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「小損を取る」(13) メインタイトル「IT業界を生き抜く健康生活」に立ち返る。

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 お疲れ様です。

 現在「小損」をキーワードに書き連ねておりますが、結局この連載のメインテーマである「IT業界を生き抜く健康生活」とうま~くリンクしているということに今さら気づきました。

 という話について書こうと思います。

 だいぶ前になりますが、健康をキーワードに回を重ねていた頃は、健康についてずーっと考え続けていました。おかげで健康について自分の中での理論を再構築することができましたし、その理論はより強靭になったと思いますし、なによりも、机上で理屈をこねくりまわすだけじゃなくて、実際ますます健康になりました!

 「健康になりました」というのは、定性的な話ではなく、こちらのエンジニアライフに投稿させていただくようになってから少し健康診断等の数値が良くなりました。

♯もともと数値は悪くなかったので(爆)良くなったといってもわずかですが

 で今、私は「小損」についてずーっと考え続けています。そのおかげで先日、私の小損についての考え方におけるちょっとした矛盾(?)に気づいてしまいました。

 小損についてはだいぶ以前から考え続けていて、ある程度自信を持ってはいるのですが、やはり書き出してみると違いますね。回を重ねるにつれどんどん思考がブラッシュUPされているような感じがあります。

 さてその「矛盾」についてですが、何か月か前に確か、「良質な生活習慣の継続」を「小損」と位置付けたのです。

 その理由は、「良質な生活習慣の継続」そのものが「で? 続けてなんになるの?」という性質のものだから。つまり、それを続けてもぱっと見変わらないし、継続したとしてもなーんも人生に変化がないかもしれない。

 わかりやすいリターンがない。だからほぼほぼ「損」。

 なのですが、リターンがない、とかいってるくせに、私は、これにより「健康」という大得をとりにいっている、ような気がしないでもない。意識的に。

 あれ? ちょっとおかしくない?(自分にいってます)

 だって自分の定義する「小損」って見返りを求めないんじゃなかったっけ?

 因果関係をあえて発生させないものなのでは?

 因果関係を発生させたいんだったら「具体的な計画と行動」でしょ。

 つまり、私が行っている「良質な生活習慣の継続」というのは「具体的な計画と行動」にカテゴライズされるものでは? 自分が健康になりたいがためにやってるんでしょ?

 これは「小損」ではないのでは?

 …とまあこんな感じですが、私以外のみなさんにはホント、どーでもいい話ですよね(笑)。

 「良質な生活習慣の継続」が「小損」にカテゴライズされようが「具体的な計画と行動」だろうがどっちでもいいよ、と。

 まあそれはそうなんですけども(苦笑)、以前書いたとおり、ふっと思いついたこのネタを完全スルーして忘却の彼方に追いやるのではなくて、「フック」しておいたわけです。

 フックしておいたところ、このネタはもう少し突き詰めたほうがいいともう一人の自分が言っているような気がしたので(苦笑)、ちょっとマジメに考えてみた次第です。

 で、この件については先日沈思黙考した結果、だいたいわかりました。

 まず、先ほど「具体的な計画と行動」と書きましたが、これはですね、ウラを返せば、「具体的に計画を立てないと、行動しない」ということでも、あるんです。

 つまり、強制力ですね、

 でも、完全にルーティン化されてしまえば、あたりまえのことですが、「具体的な計画」は不要になります。なぜなら、身体が勝手に動くからです。

 また、計画が必要なケースというのは期間限定です。いつまでにこうしたい、あるいはこうしなければならない、というのがまずありきで、それを実現するためにどうしたらよいか?を考えていくのが計画ですね。

