テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

「WACATE 2011 冬」参加レポート(その2)――わたしの師匠はどこにいる?

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 こんにちは、第3バイオリンです。

 2012年最初のコラムは「WACATE 2011 冬」参加レポートの続きです。今回は、1日目の午後のセッションとディナーセッション、夜の分科会の様子をお伝えします。

■ワークショップ「『お隣さん』は誰? ― インプット、アウトプット、テストプロセスから整理してみよう」

 WACATE実行委員の近江 久美子さんのセッションです。

 最初に近江さんは、このセッションのテーマとして「テストプロセスとお隣さんを意識すると自分の立ち位置が見える。無駄や改善点も見えるようになる」と言いました。

 まずは「テストプロセス」と「お隣さん」の定義です。近江さんは、このセッションにおけるプロセスについて、「インプット→アクティビティ→アウトプット」つまりインプットに対してアクティビティをほどこし、アウトプットを生成する、という一連の流れのことである、と定義しました。

 このインプットには必ず「インプットを提供する人」が存在します。また、アウトプットには必ず「アウトプットを受け取る人」が存在します。この人たちがお隣さんです。

 ここまでの説明が終わると、テストプロセスとお隣さんを意識するためのグループワークが始まりました。

 ワークの内容は、ある(架空の)プロジェクトの成果物やメモ、関係者からのヒアリング内容などをもとに、そのプロジェクトのプロセスとインプット、アウトプット、それらのお隣さんをまとめてグループごとに発表する、というものでした。

 わたしのグループは、まずインプットとアウトプットをメンバーそれぞれが洗い出して、それを後でまとめよう、という方針でワークに取り掛かりました。

 数分後、メンバーそれぞれがインプット、アウトプットを書き込んだ付箋紙を出したのですが……インプットとアウトプットをひとつの付箋紙に書く人、別々の付箋紙に書く人がいました。最初にフォーマットを決めておかなかったので、いきなり出だしから足並みがバラバラになってしまいました。ちょっとしたことだから、と手間を省いたばかりに手戻りが発生してしまう、というのは実務でもよくある話です。気をつけましょう。

 付箋紙のフォーマットを整えつつ、全体のアウトプットをどう見せるかを決める段階でも、チーム全員がイメージをうまく共有できなかったために、制限時間ギリギリまでかかってしまいました。わたしのチームはWACATE参加が初めて、または2回目というメンバーが多かったので、こういうときこそ常連のわたしがしっかりリードしなくてはならないのですが、それがうまくできなかったと思います。ここは反省しています。

 ワーク終了後、グループごとに成果物を提示して発表しました。真面目に発表するチームもあれば、ネタに走ろうとするチームもありましたが、どのチームもそれぞれ工夫と個性がよく出ていました。他のグループのよいところを見て「ほう、その手があったか」と気づくことができるのが、WACATEのグループワークの面白いところです。

 よくドキュメントなどを作成するときは誰に向けたものなのかを意識すること、と言われますが、このセッションでお隣さんを意識することで、もう少しリアルに考えることができたと思います。実際の業務ではプロセスはもっと複雑で、お隣さんも大勢いることが多いのですが、グループワークで学んだことを忘れないようにしたいものです。

 また、メンバー全員が初期の段階で成果物(中間、最終いずれも)のイメージを共有できるかどうかが、グループワークのカギになることも実感できました。

■ディナーセッション

 1日目のセッションが終わったらディナーセッション、夜の宴会です。温泉につかって疲れた体をほぐしたあとは、名物のマグロが待っています。

 ディナーセッションはただ食べて飲むだけの宴会ではありません。参加者の申し込みコメントを、実行委員がいじりつつ紹介する「オールナイトニッポン」というコーナーがあります(もちろん、あのBGMも)。申し込みコメントには、参加者のイニシャルと住んでいる地域が添えられています。何度も参加していると、だんだんどのコメントが誰のものかわかるようになってくるのが楽しいところです。そのほかにも、実行委員による歌やダンス、書籍やグッズが当たる抽選会といった、盛り上がるイベントがたくさんありました。

今回、抽選会で「ソフトウェア品質知識体系ガイド―SQuBOK Guide」とカレンダーが当たりました。わーいわーい!SQuBOKガイドのほうは、時間を見て少しずつ読み進めたいと思います。ちなみにカレンダーのほうは、自宅で使用しています。提供してくださった方、ありがとうございます。

■夜の分科会

 ディナーセッションの後は、夜の分科会です。テーマごとにグループになって、議論したりワークショップをしたりします。

 わたしが参加したグループのテーマはこちらです。

「素振りしてますか?」

 プロ野球選手は、シーズンオフのときでも素振りを欠かすことはありません。それゆえに、シーズン開始直後から実力をぞんぶんに発揮することができるのです。それでは、テストエンジニアにとっての素振りとは、一体何でしょうか。

