「WACATE 2011 冬」参加レポート(その4)――グールドを聴きながら
こんにちは、第3バイオリンです。
「WACATE 2011 冬」参加レポート、いよいよ完結編です。今回は、クロージングセッションと後夜祭、今回のWACATEで得た気付きをお届けします。
■クロージングセッション「現場主義が道を拓く ~WACATE編~」
「WACATE 2011 冬」の最後を飾るのは、NECの誉田(ほんだ) 直美さんのセッションです。
誉田さんは、NECでサーバや運用管理ソフトを開発する部署の品質管理の業務に携わっています。「品質会計」というNEC独自の品質管理手法の書籍を執筆された方でもあります。
誉田さんは、まず2つの組織の品質改善活動の事例について紹介しました。メンバー数や開発条件が良く似た2つの組織に「品質会計」をはじめとして同じ手法を適用して、出荷後のトラブル、クレーム数などを比較したときのことです。同じような組織に、同じ手法を適用したのだから結果は同じくらいになる、と予想していたのですが、成果は大きく異なっていました。さて、この違いはどこからきたのでしょうか。この2つの組織の一体何が違うというのでしょうか。
誉田さんは、まず「品質会計」が生まれた背景から説明を始めました。
近年、ソフトウェアの重要性は増大の一途をたどっています。ソフトウェア工学という言葉が生まれてから50年にも満たない間に、ソフトウェア、そしてソフトウェアテストを取り巻く環境は激変しました。今や身近な家電製品にもソフトウェアは欠かせません。もはやソフトウェアが社会のインフラ、産業の中心といっても過言ではありません。
NECで「品質会計」が生まれたのは、まさにそんな時代の流れの中、多くのエンジニアが果てしないバグとの戦いに明け暮れるさなかでした。「品質会計」とは、一言でいえば「『品質』が作りこまれたことを確かな根拠をもって説明するソフトウェア品質管理手法」です(詳しく知りたい方は、誉田さんの著書「ソフトウェア品質会計」をお読みください)。
「品質会計」で特に重視しているのが、「現場主義(三現主義)」という考え方です。つまり、実際に現場に向かい、実際の成果物を見て、本当にできているかどうかを確認することが重要、ということです。誉田さんは、特に「上流工程で『現場を見に行くこと』の重要性について語りました。
ソフトウェアは目に見えず、触ることもできません。数字だけを鵜呑みにしてしまうと、それが現実と食い違っているときに大変なことになってしまいます。数字と現場の様子が一致しているかどうか、それは現場に行かないとわからないことなのです。現場に行って関係者にヒアリングして開発の経緯を知ること、プロジェクトの雰囲気を知るためには現場のメンバーとのコミュニケーションと信頼関係が大切なのです。
さらに、誉田さんは最初の事例をもう一度取り上げ、手法を使うにしても「これでいいのか?」「なぜ良くなったのか?」と常に自らに問う姿勢がないと成果は得られない、と語りました。
「部署のルールだからこの手法を(何となく)使っている」というのではなく、「目的を理解したうえで手法を使う」というQCC(品質中心の組織文化)を持つ組織が、時間はかかっても確実に伸びていくのです。
最後に誉田さんは「何のためにやっているか、成果は出ているか、意識すること。『現場主義が成功への道を拓く』」と語り、セッションを締めくくりました。
現場で人や物と向き合い、地道な改善活動を続けることは決して目立つことではないし、楽でもないことだと思います。しかし、本当に組織を良くしていくには、それが最善の方法なのだと感じました。わたしも「なぜ?」の問いを忘れずに、仕事に取り組んでいきたいと思いました。
■後夜祭
WACATE終了後は、後夜祭、つまり打ち上げに参加しました。横浜の居酒屋で、参加者とテストや品質について、WACATEのワークショップについてたくさんお話しました。わたしは帰りの新幹線の都合もあり、1次会でおいとましましたが2次会に行ったメンバーは深夜までテストについて熱く語り合っていたそうです。本当に、参加者の皆さんの熱意はものすごいものがあります。
■ひとりのエンジニアとして、人間として
今回のWACATEのテーマは「咲かせてみせようテスト道」でした。実を言うと、今回参加する前、わたしは自分の道について迷っていました。
