ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

鼠と竜のゲーム(10) 帝国の論理

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 株式会社五堂テクノロジーサービス、ソリューションデベロップメントDivisionの野崎Div長は、本社ビルの7階の通路を早足で歩いていた。普段は温和なその顔には、常にない険しい表情が浮かんでいて、すれ違う社員たちは思わず振り向いて、その後ろ姿を確認した。

 淡いベージュ色の通路の両側には、同じ色のドアが等間隔に並んでいた。このフロアは、五堂テクノが販売する各種パッケージやソリューションの開発ルームが集中していて、ドアの脇にはプロジェクト名が書かれたアクリルプレートが掲げられている。

 野崎が足を止めたのは「LIBPACK Room No.2」のプレートが出ているドアの前だった。認証コンソールで親指の指紋をスキャンし、続けてIDカードをかざす。軽やかな電子音と同時に、ドアが横にスライドした。

 <LIBPACK>シリーズは年に一度のペースでメジャーバージョンを上げてリリースされているが、その開発は別フロアにある開発ルーム「LIBPACK Room No.1」で行われている。この開発ルームでは<LIBPACK>シリーズの自治体別のカスタマイズや、新バージョンに追加された機能を、旧バージョンに適用する作業などを行っていた。

 開発ルームには、20席のデスクが4列に並び、それぞれにデュアルモニタのミニタワーPCが置かれている。ほとんどのデスクに担当プログラマが座り、開発や保守作業を行っていた。誰もが忙しそうにキーボードを叩いている中で、一番奥のリーダー席に座る男性だけは、キーボードどころかモニタを見てさえいなかった。全員に背を向けて、手にしたスマートフォンに向かって、何やら楽しそうに会話している。

 「……んー、そうだなあ。香港もいいけど、オレのおすすめは台湾かな……うん、心配ないよ、オレが全部持つから……いやいや、休みなんかいつでも取れるよ……」

 どう見ても業務に関係ある通話ではないが、野崎はそこには拘泥しなかった。内心の怒りを抑えて、まずは落ち着いた声で話しかける。

 「城之内くん。ちょっといいか」

 呼びかけられた<LIBPACK>シリーズ保守担当主任の城之内は、振り向いた。整った髪型に甘いマスク。長身でスリムな身体をオーダーメイドのアルマーニのスーツが包んでいる。シミ1つない靴は愛用していると公言しているサルバトーレフェラガモなのだろう。以前、城之内が女子社員に「この靴の値段は6ケタ」と得意げに話しているのを、野崎は耳にしたことがある。袖口から覗く長方形の腕時計は独特な数字のデザインから見て、フランク・ミュラーらしい。これも本人の言葉を信じるのなら数百万円は下らないとされる品だ。

 業務中に堂々とプライベートな通話をしていた城之内は、野崎の顔を見上げたものの、慌てた様子も後ろめたい表情も見せずにスマートフォンに注意を戻した。

 「ごめん、仕事しなきゃ。じゃあ、また店で。うん。バイバイ」通話が切られ、城之内は野崎を見上げた。「ああ、野崎さん、何かご用ですか?」

 野崎はちらりと後ろを振り返った。何人かのプログラマが、興味津々な視線を投げているのが分かる。

 「ちょっと話があるんだが、ミーティングルームに来てもらえないか」

 「今ですか?今、ちょっと忙しいんですけどね」城之内はスクリーンセイバー状態のモニタを見た。「金曜日の定例のときではダメですかね」

 「悪いが」野崎は苛立ちをぐっとこらえた。「今すぐ頼む」

 「仕方ないですね。Div長様のご命令とあらば」わざとらしくため息をつきながら、城之内は立ち上がった。「じゃあ、手短にお願いしますよ」

 それには答えず、野崎は先に立って開発ルームを出た。内心、このろくでなしが、と毒づきたいのを懸命にこらえていた。

 フロアの端にあるミーティングルームの1つに入り、向かい合わせに座ると、野崎はスーツの内ポケットから、四つ折りにしたプリントアウトを取りだしてテーブルの上に広げた。

