『ラクチン』を求めて
もうすでに終わってしまったけれど、先日ワタリウム美術館で藤本壮介『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』に行ってきた。
サブタイトルは「建築と東京の未来を考える2010」。
なるほどね。確かにそうだ。建築とは単体で考えるだけではなく、地域や都市全体でも考える必要があるってことだ。
1つひとつの建物がお互いに影響し合いながら広がっていって、村となり町となり都市となる。人々は、その中で人格を形成し、国を作り、文化・芸術を発展させてきた。
その土地の環境によって建築は素材や構造、デザインなどについてさまざまな制約を課されるわけだけれども、そうやって出来上がった建築物が、今度はそこに住む人々の生活に一定の秩序を要求し始める。
そんなことを考えながら館内を歩いているうちに、「でもそれって建築だけじゃないよね」と思い至った。
我々は、日常生活の中で、ありとあらゆる形でITシステムのお世話になっている。
中には「大きなお世話」なシステムもあるけれど、そういうものも含めて、我々はITシステムを特別なものではなく、当たり前のものとして受け入れている。
でもそれらが我々の行動に及ぼしている影響を、過小評価すべきではない。
好むと好まざるとにかかわらず、我々の行動はITシステムのおかげで快適にもなっているし、ある面では窮屈にもなっているのだ。
例えばSuicaの登場は、利用者が電車に乗るプロセスを劇的に短縮してくれた。
もう券売機の長い行列に並ぶ必要はないし、見にくい路線図から目的地までの金額を探す必要もないし、小銭を出したりお釣りを取ったりもしなくていいのだ。
あぁ、そうそう。自動券売機の話もしておこう。あれだってITシステムなわけだけど、あれはひどいもんだ。IT化以前の券売所には、当然のことながら窓口にプロフェッショナルな駅員さんがいて、行き先だけ告げれば適切な切符を出してくれた。しかし、自動券売機は素人の我々にプロフェッショナルな駅員さんと同じスキルを要求しているのだ。
いや、それ以上か。我々は自動券売機の前でかなり高度な情報処理をやらされている。
- まず、券売機の上のパネルにビューをセットする
- ここに路線が描かれた画像があるので、その中から行き先を示す文字列を検索する
- 次に、その文字列に紐づいた数値を読み取り、一時記憶域に保持する
- ここでボタンが並んだ券売機のパネルにビューを切り替える
- 券売機のすべてのボタンを順番に調べて、先ほど一時記憶域に保持した数値と一致するラベルプロパティを持つボタンを探す
- 一致するものがなければ、「あれれ? おかしいな」という音声を再生し(この音声はロケールの設定によって変化する)、もう一度最初のビューに切り替える……
ひどいな。こんな面倒な処理をユーザーにやらせるなんて。しまいには釣り銭をチャリンチャリンと投げてよこしやがる。
なんて傲慢な態度なんだ!
そもそも最初の路線図の検索。この検索は、その地域で普段から電車に乗り慣れている人にとっては、それほど苦ではないかもしれない。でも、そういう人は、定期券付きSuicaなりPASMOなりのFeliCaなりを持っている場合が多いので、券売機前で金額を調べる人は少ない。
券売機をイチバン利用するユーザー層は、それほど多く電車に乗らない人だ。そしてそのユーザー層にしてみれば、実際の地形をまったく無視して、強制的に四角形の中に押し込められた、入り組んだ路線図はイヤがらせ以外のなにものでもない。
私自身、今でもSuicaが使えない地域に行くと、傲慢な自動券売機と、その上に掲げられたダリの絵よりもねじ曲がった路線図と対峙せざるを得ない状況が発生する。早く全国どこでもSuicaが使えるようになってほしいものだ。
閑話休題。
とにかく、私のここでのテーマは、「生活をラクチンにするためのITを考える」ってことだ。これが中心テーマになる予定(まぁ、ここまで読んでいただければわかるように、半分以上は脱線するだろうけど……)。
だから、特定の要素技術がどうのこうのといった話ではなくて、どちらかというと人文科学的なアプローチになるんだろうなぁ。
まぁ、休憩時間にコーヒーでも飲みながら読み流していただければありがたい。