 まずは分科会に集まったメンバーそれぞれが、自分の考える素振りとは何か、素振りにあたることを実践しているかどうかについて意見を出し合いました。本を読んだり、勉強会に参加したり……いろいろな話が出てきました。なかには、何をしていいかわからない、勉強しても生かす場がない(つまり素振りをしても試合でヒットを打てない?)といった意見も飛び出しました。

 ここで、ベテランの参加者のひとりが「リファクタリング・ウエットウェア―達人プログラマーの思考法と学習法」という書籍を取り出しました。この方(以降、Kさんとお呼びします)は少林寺拳法を30年近く(!)されているそうで、武術における「達人」と、この書籍の「達人プログラマー」はつながっているのではないか、というお話をされました。Kさんはこの書籍にも書かれている「弁証法」の話を取り入れつつ、武術にとっての素振りとは何か、という話を始めました。

 武術においては、稽古が素振りにあたる、というのがKさんの考えです。武術の稽古では結果を残すことができません(武術の結果とは「相手の命を奪うこと」です)。つまり、実際に結果を出すことができなくても、結果を出せるだけの実力を身につけ、それを他人に対して証明する必要がある、ということです。

 ここでKさんは、上達するための過程と、弟子と師匠の関係について説明しました(素振りから離れつつありますが、気にせず進めます)。

 例えば、山を登る途中で今まで登ってきた道は見えますが、頂上までの道はまだ見ることができません。頂上までの道が険しいものなのか、案外楽なものなのかは実際に登ってみないとわかりません。

 同じことが、上達するための過程にも言えます。自分がこれまでに経験したことについては、どのくらいのレベルなのかが分かります。しかし、まだ経験していないことについては、正確なレベルはつかめません。

 また、登る道があまりに険しいと、途中でくじけてしまうこともあります。まあまあ登ったし、これ以上はもういいや、なんて思うこともあるでしょう。しかし、そんな険しい道を自分より先に登っていく人がいます。この人についていったらいいことがある気がする、よし、ついていこう。そう思わせてくれる人こそが師匠です。師匠は自分で選んでいいのです。また、わざわざ「弟子にしてください」なんて言わなくても勝手についていってもいいのです。

 ここで参加者のひとりが、現場の教育について同じことがいえるかも、と手を挙げました。その方はこれまでに、自分の実力を過大評価して実際はできないのにできると思い込んでいる人、反対に、自分の実力を過小評価して本来の実力を出し切れない人を見てきて、どのように指導すればいいのか悩んでいたそうです。

 この話を聞いて、Kさんは「自分の実力を過大評価している人に対しては、まず正しいお手本をやってみせて本当の実力者がどういうものかをわからせる、反対に自分の実力を過小評価している人に対しては、同じくお手本をやってみせたあとで本人にやらせてみる、もし失敗したときは1点だけ注意をして、次にうまくできたらほめること」と答えました。師匠といえども、伝えられるのは自分自身ができることだけです。また、一度にたくさん注意をすることは、かえって逆効果になるそうです。

 議論は続いていきましたが、ここでわたしは、ふと「実は今、登るのがしんどいと思うことがある。でも止めようと思えず、ジレンマを抱えている」と、今の悩みを打ち明けました。この話を聞いたKさんは、「上達は憧れがないと続けられない。止めたくても止められない何かがあるから、止めようと思えないのではないかな」と答えました。

 そこから、物事の本質、これが変わるともはや「それ」ではなくなるもの、の話になりました。Kさんは、少林寺拳法のもっとも初歩的な技が、すべての技の基本となっている、というお話をしました。つまり、その技が変わるともはや少林寺拳法ではなくなる、ということです。Kさんは、それに気がつくのに10年かかったそうです。10年かけてやっと「悟り」を開いた、といえるのかもしれません。

 ここでわたしは、唐突に10年近く昔にお世話になっていたバイオリンの先生が話したことを思い出しました。あるバイオリニストが、子供のころから毎日欠かさず、弓の端から端まで使って、一度も弓を返さずに10分間、途切れることなく音を出し続けるという練習をしていたそうです。その練習のおかげでコンクール優勝を果たすことができた、というお話でした。

 当時その話を聞いたときは「その練習だけで? そんなバカな」と半信半疑だったのですが、Kさんの話を聞いて一気に納得しました。バイオリンの演奏にとっても、弓で音を出すのは基本中の基本です。それが変わると、バイオリンではなくなります。本当に、唐突に、10年前の謎が一気に解けました。これがまさに「悟り」を開いた瞬間だったのかもしれません。

 素振りの話から始まって、上達、悟り、師匠とだいぶ話が変わりましたが、この分科会で話せたことは、わたしにとって大きな収穫でした。

 わたし自身、テストエンジニアとして山を登っている最中ですが、正直に言うと、このまま山を登り続けられるのか、登ったところでどうするのか、迷いが出始めているところです(テストそのものが嫌いになった、テストエンジニアを辞めたいということではありません。これについてはレポート最終回で詳しくお伝えします)。

 この分科会の議論で、その迷いを打開するためのヒントが得られたような、そんな気がしました。

◇ ◇ ◇

 第2回目の参加レポートはここまでです。次回は、2日目の様子をお届けする予定です。

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