鼠と竜のゲーム(20) すべて灰色の猫
「知り合い?イノウーが?」田嶋社長は目を剥いてぼくを凝視した。「クロラ氏と?」
「倉敷さんです」ぼくは訂正した。
倉敷さんからの電話をもらった後、ぼくは社長に用件を告げた。当然のことながら、社長は、倉敷さんがなぜぼくに名指しで電話してきたのか、という疑問を表明し、ぼくはやむなく事実を明かしたのだった。
「一体、どういう知り合い……」社長は首を傾げたが、何かに思い当たったような顔でぼくを見た。「……そういえば、イノウー、よく図書館に行くとか言ってたな」
「ええ、まあ」
「そこで知り合ったのか?」
「はい」
「しかし、それがこの件とどう関係してくるんだ?」社長はぼくに疑わしそうな視線を向けてきた。「お前、まさか、知り合いだからって、うちがT市立図書館の案件をやってたことを話したんじゃないだろうな?」
「えーと、あの……」ぼくは観念してうつむいた。「実はそうなんです」
「おいおい、勘弁してくれよ」社長は頭痛を抑えるように、こめかみに指をあてた。「お前、何考えてるんだよ。仕事のことを、無関係の社外の人間に話すって、あり得ないだろう、普通」
「すみません」
「五堂テクノとは、機密保持契約を結んでいたことぐらい知っているよな。機密保持ってどういう意味かわかってるか?お前の田舎じゃ、機密保持って言葉は、図書館で仕事の内容を他人にベラベラしゃべることを言うのか?」
「まあまあ、社長」黙って聞いていた川嶋さんが口を挟んでくれた。「井上くんだって個人情報を売ったとか、パスワードを流出させたとか、そういうヤバ系の行為をやったわけじゃないんですから……」
社長はじろりと川嶋さんを睨んだ。
「そういう問題じゃない。こんなことが世間に知れたら、やっぱりうちが原因だった、って風評が立つだろうが」社長は激昂しかけたが、すぐに冷静さを取り戻した。「まあ、済んだことは仕方がないが」
「それで?」川嶋さんがぼくに訊いた。「井上くんは、倉敷さんにどんな話をしたわけ?」
「詳しいことは何も話してません。ただ、T市立図書館のカスタマイズをやってる、って。そうしたら、倉敷さんが、あそこの新着図書案内は使いにくいから、そのうち自前のスクレイピングソフト作ろうかと思ってるという話をしたから、つい……」
「つい、何だ?」
「……その、じゃあ、こっそり図書情報を切り出し易いように、区切りのコメントを入れときますよ、って言ってしまって」
「区切りのコメント?どういう意味だ?」
営業畑の社長にはわからなかったようだが、川嶋さんは納得したようにうなずいた。
「ああ、なるほどね。1冊の情報を切り出し易いように、HTML上にコメントを追加したってことね」
「そうです」
ぼくは、手元にあった裏紙に走り書きした。
<!-- begin book info; -->
本1の情報
<!-- end book info; -->
<!-- begin book info; -->
本2の情報
<!-- end book info; -->
「こんな感じで」
「これをやると何が嬉しいんだ?」
「HTMLはブラウザで見ることを前提にした言語ですからね」川嶋さんが簡単に解説してくれた。「スクレイピングというのは、HTMLを上から読み込んで、目的の情報――この場合なら1冊の本の情報ですね――を切り出していく必要があるんです。そこに区切りが明確に入っていると、切り出すプログラムを作るときには楽でしょうね」
「はい」ぼくはうなずいた。「実際、これがあると、抽出のコードがすごく楽になったって言ってましたね」
「spanタグかdivタグにしなかったの?」
「最初はそう考えたんですけど、XHTMLじゃなかったんですよ。XMLドキュメントとして、つまりツリーとして読み込めないんだったら、意味ないかと思って。だいたいHTML自体、閉じてないタグとか平気であったんです。ヘッダ部分は、SSIで挿入されるので、検索画面だけ整えても、全体として見ればやっぱり崩れてしまうことになるんです」
「ひどいね」川嶋さんは嘆息したが、脱線していたことに気付くと、社長を見た。「ま、そういうわけです。別にこれが入っていたからといって、不具合を引き起こすようなもんじゃないですよ」
