テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

「菜根譚」から読み解くエンジニアが逆境の中で生き抜くヒント

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 こんにちは、第3バイオリンです。

 前回のコラムから、だいぶ間が空いてしまいましたね。コラムニストのabekkanさんにもすっかり心配されてしまいましたので、久々に書くことにしました。

 先日、「菜根譚」という本を読みました。Eテレの「100分de名著」というテレビ番組で先月取り上げられて、興味を持ったのがきっかけです。このテレビ番組で紹介されるまで、この本のことは知りませんでしたが、キャリアの積み方、人生との向き合い方といった「世の中を乗り切る知恵」がいっぱい詰まっていました。

 2014年最後のコラムは、「菜根譚」を読んで考えたことを書きたいと思います。

■「菜根譚」とは

 「菜根譚」とは、今から400~500年ほど前の中国、明の時代の末期に洪自誠という人物によって書かれた処世訓です。前集と後集あわせて357条にわたって、逆境を乗り切る知恵、仕事や人づきあいに対する心構えなどが簡潔な文章で表されています。出版当初はそれほど評価されませんでしたが、時代とともに再評価され、日本でも松下幸之助、田中角栄、川上哲治や野村克也といった著名人に愛読されてきました。

■世知辛い世の中を生き抜くには

 「菜根譚」は、処世訓の最高峰といわれることもありますが、決してきれいな理想論ばかりが書かれているわけではありません。

「人を信ずる者は、人未だ必ずしも尽くは誠ならざるも、己はすなわち独り誠なり。人を疑う者は、人未だ必ずしも皆は詐らざる(いつわらざる)も、己はすなわちまず詐れり」

(人を信用する者は、相手が必ずしも誠実とは限らないが、少なくとも自分だけは誠実である。人を疑ってかかる者は、相手が必ずしも偽りに満ちているとは限らないが、すでに自分は心を偽っている)

 よく「自分が相手を信じれば、相手も必ず応えてくれる」と言いますが、現実はそううまくいくとは限りません。こちらがいくら誠実に対応しても不誠実な態度を取り続ける人もいますし、信用を逆手にとって出し抜こうとする人もいます。そういう意味で、この条の内容はなかなかリアルです。

 自分が誠実に対応したのに、相手に不誠実な態度を取られるのはつらいし理不尽なものです。だからといって自分まで不誠実になってはいけません。もし自分を偽り、自分自身に誠実でなければ、うまくいかなかったときには後悔しますし、たとえうまくいってもすっきりしない気分になるでしょう。

 このように、単なる理想論で終わらないところに「菜根譚」の奥深さがあります。

■キャリアの築き方

 エンジニアであれば、誰でも自分のキャリアの築き方について迷うことがあると思います。ときには、思い通りのスキルを身に付けられないと悩んだり、同年代のエンジニアが活躍しているのを見たりして焦ることもあるでしょう。

「一苦一楽して相磨練し、練極まりて福を成す者は、其の福始めて久し。一疑一信して相参勘し、勘極まりて知を成す者は、其の知始めて真なり」

(苦しんだり楽しんだりして修練し、その修練をきわめた後に得た幸福であってはじめて長続きする。疑ったり信じたりして考えて、考え抜いた後に得た知識であってはじめて本物となる)

「磨礪(まれい)はまさに百煉の金の如くすべし。急就すれば𨗉養(すいよう)に非ず。施為は宜しく千鈞の弩の似くすべし。軽発すれば宏功無し」

(修養は、繰り返し練磨する金属のようにするのがよい。手短に成就しようとすれば深い教養とはならない。また、事業は重い弩(機械仕掛けの大弓)のようにするのがよい。軽々しく発しては大きな成果は得られない)

 「大器晩成」という言葉があります。本当に重要なスキルは楽して身に付けることはできません。それでも、効率化や即効性が求められる世の中です。進歩の速い業界ですから、どうしても焦ってしまうという人もいるでしょう。

「伏すること久しきものは、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なるものは、謝すること独り早し。此れを知らば、以て磳磴(そうとう)の憂いを免るべく、以て躁急の念を消すべし」

(長く地上に伏せていた鳥は、いったん飛び立つと高く飛翔でき、他の花よりも先に咲き誇った花は早く散ってしまう。この道理を理解すれば、中途で足場を失ってよろめく心配を免れることができ、成功を焦る気持ちも消すことができる)

