健康について第53回 食について(4) 豊かな生活とは?を考える
お世話になります。龍澤と申します。
「食について」もそろそろ終盤戦かな、と思っています(前回はこちら)。
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工業食品について、私はもちろん全否定はしていません。前回も書きましたように、我々現代人が生活を営んでゆく上で必須の「嗜好品」だと考えています。
私のような都市に住む人間は、コンビニのない生活に戻るのは非常に困難だと思います。そしてご存じのように、コンビニには生鮮食料品はほとんど売っていません。
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嗜好品ですから、息抜きに、「たまに」ならよいと思うのです。人間はその「たまに」、すなわち余暇をより楽しむために、嗜好品を発達させてきたわけですから。
おそらく、「趣味」なのでしょうね。例えば毎日チョコレートを食べるのが趣味である、と。趣味なのだから何しようと勝手ではないか、と。
他人に趣味に口出しするなと言われればそれまでですが……でも、少量であっても嗜好品を毎日食べ続けるのはよくありません。嗜好品の依存症になってはいけません。依存症になってしまったらそれはソフトな「奴隷状態」であり、生活が豊かであるとは決していえないと思います。
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今を生きる主婦(主夫? )の方々は、工業食品と外食産業の発達により、毎日毎日三度の食事を作る必要はなくなりました。この事実に対し、ある程度は感謝しなければならないと思います。
家庭の食卓に、ちらほらと工業食品をちりばめるのもよいでしょう。そして金銭的に余裕があれば外食もよいでしょう。日常にうまく外食を取り込めば生活が華やかになります。
でも、親が「面倒くさいから」といって子供や家族を工業食品漬け、外食漬けの生活にしてしまってはなりません。
工業食品は、日常の「息抜き」に、たまの外食は、家族の「ごほうび」としてあるべきです。頻繁に家族でファミレスにいったりほか弁で済ませたりするのは、正常な家族の状態とはいえないでしょう。
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あくまで生活の基本は、ごはんを「作って食べる」のです。「買って食べる」のではなく。
「買って食べる」のはあくまでイレギュラーケースです(もちろん外食も含みます)。特に子供らには、日々の大切な食事を「買って食べる」のがアタリマエであるという感覚を、決して持たせないことです。
母親は、子供や家族のために一生懸命に献立を考え、食べ物をつくる。父親は、家族が食べることに困らないよう、一生懸命働く(いろんな別パターンがあるでしょうが、それらをすべて書いている余裕はないので、典型的なパターンのみ書いています)。
「食」を通して、子供にそういう姿勢を見せてゆくのが大事です。そして子供は親の行動よりも「姿勢」に敏感に反応します。
子供たちは自分たちが親になったときに、高い確率で同じ姿勢になります。親が、「買って食べる」ことをあたかもそれが豊かさであるかのように奨励しているようでは、いつまで経ってもこの国の「不健康の連鎖」を断ち切ることができません。
※私が既婚なもので家族についてばかり書いてしまいましたが、独り暮しについては機会があれば書きます。
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極端な話、私たちは生きる(食べる)ために狩猟したり農耕したりする必要はないはずです(趣味でやられている方はいますが……)。それを考えれば、スーパーで食料品を買って、家でごはんを作って食べるという行為の煩雑さなど、なんてことはないはずです。
その時間すらとれない(家族のうち1人も)というのであれば、その生活は見直す必要があると思います。今はよくとも年取ってから苦労する可能性が高まりますよ、と(持病を持ってしまうなど)。
小声で主張しておきます。医者に言われれば言うことを聞くのでしょうが(この業界の人たちはけっこう、権威主義的なところがありますので)、症状が出てからでは手遅れになる可能性すら、あるのです。
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でも、よく聞く話ですが、「○○で死んだら本望だよ」と豪語する人たちは、いざその「○○」で大病したら落ち着いていられるのでしょうか? 後悔しませんかね?
どうも軽い気持ちで発言しているような気がしてならないんですよね。実際のところ、食生活に問題があることをうっすら自覚しながら(つまり、自業自得で)寿命を縮めたいとは私は思いません。
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私は生活習慣を少しずつ意識して変えていって、特に、ご飯については(家族で)「つくって食べる」のがあたり前という考え方に完全にシフトしていきました。
もちろん前述したとおり、つくって食べるのが「あたり前」という感覚を取り戻しただけであって三度のごはんをすべてつくっているわけではありません。ほか弁もコンビニ弁当もたまにおいしくいただきます。数カ月に一度は豪勢に家族で外食します。
でも、このような考え方にシフトしていったら、それ以前の自分と比べて「人生が豊かになった」気がしたのです。確実に。
つまり、日々の食事を「買って食べる」のがあたり前という人生は(外食含む)、豊かではないのです。
10年前であれば間違いなく、「買って食べる」「外食する」のが「豊かさ」であると思い込んでいました。よって、「つくって食べる」はまったく優先していませんでした。(当然貯金もなく…)
ちょっと小金持ちになった成金の方などは、金にものをいわせて外食オンリーの生活にシフトしていきますが(我々庶民とはケタが違うレベルで)、やがて戻ってきます。やっぱり、ごはんと味噌汁と漬け物が一番だよな、とか言い訳しながら……。
なぜ戻ってくるかといえば何かしらの虚しさを感じるからだと思いますが、その気づきがあればまだよいほうで、大変残念なことに、戻ってくる前に身体を壊す方がとても多いようです。身体を壊してやっと気付くというのも……それ自体が豊かな人生とはいえませんね。
もう少し続けます。読んでいただきありがとうございました。