ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(27) フォネティックコード

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 『それらしいのが......た』雑音だらけのサンキストの声がトランシーバーから聞こえた。『たぶん、これだと思う。電源が入ってるからな。このフロアの......だけ、電力供給されている......だ。何の電源なのか......だが』

 「ルータなんですね?機種名とか書いてないですか?」

 『最初の何文字かは合ってる』

 「裏面かどこかに、パスワードが貼ってあったりしませんか?壁に貼ってあるとか」

 『ちょっと待て......』物音が聞こえた。『そういうのはないな』

 「そうですか」

 機種によっては、初期パスワードが底面に貼ってあったりする。インフラの管理者が怠慢で、初期設定のまま使用していることを期待したのだが、最低限の危機管理意識はあったのだろう。

 「近くに、そのルータにつながってそうなPC とかないですか?」ぼくは訊いた。「電源が入りそうなやつで」

 サンキストが連絡してきたのは、2 つ上の階にある製薬会社のオフィスだった。DM か何かの発送業務を行う部屋のようだ。

 『ノ......がある』

 「え?」

 『ノートPC......ある』

 非常にまだるっこしいやり取りを繰り返した結果、その部屋にあるノートPC 数台のうち、1 台が奇跡的に電源投入可能だとわかった。その場に飛んで行きたかったが、他の全員から止められた。そこに至るまでに、何体ものZがうろついていて、安全が保証できないためだ。

 Windows7 が起動したと連絡があった後、ぼくは少し考えてブラウザを立ち上げるように指示した。

 「アドレスに、192.168.1.1 と入れてみてください」

 何度か訊き返された後、やっと意図が伝わり、返事が返ってきた。予想通り、ルータ管理のログイン画面が開いたようだ。ユーザとパスワードは、ブラウザに保存されていて、そのまま管理画面が開いた、と言ってきた。

 「えーと、メニュー項目を順番に読んでいってもらえますか」

 『デバイス......ネットワーク、セキュリ......再起動』

 「ネットワークを選んでください」

 『......選んだ』

 「どこかにパスワードらしいのがないですか?もしくは、暗号とか認証とか、そんなのが」

 『探してみる』

 しばらく通信が途絶えた。ぼくは、そばに立ってやりとりを見守っていたブラウンアイズの顔を見た。

 「やっぱり、ぼくが行った方が......」

 「ダメよ」ブラウンアイズは言下に拒否した。「狭い廊下や薄暗いオフィスであんたの安全を守る自信がないから」

 「ここまで来たんだから、あとフロア2 つ分ぐらい大した差じゃないだろう?」

 「そういう問題じゃないの」

 応答があったのは、5 分ほど経過した後だった。

 『たぶん、これだと......認証キーとある。文字と......だ』

 「それかな」ぼくはスマートフォンのWi-Fi 接続をもう一度タップして、パスワード入力画面を開いた。「読んでください」

 『行くぞ。全部大文字だ。エコー、マイク、セブ......エラ、チャー......』

 「え、え、ちょっと待った。なに?」

 ぼくは戸惑った。ブラウンアイズは自分のうかつさを呪うように舌打ちした。

 「ごめん。フォネティックコード、教えておけばよかった。サンキスト、もう一度最初から言って」

 『......エコー、マイ......ブン、シエラ......リー、フォー、ゼロ、ジュリエッ......ルファ、ヴィク......イン、ゴルフ、ナイナー、ロメ......タンゴ。以上、15 文字だ』

 ブラウンアイズは開いた掌に、EM7S?40JAV?G9RT と書いていった。

 「途中が切れた。もう一度お願い」

 サンキストが同じような単語を繰り返した。確認も含めて3回繰り返し、全ての文字列が確定したところで、ブラウンアイズは、ぼくの目の前に掌を広げた。ぼくは慎重にそのパスワードを入力した。接続ボタンを押すと、数秒間ビジーカーソルが回転した後、「認証中...」からIP アドレスを取得しています」と状態が変化し、あっさり「接続済み」となった。リンク速度は 54Mbps。

