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『ソフトウェアエンジニアですが、なにか?』-勇者になった日-

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男子だれしも人生一度はヒーロ(勇者)になりたいと思ったことはないでしょうか?
今回は実際あった勇者体験をエッセイ風にしました。五分で読める一話読み切りです。

 今日は余裕のシステムの打ち合わせ出張訪問である。いつもの最寄り駅を降り、少し南に下ったところに佇む店で休息をとる。お気に入りの昭和レトロではあるが静かで落ち着くオシャレなカフェである。

「おひさしぶりです。今日も早くからお仕事ですか」無口なマスターのほうから珍しく声をかけられた。
「今日の仕事は十時からなんですよ。早く来すぎてしまいました亅

 会話はそれだけだった。マスターも分かっているのだ、これから私が珈琲を飲みながらノートPCであれこれ資料を漁るのを。マスターの淹れてくれた珈琲は香りがよく美味しい。どういうわけか五感が覚醒し、頭が冴える。

(もう一時間も居たか。早いがそろそろ行くとするか)

「行ってらっしゃい亅
 ドアの呼び鈴がカランと鳴った。

 覚醒状態を維持し、カフェから出て三十メートルの幅のある線路を渡りきると一瞬に周囲が重たい雰囲気に変わった。遠くに見える建屋に顧客の大きなロゴのマークが霞んで見えている。そこへのルートは二つ。

(今日は正門ルートで行くか。少し時間が早いがロビーで待機だな)

 道行くそばのあらゆる建造物は死んだような静けさを漂わしていた。停電のようだった。

守衛員「お待ちしておりました! 階段をご利用下さい。この一帯、電力の供給が滞っています」

(ただの停電を彼は"電力の供給が滞る"と言った。なにかヤバそうな事態が進行しているのかだろうか。しかも待っていただと? 今日は打ち合わせに来ただけなのに)

 昇降機は使えず、機械工場の大型重機が通れるほどの鉄の重厚な扉を両手で開けて、そこから階段を昇ることになった。目的地は五階の中央コントロール室だ。コントロール室の前室で打ち合わせがあるのだ。二階にさしかかると上階から階下へ駆け寄る課員に声をかけられた。

「AlfaTECさん、お待ちしておりました。皆、中央コントロール室にいます」

 はて、今のは誰だろうか、顔に見覚えはなかったが相手は私を知っているようだ。多分、以前に大勢の前でプレゼンしたときの参加された課員であろうか。それとも、私のネームプレートを見て言ったのだろうか。

 三階にさしかかると今度は、見覚えのある黒髪ロングの制服を来た女子社員とすれ違う。秘書室にいる子だ。なぜここに。

「佐々木さま、お待ちしていました。中央コントロール室までお行きください」と彼女は会釈しながら黒髪をなびかせて階下に駆け下りていった。

(名前、憶えていてくれていたか。何だかわからないが嬉しいけれども、打ち合わせに来ただけなんですが)

 そう思いながら、五階に辿り着いた。中央コントロール室の前室にあるセキュリティーロックは解除され、オープン状態であった。前室には誰もおらず、全面ガラス張りから奥の中央コントロール室を窺うと大勢の社員が見えていた。

 中央コントロール室への重い扉もセキュリティーロックは解除され、ドアストッパーが二本もねじ込まれている。重たい雰囲気が溢れている中、ガラスをノックすると全員がこちらを一斉に振り向く。

(ここにいるのは幹部社員全員じゃないか)

 幹部達のすがるような目、緊迫した空気が一瞬で安堵に変わったのを感じた。

(勇者の気持ちがわかったシーンである。いやいや、私はただのソフトウェアエンジニアですが。打ち合わせに来ただけなんですが......)

「地域一帯の電力の供給が遮断されました。バッテリーは持ってあと十五分です」悲壮感を漂わせた室員が言った。

 聞くと、地域の電力会社がなにかやらかしたらしく、復旧見込みは立っていないとのことだ。この工場は二十四時間体制で年中稼働している。

「非常用発電機は?」

「起動できていません」室員はうつむきながら言った。

「バックアップ電源車の手配は?」

「間に合いません」別の室員が言った。

(計画停電ではないからな。しかたがない運用停止だな)

「メインサーバとサブシステムのサーバのシャットダウンは?」

「保留状態です」

 幹部達はシャットダウンを迷っていたようだった。停止すれば他施設との通信およびサポートセンターまでの全ての業務が止まる。三十分の停止なのか数時間の停止なのか復旧見込みが立たなかった。こうなると電力会社頼みである。

