーサルしてきただけで、虚を突けば、うろたえる様が見られると考えたのだろう。
だが、エースシステムの白い魔女は、顔色ひとつ変えずにボールペンを握り直すと、幹部が言った通りの場所に新しい構造物を追加し、ICT システムの構成を赤で修正してみせた。それまで赤色を1 度も使わなかった理由が、このような修正要望に対応するためだと知った市長は、再び手を打ち合わせて賞賛した。
それから数時間の間、市長とタスクフォースのメンバーは、これまでの全時間を合わせたよりも、はるかに有意義で濃厚な時間を過ごした。様々な意見を出し合い、熱く議論を交わし、白川さんにぶつけた。白川さんは熟練したラップバトラーのように、それら全ての意見を受け止め、マップに書き加え、修正し、逆に提案をすることで、現実面、ICT 面からの補強を行った。予定時間を遙かにオーバーして進捗会議が終わった後、市長は白川さんと固い握手を交わして言った。万事、エースシステムさんにお任せする。無制限の白紙委任状を得たようなものだった。親Q-LIC 派の幹部たちの出る幕はなかった。
こうして緒戦はエースシステムが勝利を収めた。白川さんが書いたマップは、今でも市長室の壁に貼られているそうだ。
一敗地に塗れたかに見えたQ-LIC は、しばらくの間、鳴りを潜めていた。実際、年が変わり、実装フェーズに入るまで、Q-LIC からも、市幹部からの妨害はなかったようだ。だが、Q-LIC は手を引いたわけではなかった。慎重に、冷酷に、辛抱強く、次の機会を窺っていたにすぎない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高杉さんの宣言によって制約を解かれたくぬぎ市からは、堰を切ったように新たな機能追加要望が押し寄せ、私たちは再び打ち合わせに駆り出されることになった。その中には<Q-FACE>への地毛証明書の転送もあれば、アンケート内容の編集機能も含まれていた。幸い、私や細川くんが打ち合わせを担当することはなかったが、アサインされたプログラマは一様に不満そうな顔をしていた。<Q-FACE>関連機能追加の打ち合わせに出たチハルさんは、その日のランチで不満をぶちまけた。
「あのキモオヤジ」チハルさんは頬張ったおにぎりを咀嚼しながら、井ノ口課長を罵倒した。「あたしの顔見て、BM でドライブ興味ない、とか聞きやがるんですよ。自分の顔と年を参照してから言えっての。こっちはそこまで敬老精神持ち合わせてない!」
私は飛んできた米粒をよけ、ティッシュを渡した。
「しかもですよ」ティッシュで口元を拭う間も惜しむように悪態が吐き出される。「地毛証明書だけじゃなくて、異性交友傾向だとか、アイラインのありなしだとか、ピアスの穴だとか、教師への陰口だとか、学校内での生徒の行動を監視して記録するような仕組みつくれないか、だとか、くっだらないことばっか聞いて。脳ミソにウジでも沸いてんのかよ、って言いたくなりましたよ」
「弓削さんも同席してたの?」キョウコさんが訊いた。
「いましたよ。相変わらず痛い格好で。笑えないオヤジギャグ飛ばして、あたしが反応しないと、あいたたた、滑っちゃったかな、とか自虐して。あれは、面白いとでも思ってるんですかね」
「あー、憂鬱だわ」ユミさんがセロリスティックをかじりながら、大きくため息をついた。「午後から、私、市役所で打ち合わせなんだよね。チハちゃんの話聞いてたら、もっと憂鬱になってきた。キョウコさん、変わってもらえません?」
「冗談は日曜と祝日だけにして」
そのときは笑っていた私だったが、翌日にアサインされた打ち合わせで、チハルさんの怒りを共有することになった。相手は、市立図書館総務課サービス係の石井課長補佐と、Q-LIC の高萩さんだった。石井課長補佐は教育委員会の人で、市立図書館の図書調達の責任者でもある。高萩さんは弓削さんの部下で、図書館業務担当としてQ-LIC から出向してきている。エースシステムからは、システムエンジニアの岩木さんが同行した。3 年目で、まだまだ修行中という印象が抜け落ちていない男性だ。