 「接続した!」ぼくは思わず声を高くした。

 「わかった」ブラウンアイズはトランシーバーを掴んだ。「接続できたそうよ」

 『了解......これから戻る。ついでに......を探し......く』

 ぼくは早速ノートPC のスリープモードを解除した。ネットワーク設定を開いて、スマートフォンにテザリングする。一度設定した内容なので、すぐに接続できた。

 このノートPC は、ソリストのデバッグ用で、専用のGUI が搭載されている。X Window System がベースになっているようだが、ブラウザやメールなどのアプリケーションは用意されていないか、削除されていた。これも機密保持のためなのだろう。

 「さて、どうやってffmpeg を持ってくるかな」

 通常なら、まずyum でインストールを試してみるところだが、インストール対象はこのノートPC ではなく、セキチューで胡桃沢さんがセットアップをしているはずのラズベリーパイだ。yum は使えないから、ソースのコンパイルで対応する必要がある。ただ、胡桃沢さんによれば、ffmpeg は依存性が複雑なライブラリなので、単純にソースをコンパイルしただけでは、たぶんダメだろうということだ。ぼくの任務は、関連するライブラリ群を過不足なくダウンロードし、コンパイル可能であると確認することだ。

 「ブラウザなしかよ」ぼくは額の汗を拭った。「ということは、スマホ側で検索して、URL をwget で持ってくるか......いや、待てよ」

 テキストベースブラウザを使用するという手もある。試しにターミナルを開き、lynx と入力してみたが「コマンドがありません」と返されてしまった。

 「入ってるわけないか。じゃあ......」

 yum install lynx で試したが、そもそもyum が入っていないらしく、またもや「コマンドがありません」のメッセージだ。apt-get も試したが同じだった。

 「うーん」

 ぼくは唸りながら時計を見た。9 時12 分。どこから電力を得ているのか知らないが、このアクセスポイントが使用できるのが午前中いっぱいだとすると、それほど時間が残されているわけではない。明日の同じ時間に出直してくるのも難しいだろう。バンド隊員たちは、最低限の水分で最大限の能力を発揮してくれているが、いつかは力尽きてしまう。

 「wget はあるんだろうな」ぼくは呟きながらキーを叩いた。「おいおい、これもないのかよ。まずこれからか」

 「ねえ、ちょっと」ブラウンアイズが気味悪そうな顔で見ていた。「それ、あたしに言ってるんじゃないわよね?」

 「ああ、ごめん。クセなんだ。気にしないで」

 「あ、そう」ブラウンアイズは立ち上がった。「じゃあ、邪魔にならないように適当にそのへんにいるから、好きなだけブツブツ言ってていいわよ」

 「ありがとう」

 ブラウンアイズは、呆れたように首を振ると、トランシーバーを持ってエスカレーターの方に歩いて行ってしまった。ぼくは、ほとんど気にせず手元に集中していた。

 まず、スマートフォンの方で、ブラウザを開いた。ソースでもRPM ファイルでも何でもいいから、wget をインストールするのが目的だったが、検索しかけて欠点に気付いた。wget を発見したとして、そのファイルをノートPC側に転送するのは面倒だ。それぐらいなら、ノートPC 側から直接ダウンロードした方がいい。

 スマートフォンを横に置いて、ノートPC でEclipse を開いた。新規プロジェクトを作成する。単純なJava アプリケーションだ。ぼくはノートPC を椅子の上に置き、自分は床に座って、新しいクラスの作成を開始した。

 このクラスはコマンドベースの検索ツールだ。まず、任意のキーワードでGoogle 検索をかけ、結果を取り込む。次に結果のリンクを順に開いていき、結果ページの中から目的のファイルへのリンクを探す。見つかった時点で、そのファイルをダウンロードする。GUI のブラウザ上でやることを、プログラムから実行するのだ。Apache の、HttpClient などがあれば簡単なのだが含まれていないので、Java 標準のクラスを組み合わせるしかない。

 たぶん、プログラミングに30 分ぐらいはかかったと思う。一通り完成したので顔を上げると、いつの間にか柿本少尉たちが戻ってきていた。たぶんブラウンアイズが、ぼくの邪魔をしないように、とか何とか言ってくれたのだろう。全く気付かなかった。全員で窓から外を見ながら、小声で何かを話している。どの顔も真剣なので、少し気になったのだが、それよりも自分の仕事をやるべきだ、と思い直した。

 ffmpeg "tar.gz" の2 つをキーワードに設定し実行をかけた。ノートPC からスマートフォンを通し、ネットの海に検索が実行される。とりあえずうまく動いているようだ。