「ふうん」社長は今ひとつ理解しきれていない顔で走り書きを眺めていたが、別のことを訊いた。「これだけか?他には何もやってないんだな?」
「他に、と言いますと?」
「えーと何だ、いわゆるセキュリティホールを残したとか」
「そんなの無理ですよ。ぼくが担当したのは、そんなシステムの根幹に関わるような部分じゃないんですから」そう言ってから、ぼくは付け加えた。「……と思うんですけど」
「つまり証拠がないってことだな」
「はい。ソースや仕様書は、手元にはないですし。そもそも、2年前のことですから、ぼくの記憶自体も曖昧です」
「五堂テクノの城之内という人の言葉を信じるなら、向こうにも残っていないんですよね」川嶋さんが皮肉な口ぶりで指摘した。「ソース管理だかバージョン管理だかの不具合のせいで」
「それも疑わしいな」社長は頭の後ろで手を組んで、身体を椅子に預けた。「向こうの社内のことだから、何とでも言えるわけだしな」
「そうですね。ケーブルをネズミがかじって、都合よくT市立図書館に関する部分だけ、きれいに消失したとか言われても、こっちはそれを確認する術がないわけです」
「クラスファイルから逆コンパイルすることはできますね」ぼくは思いつきを口にした。「クラスファイルは存在しているわけですから」
「コメントは無理」川嶋さんはあっさり却下した。「井上くんがコーディングしたという記録は、コメントにしか残ってないでしょ?」
「そうでした」
「まあ、そのことはまた考えるとして」社長が技術的な話を断ち切った。「倉敷さんはどんな話がしたいって?」
「詳しいことは聞いていませんけど。お互いの情報交換と、あと何か提案があるとか」
「そうか。とりあえず会ってみるか」社長はスマートフォンを取り出して、スケジュールをチェックした。「明日の午後ならいつでもいいと伝えてくれ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぼくが倉敷さんと初めて出会ったのは、3年ほど前になる。サードアイに入社したばかりで、それほど仕事が忙しくもなく、土日を丸々自由に使えた頃だ。読みたい本はたくさんあるのに、全てを購入するほど金を持っているわけではなかった――今でもその状況はあまり変わっていないが――ぼくは、よく図書館を利用していた。ある暖かい4月末の土曜日の午後、ぼくはいつも通っている中央図書館に向かった。
ゴールデンウィーク初日のせいか、土曜日の午後だというのに、図書館内にはあまり人がいなかった。ぼくはSFとライトノベルが混在しているコーナーに足を運び、チェンバースの『黄衣の王』という短編集を探し出した。クトゥルフ神話関係を集中的に読んでいた時期で、この本は読みたかった本の1つだった。
首尾良く目的の本をゲットできてニンマリしたぼくは、ついでにSFの棚を見回した。何冊も借りていくつもりはないが、もう1冊ぐらいなら……。そう思いながら、ハヤカワ文庫の青背を眺めていると、ジャック・キャンベルのミリタリーSFのシリーズが目に止まった。確か面白いという書評を読んだ記憶がある。ぼくは、第1巻に手を伸ばしたが、一瞬先に横から伸びてきた別の手にさらわれてしまった。
「あ」その男性は驚いたように言った。「すいません。これを取ろうと思ってましたか?」
「いえいえ」ぼくは首を横に振った。「どうぞ、お先に」
「いいんですか?」その男性――倉敷さんは心配そうに、ぼくの顔を覗き込んだ。「よかったら譲りますが」
「大丈夫ですよ。ぼくの今日の目的は、これだったんで」
そう言いながら、ぼくは『黄衣の王』を見せた。
「そうですか。じゃあ」倉敷さんは小さく一礼すると踵を返しかけたが、ふと思いついたように言った。「ホラーが好きなんですか?」
「え?ああ、ホラーも好きですよ。SFも好きです」
「クトゥルフ系?」
「まあ、最近はそうですね。ちょっとはまってて」
「それは面白いですよ」倉敷さんは『黄衣の王』を見ながら頷いた。「ただ、最後の長編は、黄の印とは関係ないんですけどね」
「あ、そうなんですか」ぼくは改めて倉敷さんの顔を見た。「こういうのをよく読まれるんですか?」
「そうですね。最近はどちらかというと……」
こんな具合にぼくは倉敷さんと知り合った。倉敷さんは、T市に住んでいて、普段はT市立図書館を利用しているのだが、この日はジャック・キャンベルのシリーズをまとめて借りるために、中央図書館に来たそうだ。