新たな機能追加要望として切り出されたのは、図書館内の排架サポート機能についてだった。排架サポート機能とは、図書館に納入された本を、一定のルールに従って分類し、適切な書架への配置を行う機能である。最終的には人間が調整して決定するが、このサポート機能によって多数の書籍を人力で分類する手間を省くことができる。ちなみに、ドストエフスキーが「旅行/海外」の書架に置かれていたりするのは、現行システムがQ-LIC の独自すぎる基準に従っているためだ。もちろん、リニューアル後のシステムでは、日本十進分類法に従う形で排架されることになっている。
「高さの概念を導入したいんだよね」と石井課長補佐は言った。
「高さですか?」私は訊き返した。「高さと言いますと?」
石井課長補佐はバインダーから図面を取り出すと、嬉々として説明を始めた。
くぬぎ市立図書館には、コンクリートの打ちっ放しの壁沿いに、高さ4.1m、9~12 段の巨大な書架がずらりと並んでいる。当然、普通の人は上の方には手が届かないため、キャスター付きの脚立を使う。ただし、安全面の配慮から、来館者による脚立の使用は禁止されているので、高所の本を閲覧したいときは図書館員に依頼することになる。
「で、ここからが本題なんだけどさ。ある特定の本だけ、上の方に排架されるように設定したいんだよね」
「特定の本と仰いますと?」
重い百科事典などを高所に置いて、地震などで落下したら危険だからかな、と想像したが、石井課長補佐の頭にあったのは真逆の考えだった。
「隣の本屋で売ってる本は、上の方に置いておきたいんだよね」
「本屋?」私は首を傾げた。「それと高さが何の関係があるんでしょうか」
「わからないかなあ。高いところにあったら、取るのを諦めて本屋に行くかもしれないでしょ。図書館は人手不足だから、取ってもらうのも順番待ちだしね」
つまりクリックブックスに在庫がある本は、わざと取りにくい場所に排架しておいて、善良な市民に図書館で借りるのを諦めさせるわけか。全員が自費での購入を選ぶとは思えないが、クリックブックスへ「客」を誘導する助けにはなるかもしれない。
「......はあ」
よく、こんな姑息なことを考えつくものだ。私は呆れるより先に感心してしまった。
「その特定の本というのは、どうやって決めるんでしょうか」
「ああ、それはですね」高萩さんが言った。「日次でクリックブックスの在庫状態を連携する方向で」
「よろしくお願いします」
石井課長補佐は嬉しそうに頭を下げ、高萩さんは「いえいえ」とか言いながら、ニヤニヤ笑った。揃いも揃って、市民の血税をなんだと思っているんだろう。エースの岩木さんは、会話を聞き取るのがやっとで必死にメモを取っていたが、さすがに白けたような顔をしている。
「......わかりました」私は、この不快な人たちとの時間を終わらせたい一心で言った。「では、そのデータの連携方法をいただけますか」
「ああ」高萩さんは、今頃気付いたように頭を掻いた。「ごめんごめん。資料、忘れちゃったよ。じゃ、そっちの打ち合わせは別の日にってことでいいかな」
よくはないが、ここで文句を言っても、資料が出てくるわけでもない。リスケをお願いして、私はさっさと開発センターに戻った。
万事、この調子だった。機能追加要望がどんどん積み重なっていくのに比例して、私たちのモチベーション曲線は下降する一方だった。たとえばユミさんが聞いてきた機能追加は、授業中にタブレットのカメラで定期的に生徒の顔写真を撮影して、居眠りや内職を防止したい、という内容だった。さらに、それらを生徒情報と一緒に<Q-FACE>に転送する仕様も希望していたという。