 心配なのは、現在のインターネット環境そのものだ。<大いなるパニック>と呼ばれる世界的な大混乱の中で、各国のGoogle のデータセンターがいくつも稼働できなくなっていて、それらはいまだに完全復旧していない。他の検索エンジンの状態も似たり寄ったりで、昨今、検索結果が正確に返ってくるかどうかは、はなはだ頼りない。その予想は当たり、本家の、www.ffmpeg.org はダウンしているようだった。それでも、日本国内のミラーサイトで、ffmpeg-2.4.6.tar.gz を発見することができた。

 9Mbyte 弱のファイルを展開し、configure を試してみる。これがエラーなく完了すれば、ここからさっさとおさらばできるのだが、もちろんエラーが出た。x264、xvid などいくつかの依存ライブラリが足りないらしい。ぼくは検索条件を変えて、必要なライブラリを探し出し、インストールする、という作業を繰り返した。

 ブラウンアイズが真剣な顔で歩いて来た。

 「進行状況はどう?」

 「そうだな」ぼくはスマートフォンのバッテリー残量を確認しながら答えた。「あと何十分かはかかりそうだ。何かあった?」

 ブラウンアイズは躊躇った。

 「今のところは大丈夫。でもできるだけ急いで。ちょっと外の様子が......ああ、いいや。とにかく急いでね」

 それだけ言うと、ブラウンアイズは柿本少尉たちの元に戻り、外を見ながら何かを相談していた。

 結局、必要なライブラリが揃い、configure が完了したのは、11 時5 分前だった。make を実行して立ち上がる。make は時間がかかるとわかっているからだ。

 ぐっと伸びをすると、身体のあちこちがきしむようだった。気温も湿度も高いので、全身にびっしょり汗をかいていたことに気付いた。そういえば喉も乾いている。ぼくはブラウンアイズたちの方へ歩いた。バンド隊員たちは、窓から下を眺めている。

 「終わったのか?」ぼくの姿を目にした柿本少尉が訊いた。

 「あと、2、30 分だと思います」ぼくは窓に近寄った。「何が見えるんですか?」

 「さっき報告があったD 型が、この周辺をずっとうろうろしてるんだ」

 窓から眼下を見下ろすと、確かにD 型らしいZが、暑さなど意に介さずに全力疾走していた。R 型を見つけると、先ほど目撃したように首筋や腕に噛みつき、すぐに離れていく。

 「どういうわけか」ブラウンアイズが言った。「このビルの周辺から離れようとしないのよ」

 「オレたちがここにいることに気付いているのかな」サンキストが恐ろしいことを口にした。

 「ここにいることに気付いてるなら、さっさと入ってきそうなもんだがな」柿本少尉が応じた。「鼻がきく奴らだ。漠然とこのあたりで人間の匂いを嗅ぎつけたが、見える範囲にいないから、ぐるぐる回ってるのかもな」

 一度、ビルの柱の陰に隠れていたD 型が、また飛び出してきた。その途端、ぼくはさっき交差点で感じた既視感の正体に気付いた。

 「野球チーム......」

 「え?」

 「あのユニフォームを着た3 体のDZ ですが」ぼくは眼下を指さした。「昨日、みなとみらい大橋付近で、マーカーを打ち込んだZに似てませんか。いや、つまりユニフォームが」

 「実は」ブラウンアイズがぼくの顔を見た。「あたしもさっき同じようなことを思ったんです。あの野球チームは、第1分隊が担当したので、記憶にあったんです」

 「偶然じゃないのか。本当に同じZか?」柿本少尉が訊いた。「キトン、どうだ?」

 「野球チームに打ち込んだのは憶えてます」キトンは答えた。「自分がマーカーのシューターだったんで。ただ、Zの顔までは......」

 「つまりこう言いたいのか?」柿本少尉は疑わしげな顔だった。「昨日はR 型だったZが、今日はD 型になっている。そういうことか?」

 「そこまでは......」

 その時、ぼくたちが注視しているユニフォーム姿のD 型の1 体が、まるで視線を感じたかのように上を見上げた。白濁した眼球が怒りをたたえてぼくたちを射貫く。D 型は威嚇の雄叫びを上げ、そのぞっとするような声がぼくたちの耳朶を打った。

 D 型は身を翻し、ビルの陰に消えた。一拍おいて、1 階からガラスが派手に割れる音が響いてきた。

 「まずい」サンキストが呻いた。「入ってきたぞ」

(続)

Comment(19)

コメント

しんにぃ

R 型Z +マーカー = D 型Z?