「no ETA、ただちにマニュアルに従って全システムのシャットダウンに移行してください」

(no ETAとは復旧見込みがないことをいう。新製品の生産ラインはすでに停止している)

「承知しました」

 シャットダウンマニュアルに従って全システムが停止した。立っていた者は座り、携帯で連絡を取り合っていた者は携帯を電源オフに、静寂が訪れた。かつてこの新築建屋にコントロール室が設置されシステムが移設されてからというもの何年も間電源オフになったことがなかった。

 いつ、復電するか目途が立たない状況で危惧することが一つあった。復電後どれくらいの機器が故障するか。最上位のインテリジェンスL3SWがクラッシュしても冗長化しているし、まあ大丈夫だろうと。

 念の為、聞いてみた。

「L3SWの予備機はありますか?」

「はい、一台あります」

「コンフィグは投入済みですか?」

「いえ、新品のままです。どうしてそのようなことを」

「クラッシュするかもしれないので、まあ冗長化してるので片方壊れても運用できます」

(インフラ関連でここにきたわけではないので、関係ないのだけれども一応聞いておいた。過去にこの会社のネットワーク設計をしたのは私だが、今は私の手から離れている。また、このメーカ製L3SWの設定コンフィグであるが、エクスポート、インポートの投入コマンドは知らない)

 復電までは何もすることがなく、打ち合わせも延期となり、幹部達と談笑していた。

 ブーン。復電だ。どこからかバシッという音が聞こえたような気がする。

 各ラックのファンとその中の機器のファンが最高速の回転音を出す。緑、オレンジ、赤のLEDがランダムに光出す。中央コントロール室から見える向かいの部署の照明もつき人が動き出した。

(電源オン時にはすべての電子部品に一気に電力が供給される。今まで定常状態で動いていた状態とは違うのだ。さあ、どこが壊れるか)

 監視モニターには、通信が途絶えているL2SWハブが赤色で二カ所点灯していた。ただ、本線以外のサブネットにあるL2SWハブは全滅状態であった。

(まずいことが起こっている。サーバの起動確認よりもまずインフラ確認を先にすすめないといけない)

「インテリジェンスL3SWのLEDモニターが赤で同期がとれていません。メインが起動していないようです」上位回線機器からチェックをしていた室員から報告が上がった。

 いつのまにか、ここにきた目的は忘れ、現状の指揮系統の判断は私が行っていた。

「メイン機器をリセットしてみてください」だめとわかりながらも言った。

「だめです」

「メイン機器をオフにてサブ機で単独稼働させてみてください」

「インターネット復旧しません」

(インテリジェンスL3SWはゲートウエイも兼ねている。メイン、サブ両方やられたのか。マーフィーの法則だな"失敗する余地があるなら、失敗する"
まだ、バックアップ機器があるさ)

「バックアップ機器に替えて、コンフィグを投入して設置して下さい」

「やりかたがわかりません」

「え?」

「お願いできますでしょうか?」室員が私の目を見つめながら言った。

 ここにいるだれも、情シスメンバーさえできるものがいなかった。手順書もない。

「やってみますのでコントロールケーブルを貸してください」

 私は即座にノートPCをスマフォに接続し、メーカのサイトから取り扱い説明書をダウンロードした。まずはメイン機のコンフィグが抜けるか試してみたが応答すらなかった。サブ機もだめだった。少し古いがコンフィグのバックアップがあり、それを使うことになった。

 取り扱い説明書の手順に従ってコンフィグをセットできた。

(まあ、どこのメーカもCUIのコマンド体系は似ている。問題ない)

 あとは、不足分のスタティックルートを追記するだけで元のコンフィグと同じになるはずだ。

(表面上、余裕の表情でこなしているが、内心は余裕がなかった。元にもどるだろうか?)

 交換用のL3SWをラックにセットし、LAN線の付け替えは室員に任せた。

「それでは、パワーオンします」課員の視線を受けながら電源オンにした。

 ステータスLEDは緑、同期LEDは赤。これは片肺なので無視してよい。四十八ポートに各二個ずつあるLEDが緑に瞬きしはじめる。

(大丈夫だ。いける)

 インターネット回線は接続され、各サブネットに分かれている部署も接続され事務所間のVPN接続も問題なくなった。

拍手喝采であった。この間まだ三十分しか経ってなかった。

「お疲れ様でした!」全員お辞儀をしていた。

 ふと、中央コントロール室に隣接するガラス張りの事務所に目をやると、秘書室の黒髪ロングの彼女がこちらを見つめていた。それから彼女もお辞儀をしていた。

(ヒーロになっていた! 独身だったらとか。今日は何しにきたんだっけ?)

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