なめられないITスペシャリストになろう

八百万の神の国の技術者として

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■新装開店のお知らせ

 ご無沙汰しています。本コラム、しばらく更新していませんでしたが、再開したいと思っています。再開にあたって少し方針を変更しますので、最初にお知らせします。

 これまで、比較的レクチャー的な内容を中心に書いてきましたが、これに加えて日々の雑感のようなものも書くことにしようと思っています。レクチャー的な記事はまとめるのに準備時間がかなり必要になるため、更新が滞る原因となっていたため、そしてもう少しわたしの思いを書きたいと思ったためです。

 もちろん、引き続き論理思考のレクチャー的なものは継続していく予定です。こちらはTwitterで日々少しずつ書いていって、まとまったところでこのコラムにアップするという進め方を試行中です。現在、前回の「ロスト・スキーヤー現象とその悪用(1)」の続きの内容をつぶやいているところで、これがまとまれば「ロスト・スキーヤー現象とその悪用(2)」としてアップすることになるはずです。

 新装開店ということで、タイトルも少し変更して「ITコンサルタント宣言! ~MALTな日々」とします。技術者視点と経営者視点の両方を持って日常の出来事についての雑感を書いていきたいと思います。この雑感の方は「である調」で書きます。レクチャーとはモードを変えて、いろいろ言い切ったりしたいからです。

 なお、コメントですがTwitter(http://twitter.com/ko1hayashi)の方にいただけると返信がしやすいので、大変助かります。記事への直接コメントにもできるだけ返事を書きたいとは思っていますが、多忙なときにはできないことがありますので、その点はご了解ください。

 では、さっそく、最近感じたことから。

■八百万の神の国の技術者として 

 最近、テレビ放映されて印象に残った2つのシーンがある。1つは、著名な元経営コンサルタントの経済評論家と、元巨大ネット掲示板の管理人のかみ合わない対談。もう1つは、徹夜の討論番組で、著名な経営コンサルタントである事業家と、作家で大学教授でもある批評家が激しく対立したシーン。いずれもインターネット上で話題になって動画も流通していたので、ピンとくる方がいると思う。内容についてはいろいろな方が議論をされているので、ここで改めて論じることはしない。

 わたしが書きたいのは、これらが印象に残った理由の方である。それは、わたしにとって非常に身近なものだったからだ。2つの共通点は、「経済活動、事業活動を最も重視する経営コンサルタントと、必ずしもそれだけが重要であるとは思っていない人の議論であった」というところである。

 わたしは、日経SYSTEMS 2010年7月号で 、「『赤字でもよい』と言う、そんな技術者は宇宙人」 というコラムを書いた。技術者が思っている以上に、営業や事業責任者は利益追究を重視していること。そして、技術者もお金のロジックで話ができなければ、思っていることは伝わらないという趣旨である。

 わたしが若手だった20数年前、バブル前後のころはまだ日本の製造業を中心にした「技術立国」「品質第一」という感覚が一般的であったように思う。それが90年代後半くらいから、戦略的思考の重要性が強調されるようになった。

 「過剰品質でコストを高くしても意味がない」

 「高い技術力よりも、それを組み合わせる企画力の方が大切だ」

 そういったメッセージが見られるようになり、コンサルタントと言われる人たちが表舞台に出てきた。昔から、技術者は上級マネージャや営業からは専門バカなどと呼ばれてきたが、その一方で持っている技術に対しては敬意を払ってもらってきたように思う。しかし、現在は技術力だけで勝負できないこともあり、社内で技術者の地位が以前より低くなっている会社が少なくないと思う。

