ordinary -何てことない- 普通のエンジニアが書くコラム。

はじめてのけんけつ

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みなさま、おはようございます。Kyonです。

※今回は献血のお話です。あんまりリアルなことは書いていませんが、苦手な方はこちらでさようならしてくださいね。

『はじめてのおつかい』をもじってみましたが、個人的には『はじめてのおつかい』は馴染めなかったりします。3~4歳ぐらいの子どもが生まれてはじめてのおつかいに行くのを撮影した番組(詳しくは公式サイト)らしいです。

それぐらいの子どもがぶらぶら歩いて行ける範囲にお店がある状況があまり想像できなかったからです。自分がその年齢の時に住んでいたところでは、当時は車通りの多い近所の交差点に信号がなくて大人でも渡るのに苦労するレベルだったし(小学校卒業前ぐらいに信号ができた)、一番近いスーパーマーケットまでは山あり谷あり車多めで歩道なしのところもある道で約2キロかかるし、自転車で行くには微妙な距離だったし(だいたいお買い物は車か生協のグループ配送、自家菜園かご近所のおすそ分けで事足りる)。幼心に「地元では絶対できへんな(できないな)」と思っていました。そういう企画を実現しやすい場所を選んでいるとは思うので(ポツンと一軒家クラスでやろうとは思えないし)、そういうものなんでしょうね。

行数も稼げたので、そろそろ本題にいきます。

さて、毎年の健康診断での採血で異常に時間を要するため、献血にめちゃくちゃ消極的だった私。どうやら腕の血管が細くて採血に適した血管ではないようで、何度かやり直してもらったりして、なんかグッタリしてしまうんですよね。だから、献血なんてそんな・・・。

ところが、今年度の健康診断ではやり直し無しの1回で採血完了!「これはきてる!」と思い、勇気を出して行ってきた献血のレポートです。

献血行きます!

とはいえ、行ったことがない場所・したことがない事なので、退路を断つ(!)ために、周りに宣言してみたら、結構な頻度で行っている人に何名か出会うことができました。

「出かけた先でここの献血ルームはどんな感じかなーって思って行ってる。」とか「お菓子もらえたりするから、軽いティータイムのような感覚で行くかな。」、「「なになに型足りてません!」って呼びかけている人がいると「呼ばれてる!」と思って行く。」とのこと。

動機はいろいろあるけど、割と気軽な感覚で行ってるんだと知りました。

実は、献血行こうと思った理由はもう一つある・・・

献血行くまで自分の血液型が何型かを知らなかったんです、私。

学生時代は体育の集団行動で血液型で分かれる時とかはどこにも入れなくて寂しい思いをしたり、知らないことを説明したらしたで「なんで知らないの?」「知らないと困るよ」「両親の血液型は?」というお決まりの質疑応答にウンザリしたり。「○○なところ×型っぽい」と勝手に分類されているのを不快に感じたり。

その反動で「血液型知ってるから何なの?」「血液型知らない人の認知度を高めるもん」と抵抗しまくっていたんです。でも、なんかもういいなと。

それより、献血ができる身体であるうちに、献血しておいた方がいいのではないかと思い始めたのです。公式サイトを見てみたら、安全性を担保するためにいろいろと条件があって、したくてもできない人多いんじゃないかと思ってしまったので(詳しくはコチラ)。

献血ルームに行ってきました

行ってきた献血ルームはコチラです。25階にあるので眺めがとってもよかったです。

土曜日のお昼頃に行ったのですが、たくさん人が来られていて、待っている場所に常に人が20名弱いるぐらい。年齢層も様々で、一人で来ている人や家族連れ、カップルで来ている人も。ゆったりしたソファーがあって、本や絵本も充実しており、待つ人もゆったりしていられそうな空間でした。

私が受けた献血の様子

説明を受けて検査して採血して一休みして約1.5時間ぐらいかかりました(初めてでなければもう少し早く終わる可能性もありますし、献血ルームや混雑具合によって変動あります)。

同意事項や確認事項が非常に多く、口頭と紙面とタブレットでの確認を組み合わせて、繰り返し確認されました。人の命に関わることですもんね。

条件をクリアしていたので400mlにしましたが、専用のイスに座ってのんびりしているうちに約10分ぐらいで終わりました。成分の場合はもう少しかかるとのことです。

あまり痛くなかったですし、その後体調を崩すこともなく、また行ってみようかなと思えました。 ※感じ方には個人差があります。

思わぬ発見があった

献血をすることで血液型が判明した私でしたが、思わぬ発見がありました。それは血液型を知らないことで受けていたストレスを理解できたことです。

ちょうど手帳を更新した時に、手帳にあったパーソナルデータのページに血液型を書く欄を見た時に「あぁこの欄もなんて書くか悩まなくていいんやなぁ。」としみじみ感じたのです。また、Webアンケートを回答している時に、血液型を選択する欄があって、ここでも「私は自分の血液型を選べばいいんや。"不明"が選べなくて憤慨しなくていいんやなぁ。」と。今までこんなところでもストレスを感じていたんだと理解しました。

血液型を書かせる欄で、紙にしてもWebページにしても、"不明"という選択肢がなかったり、"不明"という選択肢がないのに必須入力になっていてどれかになりすまさないといけない経験って意外とあって、気にし過ぎなのはわかっているけど、その度に「自分の血液型を知らないってこんなに一般的ではないんや」と感じてきたんですよね。

人の役に立つためにできることのカタチ

誰かの役に立つためにできることってたくさんあります。日頃仕事で書いているプログラムも顧客の業務に役立つという意味で誰かの役に立つことです。他にもボランティアや募金、他にもあります。

「誰かの役に立つことっていろいろなカタチがあって、献血というカタチもあるんやな」と感じました。

血液型もわかったことなので、街頭で「なになに型が足りません」という声を聞いたら、献血しに行こうと思います!

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