この日は、30分ほどSFやホラーについて立ち話をして別れたが、翌月の土曜日、ぼくたちは再び同じ場所で再会した。その後も、何度か顔を合わせることになり、立ち話の時間も長くなり、ときには喫茶室でコーヒーを飲みながら本についての情報交換をすることもあった。その過程で、お互いが同じ業界に職を得ていることを知ったが、ぼくたちの主な話題は、SFであり、ホラーであり、ファンタジーだった。
そして2年前、偶然にも、T市立図書館システムのカスタマイズ案件に参加することになったぼくは、それほど深い考えもなしに、そのことを倉敷さんとの会話の中で言及した。倉敷さんはさすがに少し驚きながら、T市立図書館の検索システムが使いづらいので、自分でスクレイピングプログラムを作成していることを話してくれた。検索結果のHTMLに区切りとなるタグかコメントを挿入すれば、スクレイピングしやすいんじゃないか、と思いついたのは、数日後のことだった。
システム稼働後、ぼくは実際に検索してみて、自分が仕込んだコメントが、きちんと挿入されていることを確認した。そのことを倉敷さんに伝えると、とても喜んでくれたことを憶えている。
その後、ぼくはサードアイでの業務量が増えていき、毎日の激務に追われるようになった。土日は図書館に出かけるよりも、家で寝ている方が多くなり、倉敷さんと会う機会も自然と減っていった。倉敷さんのスクレイピングプログラムが完成して、便利に使っている、ということは聞いたものの、そのことも、高速で経過する月日の中に埋もれていた。今年の5月にT市立図書館事件が報道されるまで、ぼくはこのことをすっかり忘れてしまっていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、13時ちょうどに来社した倉敷さんは、1人の男性を同伴していた。ぼくは、社長が待つ応接室に2人を通した。
「アクアシステムの倉敷と申します」倉敷さんは名刺を交換すると男性を紹介した。「こちらは、デジタル朝日の記者で、神代さんです。私が逮捕された直後から、取材を続けてくれています」
その名前は記憶にあった。T市立図書館事件の原因が、コネクション開放漏れであることを最初に発表した記者の人だ。記者という職業の人物に会うのは初めてだったので、ぼくは名刺を交換しながら、興味津々で相手の顔を見た。30代前半ぐらいだろうか、背はぼくより低いが、筋肉質で体力はずっとありそうだった。ぼくと視線が合ったときに、ニッと歯を見せて人懐こい笑顔を見せた。向こうもこちらを観察していたようだ。
一通りの社交辞令を終えると、ぼくたちは早速本題に入った。社長が、うちの会社が置かれている状況を簡単に説明すると、2人の来客は互いに顔を見合わせながらも、それほど驚いた様子を見せなかった。
「なるほど」神代記者はメモを取りながらつぶやいた。「かなりなりふり構わずという感じですね」
「どんな理由があって、ここまでやるのかがわからんのです」社長が疑問を呈した。「素直に過ちを認めてしまった方が、企業のイメージはいいと思うんですがね」
「それについては思い当たることがあります」
神代記者の言葉に、社長とぼくは膝を乗り出した。
「伺いたいですね」
「今度、五堂トラスト銀行が中央YDF銀行と合併するんですが、そのことはご存じですか?」神代記者は訊いた。
「いえ」社長は首を横に振った。「知りませんでしたが、それが何か?」
「まだリサーチ中なんですが、新銀行のオンラインシステムをどうするかを、ちょっともめているようなんですよ。五堂トラスト銀行のシステムの方が高性能なので、そちらをベースにするということで、ほぼ固まりかけていたらしいんですが」
「ほう、そうなんですか」まだ理解した様子ではなかったが、社長は相づちを打った。ぼくも神代記者の言いたいことが、つかめていなかった。
「五堂トラスト銀行のオンラインシステムは、五堂テクノが開発、保守しているんですよ。五堂トラストは五堂テクノのメインバンクですからね。年間保守料はグループ企業価格でディスカウントされているとしても、五堂テクノの安定収入源の1つだったはずです」
神代記者は言葉を切り、全員の顔を見回して、面白そうに少し笑うと話を続けた。
