健康について第7回 電源OFF。
お世話になります。龍澤と申します。
私は東京に住んでいるものですから、今回も首都圏の直接被災していない地域、つまり、東電のカバーエリアで今後しばらくの間節電を強く求められる地域向けの話題になります。
前回は、この機に便乗して「しーんとした時間」をつくりましょう、ということを書きました。
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私たちは、震災の報道にもう飽きてきました。残念ですがこれは仕方がないことです。なぜなら、報道する側のマスコミがまず飽きており、それを我々に強要しているからです。
私たちは「震災報道」に飽きてきただけであって、常に本当の情報、必要な情報は知りたいのですが、マスコミは必要な情報は伝えません。それは、以前からうすうすわかってはいたのです。が、今回その事実をイヤというほどはっきり突きつけられ、結果として「飽き」という感情につながったということだと思います。
やはり情報は受動的に受け取っているだけではダメなのですね。(これは、「健康」という観点からも)
という意味で、今こそ(節電の意味でも)テレビをOFFして「しーんとした時間」をつくるチャンスです。
今、こまめにいろいろな電化製品の電源をOFFしているのであれば、「テレビ」という存在を聖域化せず、ただの一電化製品として考えるべきであるということ。
そういえば、テレビ局も輪番で1週間ずつ放送を止めてほしいですよね。どんだけ節電になるかわかりません。。
同じような内容を24時間並行放送する必要は、まったくないのです。今こそテレビ局を「聖域」からひきずりおろすチャンスなのですが。(蓮舫さん、仕分けお願いします)
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今回の原発問題は完全に人災なので、東電の都合で強制的に停電させられるのはまったく腑に落ちませんが、もともと節電というのはとても健康的な行為です。いわゆる「エコ」という概念に隠れてしまうのではなく、「節電」という言葉をもっと前面に打ち出して、私たちは行うべきでした。
そしてこの「未曾有の」状況により、首都圏全体で節電を強制させられている状況です。どこかに抜け道はあるのでしょうが、おおむね私たち庶民だけでなく、企業側にも聖域はないようにみえます。これは、とてもよいことだと思います。これまでは常に企業や団体が恩恵を受け、庶民が割を食うような世の中の仕組みになっていましたからね。
ここ数年日本の表層にはびこっているいわゆる「エコ」思想は、まったくもって庶民のみが割を食うシステムになっているので、私は独り反対しています。
たとえば、ペットボトルなどは庶民の手にわたってしまった後は燃やしてしまえばよいのであって、真の「エコロジー」を追求するのであればまずペットボトル飲料を企業側が生産しないことです。
そちらの根本原因にメスが入らず、我々のみがペットボトルリサイクルを強制させられる(しかも、リサイクルをしてもほぼ意味はないにもかかわらず)。思考をシンプルにすれば、この世の中の空気がいかにヘンか、巧妙に操作させられているか、がわかります。(「まずやれるところから」というプロパガンダの大ウソ)
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私は、ペットボトルも牛乳パックも、何もせず即燃えるゴミに「分別」して燃やしてしまう人間ですが、地震発生前からかなりの節電家でした。
でもそれは、高尚な考えをもってやっていたわけではなく、健康を意識していたわけでもなく、ただケチだからです。
恥を忍んで我が家の事情を話すと、我が家の家計は、私の取り分(小遣い)が変動制なのです。。つまり光熱費等銀行引き落とし分の額により私の小遣いが変動する、ので、節電すれば少しでも私の小遣いがUPするため、それがモチベーションになります。
私は聖人ではないので、電気を節約してもしなくとも月の小遣いが変わらないのであれば、節電などやっていなかったかもしれません。
ですので、私個人のライフ・スタイルは、地震の前後であまり変わっていないように思います。
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節電というのはつまりは、バブルの前時代(金余りでなかった時代)に戻る動きです。(不思議なことに)前時代に戻ろうとすると身体が健康的になってゆくのがわかります。
たとえば、非常にわかりやすいのは、エアコンを切る。
エアコンを切ることで、自身の本来持っている体温調節機能を呼び覚ますことができます。また、外気が寒くなったら服を着、暑くなったら脱ぐという本来の習慣が戻ってきますし、「頭寒足熱」という言葉も、実践で腹落ちするようになります。
エアコンも含め、私たち人間は、都合のいいようにキカイ(電力供給が必要な文明の利器)を利用すればいいだけの話であって、(それが、「豊か」な生活ということです)身体がエアコンに依存している状況は決して健康的であはありません。
夜早く寝るのもそうですね。夜早く寝るようにしてしまえば、てきめんに節電できます。
でも、皆様ご存じのとおり私たちエンジニアが「夜早く寝る」じゃあ、商売あがったりなんです。我々は水商売の人たちと同じように「夜に活きる」人種であり、極端にいえば電気を栄養にして生きているようなものです。(我々の商売道具であるOA機器も含め)この「未曾有の」状況においてはきわめて因果な商売であるといえるでしょう。
この議論はいつかは書かなければならないと思っているのですが、今回は触れないでおきます。
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金がないのはダメなのです。金がない、つまり貧乏では絶対に健康にはなれない。そして、貧乏ではエンジニアはできません。いや、できるかもしれませんが生産性高いエンジニアには絶対になれません。質素な生活には困らないぐらいの収入は、必要なのです。エンジニアにはハングリー精神はまったく似合わない。
でも、金余り状態では、貧乏状態よりももっと不健康になっていきます。言い換えれば、「怠惰」になってゆきます。ケチケチしているぐらいが、状況が弛緩しないのでちょうどよいのでしょう。
ですが、「ケチ」を前面に押し出してはなりません。それが難しいところで。。自他共に認めるリアル「ケチ」では、歪んだ人間になってゆきます。歪んだ人間は間違いなく健康ではありません。
歪んだ人間には笑顔がありません。笑顔は健康的生活を送る上での必須条件ですから。
節電生活(総称して「清貧生活」とでも申しましょうか)をルーティン化して、無意識化してゆく必要があります。夜寝る前にはコンセントの根っこから抜く、たとえば保温便座は夜間はOFFする。炊飯器は夜間の保温はやめ、朝、その日食べる分だけ炊飯する。などなど。。
そういうことを、あたりまえのように、自然に行えるようになれば、そんな人間を他人は「ケチ」とは思わないでしょう。自分も自身のことをケチとは思わないでしょう。それは自身の「民度」が上がっている証左です。以前書いた「ステージが変わる」とほぼ同義です。
民度が上がるのと比例して健康的になってゆくことができます。そして「my民度」を上げることは、それを望みさえすれば誰にでもできます。