「土地付きで一戸建てをくれるとしても」ユミさんは静かに怒っていた。「絶対に、何があっても、くぬぎ市に移住するのだけはやめるわ」
こうした例ばかり見聞きしていたせいで、エースシステムはQ-LIC と手を結ぶことにしたのか、と誤解したプログラマが大勢いたが、それは間違った思い込みだった。6 月1 日の朝、全員をフリースペースに集めた白川さんは、短い挨拶の後、こう告げた。
「今日は悪い知らせと悪い知らせがあります。まず、マギ情報システム開発さんの2 名と、FCC みなとシステム開発さんの2 名の契約を、5 月末日で終了しました」
私たちは息を呑み、ついで、大きなざわめきが広がった。白川さんは、それを圧するように声を張り上げた。
「理由はそれぞれの会社の都合......」白川さんはニヤリと笑った。「にしておきたいところですが、そのような生やさしい話ではないので、正直にお知らせします。この2 社は、多くのコンテナに意図的なバグを混入させていたことが判明しました。そう言われれば、みなさんの中も心当たりがあるのではないでしょうか」
私と東海林さん、細川くん、それに草場さんは雄弁な視線を交わし合った。むろん、周囲のプログラマたちの動揺は小さいものではなかった。
「あの」チハルさんが手を挙げた。「それは、つまり、プロジェクトの進行を妨害してたってことですか」
「そうです」白川さんは大きく頷いた。「悪質な妨害工作です。先に言っておくと、もちろん彼らは使われただけです。名を言うもはばかる某社の命を受けて、このプロジェクトに潜入していたわけです。本来なら損害賠償請求してもいいぐらいの卑劣な行為ですが、そこは武士の情け、ということで、単なる契約終了で済ませました。請求書が届けば、弊社はきちんと支払を完了します。ただし、今後、関東圏内で仕事をするのは難しくなるでしょうね」
「どこが武士の情けなんだか」東海林さんが囁いた。
エースシステムは、K自動車などの大手企業を顧客とするSIer だ。当然、それらの優良顧客の仕事にありつきたい、無数のIT 企業に対して大きな影響力を持つ。白川さんは今、マギ情報システム開発と、FCC みなとシステム開発に、圧力をかけると宣言したのだ。
「2 つめの悪い知らせは」白川さんは続けた。「これでみなさんの負荷が増大するだろうということです。4 名減ったということは、その分のしわ寄せが、みなさんに降りかかることになります。帰宅時間はさらに遅くなりますね。まあ、来週から、3 階のスパ施設と、2 階の簡易宿泊設備が使えるようになるので、往復の時間がもったいないと思う人は、泊まってしまうのも手だと思いますよ。限られた時間は有効に使わないとね」
何人かが呻き声を上げた。私もその一人だ。これから、個々の作業量が増えていくと、これまでのように東海林さんか細川くんと帰りの時間を合わせることが難しくなるかもしれない。簡易宿泊施設は、一応個室になっているものの、柔らかいベッドに快適なエアコンというわけにはいかない。私は慣れない環境だと寝付きが悪いので、あまり積極的に利用したいとは思えなかった。
「最後に、先月のQ-LIC に関する報道を見て、また、弊社の受注体制を見て、何かと誤解をしている方がいるようなので、ここではっきり宣言しておきます。私たちが、Q-LIC の利益誘導を黙認しているとか、むしろそれに乗っておこぼれを頂戴しようとしているとか、いっそ地方自治体向けビジネスのためにQ-LIC と提携するとか、そのようなバカげたウワサが飛び交っていることは知っていますが、ここでキッパリ否定しておきます。弊社は国内有数のSIer であり、エースグループでもトップ5 の売上を誇る優良企業です。Q-LIC のような素人と手を組むことはあり得ません。弊社がくぬぎ市からの追加要望を片っ端から受けているのは、くぬぎ市にがっちり食い込み、最終的にはQ-LIC を弾き出すためです。そのためには、先のような妨害工作には、断固たる措置を取っていく所存です」