「ところが、T市立図書館の一件と、先日の個人情報漏洩の一件で、五堂テクノの技術力にクエスチョンマークがついたわけです。ここで、大どんでん返しになって、中央YDF銀行のシステムを採用なんてことになったら、五堂テクノは収入源の1つを失うだけではなく、メンツも丸つぶれでしょうね」
そこまで聞いて、ぼくにもようやく意味がわかってきた。
「それで、うちに?」
「そういうことですか」社長もぼくと同じ考えに到達したらしかった。「実は下請けのせいだったということになれば、五堂テクノの技術力そのものには傷がつかない」
「でも……」ぼくは誰にともなく訊いた。「なんで、うちの会社だったんでしょう?」
「どこでもよかったんじゃないでしょうかね」神代記者があっさり答えた。「T市立図書館のカスタマイズ案件に関わった会社であれば。その中で、はっきりと否定する材料を持っている会社でなければ」
「……」
「とはいえ、それは推測に過ぎないし、証明できるような証拠はありません。五堂テクノの人間が、そんなことを認めるわけがないのは言うまでもありませんがね」
「でも、そのウワサを流しているのは、五堂テクノの城之内さんですよ」社長が声を高くした。「それは証拠にはならないんですか?」
「それは何のことですか?」
神代記者が好奇心いっぱいの顔で訊いてきたので、ぼくは、東海林さんが考案した作戦と、その結果のことを簡単に話した。倉敷さんが感心したように笑った。
「なるほどね。そんな手があったんだね」
「おもしろい話です」神代記者も同意した。「でも、証拠にはなりませんね。偶然の一致だと言われればそれまでです。まあ、そこまでの偶然はなかなか考えにくいでしょうから、真っ白でも真っ黒でもなく、灰色ってとこでしょうか。それを確実に証明しようとすれば、城之内氏の所有する携帯のキャリアに協力を要請し、ネットのアクセスログを参照して、Twitter側の記録と照合しなければなりません。それが民間人には不可能だということぐらいはわかりますよね」
社長は沈黙した。言われるまでもなく、それが公的な証拠にならないことぐらいは承知していたのだろう。
「ところで」ぼくは倉敷さんの顔を見た。「何か提案があるということでしたけど……」
「うん。そのことなんだけど」倉敷さんはそう言って、神代記者の方を向いた。「神代さんから話していただこうか」
神代さんは1つ頷くと、社長とぼくの顔を交互に見た。
「伺ったところ、御社の状況は厳しいものです」神代記者は真剣な口調で話し始めた。「風評被害、というものがどういうものなのか、だいたいご存じだと思いますが、世間の評判というのは、一度定まってしまうと、それを覆すのは容易なことではないんです。何というか、その風評そのものが力を持ち、一定の地歩を固めてしまうんですね。たとえば、被災地のがれきの受け入れを考えてみてください。国が安全を保証し、自治体が独自に放射線量測定を行って安全だとなり、さらにどこかが受け入れなければ復興が進まないと理解はしている。それでもなおかつ、受け入れ反対運動が後を絶たないじゃないですか」
全員が無言でうなずいた。
「御社の状況も似たようなものです。これまで御社と仕事をしてきた企業の担当者さんたちは、あなた方の技術力がネットで酷評されているようにひどいものだとは、もちろん考えていないんでしょう。それでもなおかつ、あえておかしなウワサが立っている会社は、とりあえず避けておくことにしよう、と考えてしまうものなんです。特に、かかる責任が重くなってくればくるほど」
神代記者は、倉敷さんの方を見た。
「倉敷さんも同じような思いをされています。この人の場合は、もっとひどいかもしれない。何しろ、実際に逮捕までされてしまったんですから。それはネット上のウワサなんぞというレベルの風評ではないんです。警察の不祥事が続いたところで、我々一般市民はやはり心の中では、警察を信じているんですよね。正確には、警察によって守られている治安を、でしょうが」
倉敷さんは無言で、壁にかかっている安いリトグラフを見つめていた。その心中をおもんばかることは、ぼくにはできなかった。
「その市民感覚からすれば、逮捕されるというのは、よほどのことですよ。しかも無罪放免ではなく、起訴猶予です。被害届も取り下げられていない。大抵の人にとっては、有罪とあまり変わりがないと思いませんか」