 「これは君がやったことだな」質問ではなく、断定だった。

 「はあ?」

 城之内はプリントアウトを手に取った。目を通した途端、その顔に浮かんでいた薄笑いが消失した。

 「そのツイートは、おとといのものだ」野崎は城之内の顔を正面から睨んだ。「探してみると、2chや@ITの会議室、QAサイト、T市立図書館の件のブログ書き込みへのコメントなど、同一の内容の投稿が同時期に集中している。知ってるな」

 「さあ、知りませんけどね。何でオレなんですか?」

 「スマホから投げれば分からないと思ったか? だったらWi-Fi接続は切っておくべきだったな」野崎はポケットから、別のプリントアウトを取りだして広げた。「このフロアのWi-Fiルータと、ファイアウォールのログだ。アクセス先は@ITと2chだな。投稿時刻もほぼ一致している」

 「それだけですか」城之内の顔に薄笑いが戻った。「偶然ってこともあるでしょうに」

 野崎は、城之内の手からツイート一覧を取り戻して、1つのツイートを指した。

Icon1実はGTSが悪いんじゃなくて、下請けの会社がそういう作りにしたらしいというウワサがあるが

justice_speaker 08/23 14:14:45
 

 「これは、君が使ってるTwitterアカウントの1つだな。いや、いくつか使い分けているアカウントの1つと言うべきか」

 城之内は小さく舌打ちして目を反らした。野崎は怒りよりも、情けなさに肩を落とした。城之内に対してではなく、自分に対する情けなさだ。

 「なんでこんなことした?」

 「はあ、分からないですかね。すべて会社のことを考えてのことですよ」城之内は軽蔑したような口調で答えた。「会社の評判が落ちれば、野崎さんだって責任を問われるかもしれませんよ。LIBPACKの最高責任者は野崎さんなんすからね」

 「ふざけたことをぬかすな」野崎はギリギリと音が鳴るほど歯を食いしばった。「いったい、誰のせいでこんな騒ぎになってると思ってるんだ」

 「オレのせいだって言うんですか?」

 「T市立図書館のカスタマイズは、君が責任者だったんだ」

 「でも、LIBPACKシリーズの開発総責任者は、Div長である野崎さんですよね」城之内はニヤリと口を歪めた。「オレに責任があるなら、野崎さんの責任はもっと重いってことでもありますね」

 こいつに何を話してもムダだ。あらかじめ予想してことではあったが、野崎は言いようのない徒労感に見舞われた。

 「こんなことをして、騒ぎが大きくなったらどうするんだ」野崎は問い質すように言った。「ただでさえ、いろんなところから、非難やクレームが集中して、カスタマーサポートセンターは大変な騒ぎになっているんだぞ」

 「だから、その非難やクレームを分散させようとしてるんじゃないですか」

 「騒ぎが大きくなることは、うちの利益にはならんぞ」

 「そうですかねえ?」城之内の顔に薄ら笑いが戻った。「そうとは言い切れないんじゃないですか。うちも被害者だと言い募ることだってできるし」

 野崎はぎゅっと拳を握りしめて、怒りを必死で押さえた。決して気が短い方ではないが、城之内を目の前にしていると、自分の忍耐力メーターがあっという間にレッドゾーンに突入してしまう。

 「君が言う下請けの会社というのは、横浜のサードアイシステムのことだな」

 城之内は否定しなかった。

 「T市案件の下請けで横浜市の会社はそこだけですからね」

 「発注ドキュメントを見たが」野崎は指摘した。「あそこに出したのは、T市用の検索画面のHTML作成と、関連する機能の一部実装だけだな」

 「それがどうかしましたか?」

 「分からないのか」苛立ちをこらえながら、野崎は訊いた。「もしサードアイの担当者が、DBのコネクション部分など触っていないと主張したらどうするつもりだ」

 「あそこは小さな小さな下請けですよ」城之内は見下すような態度で答えた。「従業員20人そこそこで資本金は2000万円。そんな弱小ベンチャーごときが何を言ったところで、誰が信用するっていうんですか」

 「ネットユーザーがどっちを信じるかに賭けるというのか?」野崎は信じられないような思いで反論した。「世の中には大企業より中小企業の方がはるかに多いんだぞ。そういう人たちがどっちを信じると思っているんだ?」