ざわめきは消え、沈黙に置き換わっていた。白川さんは、最後にニッコリ笑い、私たちを見回した。
「なんて、ちょっと政治家みたいなこと言っちゃいましたけど、要するに、私たちは誰かの風下に立つことはほとんどないし、あったとしても、その相手は慎重に選びます、ってことです。この件について疑問なり意見なりがあれば、いつでも私に連絡してください。よろしいですか? では、今日も、お仕事がんばりましょう」
私は席に戻る途中で、4 つの空席を見た。気の毒に、とは思ったが、FCC みなとシステム開発の青柳さんや、マギ情報システム開発の杉浦さんの行動を擁護する気にはなれなかった。私たち中小IT ベンダーの武器は技術力しかない。その武器を悪用することを選択したのは、彼ら自身の責任でしかない。
これでQ-LIC は、また手駒を失ったことになる。Q-LIC は次にどう出るのだろう。
「エースの逆転サヨナラってことですね」席に着くと細川くんが囁いた。
「まだペナントレースは終わってないよ」
Q-LIC には、市政アドバイザリという立場が残っているし、各地の地方自治体に売り込みをかけている事実を背景にして、くぬぎ市に対しても影響力を増す可能性もある。システム開発については素人でも、企業としての競争力はあなどれない。
「それに、あたしたちの負荷が高くなるのは間違いないしね」
「あー、そうですね」細川くんは呻いた。「また帰りが遅くなりますね。いろいろ、準備で忙しいのに」
「その後、しっかり休めるんだからいいじゃないの」
細川くんは、6 月17 日の土曜日にハワイで結婚式だ。リゾート婚というやつで、そのまま25 日まで休みとなる。
「へへ」細川くんは相好を崩した。「お土産楽しみにしててください」
「ありがと。マカダミアナッツ以外でお願いね」
「他に何があるんですか」
「そういえば、白川さんは何て?」
先月のうちに、細川くんは6 月に休むことを連絡していた。
「いえ、別に。普通におめでとうと。アサインスケジュールを調整しなきゃ、とは言ってましたけど」
「休む前に、大量にチケットをアサインするって意味じゃなきゃいいね」
「やめてください」
もちろん、白川さんがそんな非道なことをするはずもなかった。数日後に判明したことだが、6 月に入ってから細川くんにアサインされたチケットは、どれも難易度が低く、打ち合わせも含まれていなかった。細川くんは、ほとんど18:00 に退社できるようになり、毎日が誕生日のように楽しげだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
6 月の日々が順調に過ぎ去り、細川くんはハワイで結婚式を挙げるために旅立った。私は、毎日、東海林さんの車で出勤し、ときどき時間を見つけては、草場さんとランチを楽しんでいた。アサインされるチケットの数は増えたが、私はこの仕事を楽しみ始めている自分に気付いていた。強力なリーダーの元で、完成に向かって突き進む一体感がもたらすものだ。
私がくぬぎ南中学校で出会った男の子、矢野ユウトくんに約束させられたチャット機能も、さりげなく私にアサインされた。白川さんが忘れていなかったことも、ユウトくんとの約束を守れることも嬉しかった。具体的なエンドユーザの顔を思い浮かべられると、プログラマの意欲は何倍にもなるものだ。
他のプログラマも同じく意欲的に仕事に取り組んでいるようだった。理由の1 つは、くぬぎ市から乱発されていた機能追加要望が、次第に減ってきたためだ。高杉さんか、白川さんが、くぬぎ市と何らかの交渉をしたためだと思われたが、詳細は明らかにされなかった。妨害工作を行うプログラマがまだ潜んでいるかもしれない、という疑いは拭いきれなかったが、今のところそれらしい兆候はない。東海林さんも草場さんも、犯人探しのような作業から解放され、本来の実力を発揮してプロジェクトに取り組んでいる。