 「いつまでになにをどうする」が明確化していないと計画も不要というか、立てようもないというか。

 私の、ほぼ完全にルーティン化されている生活習慣というのは、もはや目的がないという(笑)。何のためにやっているか、わからない(苦笑)。

 いやわからないというわけでもないかな…尾崎豊ふうにいうと(笑)「僕が僕であるために」やってるんですよね。

 それをやめてしまうともはや僕じゃない、みたいな。

 ちょっとカッコよすぎるか…(苦笑) ただ単に、やらないと気持ち悪いから、というのも、ありますね。

 で、これが私にとって小損か否か、といえば、もはや違いますね。ルーティン化されたら損とか得とか、関係ないです。

 ただ、「私にとって」は違いますが私「以外」の方にとっては小損なのでしょうね。

 もちろん私にも、これを続けて何になるんだろう?とかそういう若干ネガティブなことを考えていた時期(「小損の時期」)はありました。まだ完全にルーティン化されていない頃です。

 ただ、ある時からいくつかの習慣がいつの間にか自分の血肉となり、「意識」のちょっと下、無意識の少し上ぐらいに位置づけられた頃にふっとステージが上がったのだと思います。それがいつなのか、始めてどれぐらい経った頃なのかはもはやおぼえていませんが…

 生活習慣を変えよう!とひそかに決意して(言う必要もないと思ったので誰にも言いませんでした)、ひそかにいろいろ始めてみて、そして続けてみて、私の人生、しばらくなーんも起こりませんでした。

 ただし、「あ、自分のような人間でもこうやって生活習慣をカイゼンしていくことができるんだなー」と、なんかじんわりとうれしい感じはありました。人生は劇的には変わっていきませんが、このうれしい感じをトリガーにほんの少しずつ変わっていったような気もしますね。

 次は、生活習慣の継続により「健康」という大得をとりにいっているか?についてですが…

 もともとなぜ良質な生活習慣を取り入れようと思ったかといえば「このままじゃいけない」と思ったからであって、その中に「不健康な生活してるから健康になる」というのも含まれていた、ような気はします。でもそれはプライオリティNo1ではなかった。なぜなら、ぶっ倒れたとか健康診断で再検査だったとか超太ったとか、そういうトリガーではなかったからです。

 ただ、いわゆるふつーのSEの生活サイクルおよび食生活でした(苦笑)ので、身体的には決して良好といえる状態ではなかったです。

 ただ、不健康なりの「安定した低空飛行」だったので(苦笑)、がつがつと健康を取りにいく必要もなかった。健康を取りにいったというよりは、明らかに不健康な生活(習慣も、食も)を少しずつやめていったというのが正解でしょうね。

 つまり… 新たな生活習慣を打ち立てて、継続するのと、今までの生活習慣(あまりよろしくない)を止めるのとは、セットであることが多いですね。なぜなら、同じ身体ですから、良い習慣と悪い習慣が並び立つことは難しいという… なのでうまい具合に良い習慣のほうが「勝って」くるとあとはオセロのようにほぼほぼ黒だったのが真っ白に裏返っていきます。

 ただ、オセロで64対0で勝つのが難しいように、すべて真っ白になることは、ないですね。人間だもの(笑)。

◆ 

 でまぁ、結果的に健康になりました、と。なので今は健康を維持するという運用フェーズに入っています。

 健康を維持するために何をするか?というと具体的には何もやってません。けどやってます(?)。

 生活習慣はルーティンに組み込まれた結果として私の中では具体的にあれする、これする、というリストからは消えてしまいました。勝手に身体がやっているだけ。という意味では身体はやっているのですが私自身は鼻息荒く何かしている!という意識はありません。

 さきほどの言い方を援用すれば「僕が僕である」ために生きているだけ。それが健康を維持する秘訣ということですかね。

 たとえば、身体が勝手に、週に何回か朝「サラダ・ボウル」をつくるので、それを食べています。一見むっちゃ健康に気をつかってそうに見えるのかもしれませんが、これは「健康のため」ではなく、朝に早起きして新鮮な空気を吸い、サラダ・ボウルを食べるというライフ・スタイルが今の「僕」なのです。

 今回のネタはこれを読んでいただいた方のうち数名ぐらいに刺さったらいいなと思ってます。数十名ぐらいの方には「フック」しておいていただきたいです。あとで必ず役に立つ自信があります。ではお後がよろしいようで…

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