 「どうせ、言った言わないの水掛け論で終わってしまいますよ。証拠など何もないんですから」

 「証拠の問題じゃない。日本人は判官贔屓なんだ。立場が弱い方に自然と同情するものなんだ」

 城之内が眉をひそめたので、その言い回しが通じなかったことがわかった。野崎は話を少し戻した。

 「それになぜ証拠がないと言い切れる?うちのリポジトリには全ソースが残されているんだぞ」

 「それを誰が見ると言うんですか」城之内はニタニタ笑いながら答えた。「いざとなったら消してしまえばいいんですよ」

 野崎は愕然となって、城之内のへらへら顔を睨んだ。

 「ソースを消すとか簡単に言うな。それにどこかのパートナー会社にソースが残っているかもしれないだろう」

 「それならご安心ください」城之内が得意顔を向けてきた。「手は打ってありますから」

 「何?」野崎はギクリとして訊き返した。「どういう意味だ」

 「T市案件の下請け会社、全部に電話してみたんですよ」城之内は得意そうに言った。「ソースはお持ちじゃありませんかって。どこも持ってませんでしたよ。まあ、当たり前ですよね。そういう契約だったんですから」

 「……どういう風に話したんだ」

 城之内は電話のやりとりを説明し、は虫類のような酷薄な笑いを浮かべた。

 「こんなご時世、下請けなんてどこも経営はアップアップに決まってますからね。契約違反に問われないうえに、受注金額と同じ額が何もしないで振り込まれるなら……」城之内は後は想像に任せる、と言わんばかりに口を閉じた。

 絶句していた野崎は、ようやく常態に復帰して、城之内の顔を睨み付けた。

 「何を考えているんだ君は。何かゲームでもやっているつもりなのか」

 「何がですか?」城之内は肩をすくめた。「これで、例の問題がうちのせいだとは、誰にも証明できなくなったんですよ。誰が何を言ってきても無視できるじゃないですか」

 「……」

 野崎は深呼吸をして冷静さを取り戻した。もう10年以上前にやめたタバコが欲しいと思いながら、城之内が言ったことを考えてみた。確かに、T市立図書館向けカスタマイズで、五堂テクノがコネクション解放漏れを引き起こしたという、具体的な証拠はなくなったかもしれない。正確には、サードアイという下請け会社が、不具合を作り込んでしまったという根拠のない非難に対して、反論できる具体的な材料がなくなったと言うべきだったが。

 城之内が「会社の利益のため」と言い放ったのは、もちろん、自分の責任を回避するための大義名分に過ぎない。が、五堂テクノの経営陣が、自社の責任を回避する方法を強く求めていることを、野崎は知っていた。その意味では、城之内の取った手段は、経営陣の意に沿った行為だと言えなくはない。

 野崎の躊躇いを見て取ったのか、城之内はここぞとばかりに言葉を継いだ。

 「野崎さんが日頃からソリューションの開発部隊に言っていることは存じてますよ。不具合は隠すな。バグを仕様だとごまかすな。それは顧客に対する不信感につながり、結果的にソリューション自体の評価を下げることになる。すごくすごく立派だと思います。見習わなければいけないと思ってるんですよ」

 言っている内容は真面目そのものだったが、あいにく城之内の端正な顔には薄ら笑いが浮かんだままだったので、本心ではどう考えているのかは一目瞭然だった。

 「でも、この問題はうちの会社の経営に影響しかねない問題ですからね。何かのソリューションの何かの機能にバグがあった、というような矮小な問題とはレベルが違うんですよ。オレは、こう見えても、常に経営者の視点から物事を考えるようにしてるんです」

 一度収まったはずの怒りが、瞬間的に沸点を越え、野崎は思わず声を荒げた。

 「経営者の視点だと?だったら、自分の仕事ぐらい、もう少しまともにこなしたらどうなんだ!」

 「仕事って、<LIBPACK>シリーズの保守のことですか?」城之内は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「あんなこまいの、オレの性格的に向いてないんですよ。ずっと前から言ってるじゃないですか。製品企画部とか、もっと大局的な視点から物事を考える部門向きだと思うんですよね」

 哀れなやつだ、と思った途端、今度こそ、野崎の怒りはすっかり冷え切った。

 「まあいい」野崎は押さえた口調で告げた。「やってしまったことは仕方がない。君なりに会社のことを考えてのことだとして、この件は問題にしない。だが、これ以上、余計なことをしないでくれないか」