わたしはWACATEに2009年の冬から参加しています。その間に、多くの参加者と親しくなる機会がありました。特に最近では、わたしよりも年下の参加者が増えてきました。わたしよりも若くて、スキルもモチベーションも高い人たちとの交流は刺激的で楽しいものですが、同時に「これから自分よりも若くて、スキルも高い人がどんどん現われてくる。その中で、わたしはテストエンジニアとしてどうやって生き残っていけばいいんだろう」という不安も大きくなっていきました。
一番手っ取り早いのは、若い人に負けないほどの質と量のスキルを身につけることでしょう。しかし、本当にそれだけでいいのかという疑問は消えることはありませんでした。そして今回のWACATEに参加してみて(特に夜の分科会に参加してみて)ひとつの確信を得るに至りました。
「もう、技術的スキルだけでは太刀打ちできない。ひとりのエンジニアとしての仕事に対する向き合い方、もっと言うならひとりの人間としての生き方や哲学のレベルから見直さなくてはいけない時期に来たのではないのか」と。
■グレン・グールドの音楽と哲学
そんな折、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」という映画を観る機会がありました。
グレン・グールドとは、カナダが生んだ天才ピアニストです。1955年、彼が23歳のときに録音した「ゴルドベルク変奏曲」は、これまでにまったくなかった新しい解釈による演奏で世界中に大きな衝撃を与えました。それをきっかけに一躍、時代の寵児となったグールドはコンサートでも多くの観客を魅了しましたが、31歳のときに突然コンサート活動からの引退を表明します。それ以降、50歳の若さで亡くなるまでひたすらスタジオ録音にこだわり続けたピアニストでした。
グールドといえば、その類稀なるピアノの才能と天才ならでは(?)の奇行ばかりが注目されがちなのですが、この映画ではひとりの人間、ひとりの男性としてのグールドの人生について、彼の周りの人が証言するという内容でした。
それによると、グールドの斬新な音楽の解釈や、一見すると突拍子もない行動(例:冬でもコートに手袋、演奏中にうなるように歌う、など)についても、ちゃんと彼なりの理由やこだわりがあるということがわかりました。
わたしがはじめて、件の「ゴルドベルク変奏曲」を聴いたとき、わたしも衝撃を受けました。「何じゃこりゃ!?」と。なぜなら、今までに聴いたことのあるどの演奏ともまったく違っていたからです。現代に生きるわたしが聴いてもそう思うくらいですから、60年近く前にこれを聞いた人たちの驚きと感動、反発はものすごいものだったに違いありません。しかし、もしグールドが単に奇をてらうだけでこのような録音を残したのだとしたら、おそらくすぐに忘れ去られたことでしょう。
世界中で賛否両論を巻き起こすくらいの斬新な解釈を貫いたことも、人気絶頂のさなかで突然、表舞台から消えたことも、スタジオにこもって録音テープを切っては貼り、を繰り返していたことも、すべてグールドなりの哲学があったからこそ生まれたものだったのではないでしょうか。だからこそ、彼の音楽や生き様が死後30年経っても人々に驚きと感動を与え続けるのではないでしょうか。
グールドがコンサート活動から退いたのが31歳。ちょうど今のわたしと同じ年齢です。さすがにわたしが同じようにテストエンジニアを退くことはできませんが(現場主義のお話もありましたし)、これからの自分の生き方を決めるために舵を切る時期、それはまさに今なのではないかと考えてみました。
「WACATE 2011 冬」のクロージングセッションでも、WACATE実行委員長の山崎 崇さんが「仕事のなかでは上手くいかないこともある。自分自身の成長は加速させつつ、すぐに結果が出なくてもめげないこと」とおっしゃっていました。
自分の生き方をどうする、という問題もすぐに結果が出ることではありません。それでも、わたしは加速を続けていきたいです。
全4回にわたってお届けしてきた「WACATE 2011 冬」参加レポートはこれでおしまいです。「WACATE 2011 冬」で出会えたすべての方に感謝します。また、最後まで読んでくださった読者の皆さんにもお礼申し上げます。