マーカーを撃ち込まれるのが原因でD型に変異してるのかな?
R型はD型に噛みつかれるとマーカーが注入されてD型に変異したり・・・・

この展開だと、R型+マーカー=D型じゃなくてマーカーを撃ち込まれたZを誰かが操作している可能性が高いかも。
17話に実験段階だけどコマンドでZをコントロールできるとあるし。
ヘッドハンターがダメだったからZを使って暗殺。。。

となると、状況が分かってないとダメだからやっぱりボリスが怪しい。

BEL

やたらマーカーにこだわってたボリスは、タブレットでちょくちょく何をしてたのでしょうね。
やはりボリスが何かしてたのか、あっと驚く展開がまってるのか。

ハウンドはホールディングスというが、別で出てきたメカニカルは傘下なのか。
近未来的な設定という共通点はあるし。

bot

フォネティックコードと言うのか。知らなかった。
映画でよく聞くけど、呼び方がわからなかったよ。

atlan

通話表って奴ですね。日本語だと「アサヒのア/イロハのイ・・・」
無線とか電報とかで使ってたから年寄りでないと今の通信関係の人間でも知らないのが多い。
ジュラシックワールドでも命名規則がフォネティックコードがペースらしい。

ac

そっとスマホのLINEを立ち上げ‥
ってネット繋がったら助け呼べないの?

dai

助けを呼んでもすぐに来てくれない(来られない)っていうのと、嗅覚が戻るまで時間がないなど、自力脱出が優先かと。
とはいえ、時間ができたら(できたんだから)連絡は試みそうだけどね。

p

R型Zを軍事利用する研究とか傘社めいた予想をしてみる

taco

やっぱりマイクロマシンは陰謀っぽいね~
Zのソルジャー化を目指しているとか?

しっかし何週間前にちょっと出ただけの「野球チーム」がすぐに記憶から呼び起こされた。リーベルさんの伏線はうまいな~

ナナシ

マーカーを打たれたことによりある程度の追跡が出来てるっぽい?
あの描写はうーん野生のカンですかね。
とりあえず追いかけてるのは間違いない気がします。

ボリスはここまでわかってたんでしょうか。
さすがに博打がすぎると思うのですが。
逃走手段は確保してるのかそれとも何か使命のために、
自分の命が犠牲になる可能性も許容してるのか。

F

んー…。よく考えてみれば、みなとみらいからのネットアクセスの謎はまだ解けていない。生きたWifi局があったというだけ。誰(OR何)がアクセスしてるのかは見えていない…

それはそれとして、パスワードの英字が全部偶々大文字で指示もなく一発で伝わるって半端無い強運だなー。

それ以上に「Windows7が立ち上がった」方が運が良いです。
ネットワークの危機管理意識はあったのにノートPCにパスは無い辺り。
インフラ管理者じゃなくてノートPC使用者が独断で外したのでしょうけど…。
(過去にやられたことがあります…)

Zに関しては色々想像出来たりしますが…。
どれが当たるのかそれとも全部外すのか…非常に楽しみです。

popo

ふと疑問に思ったんですが、ソリストデバッグ用PCにスマホでテザリングしてるのはなぜなんでしょうか。
ラップトップで直接拾えないんですかね?

どうも腑に落ちなくて…。

Fさん、どうも。
全部大文字だった、ということにしました。

kawa

運がいいのはブラウザにルータのパスワードが残されていたところもですよね。

主人公がガンダムSEEDのキラとかエヴァンゲリオンの赤木リツコ、伊吹マヤに
見えてきましたw
なんでも解決するんじゃないかと。

こはだ

windowsのパスワードなしログインとか、ブラウザーにパスワード記憶するとか、本当に止めてほしい。
いくら言っても、絶対になくならないんだよなあ。
管理者の身にもなってくれ。

F

…あれ? そういえば谷分隊長、なんで留守番側にまわったんだろう?
Wifi探しなら柿本少尉よりよっぽど適任なはずなのに…

F

ところで、手順はconfigure→make test→makeではなく、configure→make→make testじゃないでしょうか?

F さん、ありがとうございます。
確かに、make の次がmake test ですね。いくつか修正しました。

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