このままなら、このプロジェクトも最初に思ったほど悪いものではなく、満足感とともに終わるかもしれない、と思いかけた頃、その知らせは飛び込んで来た。
6 月22 日、木曜日の朝。開発センターに入った途端、私はいつもと異なる雰囲気を感じた。エース席のサブリーダー、システムエンジニアたち全員が、固定電話かスマートフォンのどちらかで通話している。単なる業務連絡でないことは、彼らの切羽詰まった表情を見ればわかった。やがて、サブリーダーの新美さんが青い顔でやってきて、プログラマ全員をフリースペースに集めた。
私たちが首を傾げながら集合すると、新美さんは蒼白なまま告げた。昨夜、白川さんが自宅近くで交通事故に遭った。命に別状はないが、右脚と肋骨数本を折って全治 2ヵ月。現在、川崎市の病院で治療中。白川さんをはねたバイクはそのまま逃走、警察が行方を捜索中。
私たちは一言も発せないまま、新美さんの言葉を聞いていた。
(続)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。
次回は「魔女の刻」をお休みして、クリスマス話になる予定です。ひょっとしたら金曜日になるかもしれません。
コメント
KBC
プログラミング(物理)より先に社内人事(物理)が炸裂するとは……。
いや、現時点では本当にただの事故である可能性も0ではないか?
>この2 社は、多くのコンテナに意図的なバグを混入させていたことが判明しました
これ、損害賠償の話どころか、れっきとした犯罪行為なのでは?
偽計業務妨害罪か威力業務妨害罪あたりの。
警察に突き出さずに、契約終了で済ませるあたり、嫌なリアリティがあるというか……。
コバヤシ
白川さんならバイクにひかれそうになってもアクロバティックに回避しちゃいそうですが、そうはいかなかったのですね。。陰謀の予感・・
毎回楽しみにしてます!早く続き読みたいです。
DLNA
白川さん!
ITエンジニアのみなさんに読んでほしい技術書・ビジネス書を選ぶイベント『ITエンジニアに読んでほしい!技術書・ビジネ
ス書 大賞 2018』
に、レッドビーシュリンプの憂鬱を投票しました!
aoi
配架の間違いなんじゃないかと思いましたが図書館用語では排架なんですね。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000066618
白川さん、なんてこと。病床からでも指揮を執りそうなものですが。
匿名
単体テストを通るか通らないかレベルのバグが、意図的なものか技術力不足なのか単なる手抜きなのか仕様の勘違いなのか立証するのってすごく大変そう
匿名
Q-LIC、やってることがまるで893...( ;´・ω・`)
SQL
毎週面白い
自分の中で線引が難しい。
エースシステムは、現実に本当にありそう、という話の中に出てくる企業のイメージ。
Zの方は、完全に現実から離れている話。
今回の話は、エースシステムとZ(Q-LIC)が混ざっている。
だから、「これ良くある。分かる!」っていうテンションで読めばいいのか、
現実ではない世界の話として楽しめばいいのか難しい。
要件定義などの妨害工作は、「これ良くある。分かる!」だけど、
交通事故はさすがに非現実的。
むずかしい。
匿名
悪い知らせと悪い知らせと悪い知らせ
匿名
>単体テストを通るか通らないかレベルのバグが、意図的なものか技術力不足なのか単なる手抜きなのか仕様の勘違いなのか立証するのってすごく大変そう
裁判レベルで証拠がそろっていれば白川さんは喜んで裁判沙汰にして
Q-LICの影響ごと排除(直接の関係者は勿論、親Q-LIC派もうかつなことは
できなるなるでしょう)したと思いますが、そこまでではない、しかし、