 「分かりましたよ」城之内はふてくされたように言うと、野崎の許可も得ずに立ち上がった。「まあ、オレもいろいろ忙しいですからね。いつまでも、こんなことに関わってられませんよ」

 逮捕されてしまった男性が今の言葉を聞いたらどう思うか、などという思考は、城之内の脳内回路には存在しないようだった。

 「あ、そうだ」城之内はドアを開けかけて振り返った。「今日は少し早めに上がらせてもらいますね。父とディナーの約束があるので」

 そう言うと、野崎の返事を待つ素振りさえ見せず、城之内はさっさと出て行ってしまった。残された野崎は、思わず大きなため息をついた。

(続く)

 この物語は事実を基にしたフィクションです。実在する団体、個人とは一切関係ありません。また司法当局の捜査方法などが、現実のそれと異なっている可能性があります。

Comment(11)

コメント

不治ソフト

今作のヒールが登場かな?
過去作品とは毛色が違うので期待。

nanasi

エスイー、死すべし

名無しPG

毎回楽しく拝見していますが……今回は、まーイラッとする登場人物が(笑)。
ついでに添削。「野崎はが足を止めたのは」の最初の「は」が不要っぽいですね。
あと「4列」「1つ」と「6桁」とか数字が全角と半角が混在しているのが個人的には気になりました。まあこちらは細かすぎるのでどうでも。^^;

horde

最後には溜飲を下げる展開になってくれることを希望します

まあ

野崎も知っててえん罪の事実を隠しているあたりは、相当悪いやつですね。
それを傍観者でいることで、責任を回避しようとしている、
いわゆる「悪い意味でのサラリーマン根性」ですかね。
「常識知らずの若造」VS「悪い意味でのサラリーマン根性」
という構図なのでしょうか?
意図とは関係なく、事件を明るみにしていくきっかけを作るのが、
「常識知らずの若造」だったりして・・・

おさっち

ソース所有していないか、問い合わせた時点で、下請に勘ぐられそうですね。
ドキュメントから足が付くかも。

名無しPGさん、ご指摘ありがとうございました。
修正しました。
数字は最終的に半角にしているはずなのですが、今回はなぜか漏れてしまったようです。

コネクションってなぁに?レベルの非IT業界民ですがいつも楽しく読んでいます。

私の推理によれば
真犯人は他にいるっ!

城之内君は、<LIBPACK>シリーズ「保守担当」主任であり、T市立図書館のカスタマイズ責任者であると、言われています。

しかし、LIBPACKのコネクションが開放されない問題は、T市立図書館以外でもおこっており、そもそも開発時からのバグなのでは?
だとすると、保守担当の城之内君には、バグ入りソフトウエアの作成には関与してなかったということになります。

バグ入りソフトウエアを開発し、クロラ氏を逮捕せしめた真犯人は…
「LIBPACK Room No.1」にいる開発主任のX氏!
城之内君は自分のためだけではなくX氏をかばうために、がんばってウソの情報を流している。

以上、適当推理でした。

どら猫ホームズ


 この本事件には7年前のある事件が絡んでいた…。

 その事件とはデスマプロジェクトに放り込まれた
プログラマが鬱になり、本社ビルの屋上から飛び降りて
自殺した事件(以降、屋上へは立入禁止)。

 そう、そのデスマプロジェクトこそ<LIBPACK>開発
だったのだ!

 真犯人は6年前にデスマプロジェクトで戦友を失った
「LIBPACK Room No.2」にいるY氏。バグ混入の動機は
会社への仕返し。バグを隠そうとした保守担当の城之内君が
まず殺され、城之内君殺害の最有力容疑者、野崎Div長
までも…。

 疑惑の目がヨシオに向けられる中、ヨシオの疑いを
晴らすため難攻不落の難事件に探偵エンジニア東海林が
挑む。乞うご期待!

ヒント

城之内の父は五堂テクノロジーサービス
もしくは五堂テクノロジーサービスに影響のある
会社のエライ人の息子だろう多分。

tom

スマホのWifiを接続許可するネットワーク管理者ありえねー
開発部署ならなおさらだ

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