 自分はなかなか芽が出ない、と思うときは準備期間なのです。このときに学ぶこと、考えることを決して止めなければ、必ず飛び立てるときが来るのです。

■明代末期のワークライフバランス

 「菜根譚」には、仕事の他に家庭生活のあり方や、趣味を持つことの大切さを説く条もあります。仕事だけしていればよいというわけではなく、家族やプライベートな時間も大事にするべき、という洪自誠の持論が展開されています。400年以上も前にワークライフバランスについて説いた本があったとはちょっと意外ですね。ここでは、趣味についての条をいくつか引用してみましょう。

「山林泉石の間に徜徉(しょうよう)して、塵心漸く息み、詩書図画の内に夷猶して、俗気潜かに消ゆ。故に君子は物を玩びて志を喪わずと雖も、また常に境を借りて心を調う」

(山や林、泉や石のある自然の中を散歩して世俗の塵にまみれた心はようやく消え去り、詩書や絵画といった趣味のなかにゆったり遊んで世俗の気質が消えていく。だから君子たるものは、外物に気を取られて心を失うことがあってはならないが、一方で常に外の環境を借りて心を整える必要がある)

「人生太だ閑なれば、すなわち別念窃かに生じ、太だ忙なれば、すなわち真性現れず。故に士君子は、心身の憂いを抱かざるべからず、亦た風月の趣に耽らざるべからず」

(人生は、あまりに暇すぎるといつの間にか雑念が生じてしまうし、あまりに忙しすぎると本性を発揮できない。だから士君子たるものは、体と心を休めるように努めなければならないが、一方では風流の趣を楽しむようにしなければならない)

 「君子」「士君子」は「立派な人」という意味です。わたしも今までに勉強会やコミュニティ活動でいろいろな方に会いましたが、仕事ができる人、業界の第一線で活躍している人はたいてい趣味を持っています。しかも、多趣味だったり、ひとつの趣味を極めていたりという人が多いです。わたし自身、市民オーケストラでバイオリンを弾くのが趣味で、週末に練習に行っています(わたしは立派じゃないですが)。

 ただでさえ仕事も忙しいのに、よく趣味にまで時間を費やすものだと思う方もいるかもしれません。しかし、仕事が忙しいからこそ、仕事から離れる時間、仕事とは違う楽しみが必要なのだと思います。仕事とは違った環境に身を置くこと、仕事と関わりのない人とふれあうことで「ああ楽しかった。明日も仕事がんばろう」と思えるのです。

 しかし、趣味にのめりこむことが思わぬ弊害を生み出すこともあります。「菜根譚」でも、それを警告する条があります。

「水に釣るは逸事なり。尚お生殺の柄を持す。弈棋は清戯なり。且つ戦争の心を動かす。見るべし、事を喜ぶは事を省くの適為るに如かずして、多能は無能の真を全うするに若かざるを」

(釣りは楽しみごとである。しかしそれでもなお、魚を生かすか殺すかという権力からは離れられない。囲碁は高尚な趣味である。しかしそれでもなお、相手に勝ちたいという戦争の心を動かす。だから、物事をおこして喜ぶよりは物事を省いていくことが適切であり、才能があることは、才能がなくとも天真爛漫でいることにはおよばない)

 趣味に熱中しすぎると、つい他の人と競い合ったりしてストレスになってしまうものです。わたしも思うように演奏できないとき、自分よりうまい人と比べてかえってイライラしてしまうことがあるのでわかります。趣味もほどほどがいちばんです。

■言葉の贈り物

 最後に、わたしが一番印象に残った言葉を引用して締めくくりたいと思います。

「士君子は貧なれば、物を済う能わざる者なるも、人の痴迷する処に遇えば、一言を出して之を提醒し、人の急難する処に遇えば、一言を出して之を解救す。亦た是れ無量の功徳なり」

(士君子と呼ばれる立派な人は、清貧の暮らしをしているので金銭で人を救うことはできない。しかし、他人が愚かで迷っているところに出会えば、適切な一言でその人を迷いから目覚めさせることができる。また、他人が救いを求めて苦しんでいるところに出会えば、適切な一言でその人を危難から解放することができる。これもまた、士君子の限りない功徳である)

 この言葉を目にしたときに連想したのはエンジニアライフのコラムニストの方々です(決してコラムニストの皆さんを「清貧」と言いたいわけではありません)。わたしはコラムニストになる前からエンジニアライフのファンで、毎日欠かさずコラムを読んでいました。それはコラムニストになった今も変わりません。他のコラムニストさんのコラムを読んで、何度も励まされたり勇気づけられたりしました。エンジニアライフのコラムは、わたしにとってまさに「言葉の贈り物」です。

 わたしのコラムも、誰かにとっての贈り物になれるのでしょうか。それを信じて、まだまだ書き続けたいと思います。

 少し早いですが、2014年のコラムはこれで最後です。読者の皆様、よいお年を。

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