現場の人間が確信を持つレベルの状況証拠は揃ったからこそ、表向きは
「単なる契約終了」にして、ただし、エースとして業界内に絶縁状を回す
って制裁なのかとおもいました
通りすがり
白川さんはとても優秀だけど、ちょっと自分の事を過信しすぎかなぁ
今回の事故は極端な例かもしれないけど
急病で一か月入院とかは、普通にあり得る事だし
もっとサブリーダーにリスクを分散すべきかな
ウェルザ
リスク分散しなかった結果、第一話の悲劇を生んでるからごもっとも
ただ大手企業相手にする程プログラムでもメカニックでも船頭多くなって船が山登り易いのも事実
孫請けからしたら「誰の意見聞きゃいいの?」状態によくなるから横の繋がりだけ維持しつつリーダーに一括される方が切られるにしても楽(自社の状況は知ったこっちゃない)
匿名
普通?のシステム開発の話だったのが少しずつ陰謀と非日常と狂気に侵食されてきてる感じがする
でも最後に笑うのは白川さんだろうな、強キャラすぎて負ける姿が思い浮かばない
匿名
高杉さんにあっさりと抑え込まれてますけど。
まあ、連載冒頭の描写からは、
*あ*の*高杉さんにも成長の機会があるようだ。楽しみにしています。
匿名
陰謀こええ。
ひょっとして1話の事件ではもう白川たんは・・・
匿名
>>高杉さんにあっさりと抑え込まれてますけど。
実は普段隠しているが、高杉のリアルファイトの実力は白川をも上回るレベルで、
一度白川は高杉にリアルファイトで完敗して以降頭が上がらないという前歴がある、なんてオチが来たりして。
マジレスすると、エースシステム自体かなり権威主義的な社風だし、そこに勤めている白川も、なんだかんだ言って権威には逆らえない性格なのかもね。
さもなくば、社風のミスマッチでどこかの時点でドロップアウトしてただろうし。
匿名
高杉さんも承認くんの一件以来、密かに修行してstatic領域くらいは展開(?)できるようになってるかも・・・
匿名
なーんか草場さん怪しいなぁ
匿名
まぎ情報システムやFCCみなとみらいなんて会社ははじめから無かった、とか?
匿名
ここまでしてくる相手なら第1回のセレモニー前日の妨害とか想定内すぎて、逆に白川さんは当日朝に全環境を抱えて颯爽と登場という流れになったり…
連絡が付かないことの説明にはならないけど。(高杉さん含め内部も信頼してない?)
匿名
>ここまでしてくる相手なら第1回のセレモニー前日の妨害とか想定内すぎて
というか、第一回で、サードアイの面々が今回の一件を回想するシーンが無かったのが、
今思い起こすと不自然に感じてきた。
一番有り得そうなのは、作者が第一回の時点で、この事件を回想するシーンを、(伏線張りやミスディレクションなどを意図して)意識的にカットしたって可能性だが……。
さもなくば、今後この現場では、この一件程度なら回想するまでもないほど、大事件や怪事件のオンパレードで、
第一回の時点でサードアイの面々の感覚が麻痺してしまっていたのか。
後者だとすると、どれほどの大騒ぎがこれ以降待ち受けているのやら…?
匿名
Q-LICが妨害工作のために放ったZでくぬぎ市がバイオハザードに陥って、
開発センターに立てこもって対Z用のシステムを構築する流れかな
匿名
>というか、第一回で、サードアイの面々が今回の一件を回想するシーンが無かったのが、
>今思い起こすと不自然に感じてきた。
小説というものを、読んだことがない人なのかな?
匿名
>小説というものを、読んだことがない人なのかな?
どういうこと? なんで?
匿名
もしかしてリーベルGさんって、U社関連の人なのかしら?
登場人物名が自分的には引っかかりまくりです(爆)
匿名
>どういうこと? なんで?
第1回目から、あれもこれもって訳にはいかないでしょ。
加減てものがあるんだよ。
まったく、編集者気取りのヤツばかりだな。