神代記者は手帳をパタンを閉じた。苦悩のような表情が、一瞬だけ、その顔をよぎる。
「個人的にはジャーナリストの一員として、倉敷さんに対しては、いささか良心の呵責みたいなものを感じてはいます。警察発表を裏も取らずに、そのまま記事にしてしまったわけですからね」
「でも」ぼくは言わずにはいられなかった。「図書館の障害は、倉敷さんのプログラムのせいじゃないって証明されたじゃないですか。神代さんの記事で」
「確かに、私の記事によって、倉敷さんの名誉をいくぶんか回復することができたとは思っています」神代記者は平静な声で言いながら、ぼくの顔を見た。「でも、それで倉敷さんの潔白が完全に証明されたかと言われると、違うと言わざるを得ないんですよ」
「でも……」
「井上くん」倉敷さんが口を開いた。「私たちはエンジニアだから、コネクション開放漏れということを言われれば、ああそうだったのか、と納得できる。でも、プログラミングの知識がない人間が同じことを言われたとして、果たして納得するんだろうかね」
「……」ぼくは口をつぐんだ。
「私は難しいと思うよ」倉敷さんの口調は苦かった。「警察や検察で取り調べを受けたとき、私はさんざん原因について説明したんだけどね。たぶん、最後まで正確には理解してもらえなかったと思う」
「このまま放置しておくと、サードアイさんの評判は、回復不可能なほどのダメージを受けるでしょうね」神代記者は不吉な予言を口にした。「社名を変えるとかしない限り回復できないような。それを避けるために、御社は手を打たなければなりません。それもすぐに。決定的な対応策を」
「それは確かにそうですね」社長が顔を上げた。「で、その対応策とはどんなものでしょう?」
神代記者は説明した。それが、彼の持ってきた提案だった。
「なるほど」社長は頷いたが、疑わしそうな顔だった。「そういう場を設けていただけるのはありがたいですが。でも記事にされるんでしょうね?」
「いえ、そのつもりはありませんよ」
「なぜですか?」
「言うなれば、罪滅ぼしみたいなもんでしょうか。倉敷さんの会社の苦境は、マスコミにもあるので」
「つまりうちの味方をしてくれるってことですか?」
社長のストレートな言葉に、神代記者は苦笑した。
「いえいえ、残念ながら、そういうことはできません。私はあくまでも公正な第三者として同席するだけです。露骨にサードアイさんが有利なように進めるつもりはありません。そんなことをしたら、公正な第三者とは言えないでしょうから」
「でも、向こうはそうは思わないんじゃないじゃ?」
「そうかもしれません。なので、オブザーバーとしてもう一人、同席してもらおうと考えています」
「誰ですか?」
「産業技術総合研究所の情報セキュリティ研究センターの、高村ミスズさんです。この問題にもずっと関わってらっしゃいますから」
「ほう。有名な人か?」
社長がぼくに訊いてきたので、簡単に高村ミスズさんのことを説明したが、疑問を感じた。
「タカミス先生を、先方は公正な第三者と考えるんでしょうか?むしろ逆な気が……」
「向こうが気に喰わなくても、そういう理由で拒否したら、記事になるぐらいのことは想像するでしょう。ある程度著名人でなければ意味がないし、技術に無知でも意味がない。高村さんだとどちらの条件も満たしています。利害関係はどちらにもないですし」
「なるほど」ぼくは倉敷さんを見た。「倉敷さんは同席されないんですか?」
「残念だけどやめておく」倉敷さんは、言うほど残念だとは思っていない様子だった。「どう考えても歓迎はされないだろうし。それに、その城之内という人と相対して、自分が冷静でいられる自信もない」
「ただし、御社にとって意味がなければ、この話はなかったことにしますが」
神代記者の言葉に、社長は首を傾げた。
「どういう意味でしょう?」
「先ほども申し上げた通り、こちらは場を提供するだけで、御社が有利になるような誘導をすることはできません。現状を打開する”何か”がなければ、時間の浪費で終わってしまうでしょう。やるだけでも価値があるかもしれない、と仰るのであれば、もちろん協力しますが……」