 上のコラムの中でも書いたが、IT技術者の多くは必ずしも利益を出すことを自身の第一目的としてはいない。

 「自分の技術を高いレベルに磨きたい。新しい技術に取り組みたい」

 「それらを使って世界をあっと言わせるようなシステムを作りたい」

 「使いやすい便利なシステムを作って、ユーザーに喜んでもらいたい」

 「そこに仕事のやりがいを見いだしているのであって、お金をもらうためではない」

 そう考えている技術者は多いと思う。

 当然、この考え方は利益追求を最優先とする考え方とはぶつかる。乱暴に例えると、一神教と多神教との衝突である。経営者や事業責任者、経営コンサルタント、営業、こうした職種は、ある意味で、唯一絶対のお金の神をもつ一神教である。仕事を離れたところではどうかはわからないが、会社では収益を上げることこそが絶対的な評価軸である。

 「システムの品質を重視しすぎて、ビジネスチャンスを逸してどうするのか?」

 「新しい技術の採用でコストがかかるようなら、やらない選択が正しい」

 「プロジェクトマネジメントで一番大切なのは、ユーザーが言ってくるコストがかかる要求をどう断るかだ」

 こんなような、思わず反論したくなる発言が次々に飛び出してくる。

 ここで技術志向の異なる価値観をぶつけて議論をしたところで、勝ち目はない。「話にならない」と言われるだけだ。お金の神の一神教は他の神は認めない。そして、営利団体である企業で働く限りはお金の神は圧倒的に強い。そして残酷でもある。どんなに苦労してきたことだろうと、どんな情熱を持ってやってきたことであろうと、金額に換算されて評価される。

 ただ、われわれは幸いにも八百万の神の国、日本の民である。こうした現実と折り合いをつけていく術を持っている。八百万とは非常に多くの数という意味で、八百万の神とは、いたるところに神がいる世界観のことを指している。「千と千尋の神隠し」の映画を見たことのある人は、そのときに出てきた個性豊かな神様のイメージを思い出していただきたい。大半の日本人にとっては、イエス・キリストですらクリスマス前後にご利益をくれる神様の1人だ。

 システム開発の世界は八百万の神の世界だ。周りを見回してほしい。あるいはインターネットで検索してみてほしい。この世界には、J2EEの神もいれば、DBチューニングの神も、プロジェクトマネジメントの神もいる。それぞれの分野に秀でた個性豊かな人達の力を借りなければ良い仕事はできないということを誰もが知っている。

 「コードの品質を追究したい」

 「常に最新の技術に取り組みたい」

 「プロジェクトマネジメントを極めたい」

 全然OKだ。技術者は自分の極めたい分野の神を目指してよいし、その資格があるとわたしは信じている。

 ただ、八百万の神の国の技術者として、広い心を忘れないようにしたい。お金の神もちゃんと仲間に入れてあげるのだ。たかだか会話のプロトコルを1つ追加するだけだ。大したことではない。自身が大切にしている価値感をぶつけるのは、経営者やコンサルタントと同じ土俵で議論ができるようになってからでも遅くない。

Comment(2)

コメント

がると申します。
「エンジニアがビジネス領域の会話も出来るようになる」のは、とても大切だと思います。

ただ、一方で思うのが。
エンジニアが「ビジネスを語れる」のと同じくらいに、経営者/コンサルタントが「技術を語れる」必要もまた、あるのではないでしょうか?

きちんと「相手のプロトコルで会話が出来た」上で「自分は本職ではない」という謙虚さを持つ事が出来た時に、初めて本当に「落ち着いた会話」ができるのではないか、というような気がいたします。

ばしくし

そうです。そうです。
そうですよね。常識に囚われていては進歩がありません。

エンジニアが自分で直接ビジネスを考えてしまえば
経営者やコンサルなんて余計なものいらないんですよ。
独立してしまえばいい。

経営者/コンサルが技術も身につけて、自分で実装すればいい。
そうすればエンジニアなんていらなくなりますね。
そもそもエンジニアは単価高いんですから、最高のコストダウンになりますよ。

その方が互いに効率もいいし、コストもかからない。
ビジネスモデルなんて、案外とサッといいものが思いつくものです。
今時のIT技術なんて、OSSも含めてWebに大量の情報がありますから
ネット環境があれば、ズブの素人でもそこそこのシステムを実装することくらい不可能ではありません。

ちょっと、がんばってみてはいかがでしょう?

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