神代記者の言いたいことはよくわかった。発端となったT市立図書館のコネクション開放漏れの原因が、うちではなく、五堂テクノ側にある、という決定的な証拠がなければ、意味がない、ということだ。唯一の証拠と思われるものは、実在するかどうかもわからない、流出したソースなのだが、現時点でぼくたちはその入手に成功していない。ぼくは途方に暮れて、社長の顔を見た。
もちろん社長も、そのことは熟知しているはずだ。ところが、ぼくが社長の顔に見い出したのは、失望ではない別の表情だった。
「構いませんよ」社長はあっさり答えた。「とにかく、日を決めてください。このまま手をこまねいていても仕方がないので」
神代記者も倉敷さんも、驚いたように社長の顔を注視したが、本人はポーカーフェイスを貼り付けていた。
「わかりました。じゃあ、そういうことで進めます」神代記者は手帳を開いて、何か書き付けた。「では、細かい調整はこちらでやります。そちらは何名で参加されますか?」
倉敷さんと神代さんが帰っていくのを見送りながら、ぼくは社長に訊いた。
「社長、大丈夫なんでしょうか?うちはまだ、何の証拠も手に入れてないんですよ」
東海林さんとぼくの「非正規活動」は空振りに終わっていた。いくつかのアングラ系サイトの掲示板で、例の流出したというソースを売ってもいい、というネットユーザを何人か見つけてはいたものの、9割は冷やかしで、残りは別のユーザが割り込んで莫大な買い取り価格を提示している。ぼくはそのユーザが、高い確率で五堂テクノの社員か、少なくとも関連している人間だと考えていたが、何の証拠もなかった。今日も東海林さんは朝から、会社を離れていた。きっとネットカフェで書き込みを続けているのだろう。
ぼくの不安そうな顔を見て、社長は軽く笑った。
「あの記者さんが言ってただろう。グレーだって。つまり、こっちにもまだ目はあるってことだ」
「つまり、どっちに転ぶか全くわからないってことですね」
「五堂テクノにしたって状況は同じだろ」社長はドアを閉めた。「こっちが何を入手しているのか、していないのか、はっきりしたことはわかってないはずだ。グレーな状況なのはお互い様なんだよ」
「はあ……」
「そう心配するな。東海林なら何とかするだろうから。さ、仕事に戻れ」
そう言われてもぼくは少しも安心できなかった。これが、あと20画面を3日で完成させなければならない、というような難題であれば、東海林さんは何とかしてしまうだろう。だが、今、取り組んでいる問題は、ゴールが見えない。そもそも、ゴールがあるのかどうかさえ定かではない。ぼくは重たい灰色の猫が両肩に乗っているような、重苦しい気分のまま自席に戻った。
(続く)
この物語は事実を基にしたフィクションです。実在する団体、個人とは一切関係ありません。また司法当局の捜査方法などが、現実のそれと異なっている可能性があります。
コメント
のなめ
盛り上がってきましたね。
次回作の構想がまだでしたら、ノンフィクション第二弾として
ファーストサーバーお願いします
abc
> 盛り上がってきましたね。
> 次回作の構想がまだでしたら、ノンフィクション第二弾として
> ファーストサーバーお願いします
ん?
「この物語は事実を基にしたフィクションです。実在する団体、個人とは一切関係ありません。」ですよ。
たしかに某事件を下敷きにしてはいるかもしれませんが、まったく同じものだと思うのは大き間違いです。
混同しないようにしましょう。
のなめ
>abc
当然その辺は把握してますよ。
モバイルからの投稿だったので文字数ケチっただけです
そんな
ここでまさかの高杉・渕上再登場→高杉・渕上・城之内の連合軍結成→サードアイ大ピンチ
miww
まるっきり「それでも東海林なら…東海林ならきっと何とかしてくれる…!!」状態なんだけど、それでいいのか社長www
Edosson
社長さんは、別にエンジニアを兼ねてる必要は無いし。
つか、ここで社長さんが逡巡しては、戦場にも立てません。
敗退確定ですよ。
「高慢と偏見」みたいな流れになってきましたね。
オレンジ
イノウーが倉敷さんと面識あるとはびっくり。
さらに偶然の出会いにしては結構な仲で二度びっくり。
そんな描写あったかなぁと(3)を読み直してみたら、微妙に匂わせてあるんですね。凄い。
(個人的にはもう少し匂いを強くしてもいいかなとは思いましたが)
今後の展開でイノウーの活躍は見られるのか、楽しみです。