盲目的な防衛から「実害」を阻止するセキュリティへ

サイバーセキュリティの歴史は、脅威とのいたちごっこの歴史です。 かつては「高い壁を築くこと」が正解でしたが、今や相手はスピードも、適応力も、そしてビジネスとしての組織力も桁違いです。攻撃は自動化され、闇市場で分業化が進み、マシンの処理速度と人間の心の隙の両方を巧みに突いてきます。
Microsoftの報告によれば、AIで自動化されたフィッシングは従来の手法を圧倒し、Botによる不正アクセスは、1時間あたり数百万件もの偽アカウント作成がブロックされるほどの規模に達しています。つまり、脅威は単に「増えている」のではなく、システム化され、加速し、経済的に最適化されているのです [3]。最先端のAI開発者自身も、自分たちが作るモデルが防御に役立つ一方で、攻撃者を強力に支援してしまう「デュアルユース(軍民両用)」のリスクを危惧し、公開制限を検討するほど事態は深刻です [8]。
変わらない「人間の脆弱性」
この緊張感は、今に始まったことではありません。2000年に世界を震撼させた「ILOVEYOU」ワームは、最も危険な脆弱性が技術ではなく「人間」にあることを証明しました。ラブレターを装ったそのウイルスが広がったのは、人々が「自分宛ての愛のメッセージであってほしい」という好奇心や信頼、感情を抑えられなかったからです [1]。
四半世紀が過ぎても、この教訓は色褪せていません。Verizonの2025年版データ漏洩調査報告書(DBIR)によると、漏洩原因の約60%に依然として人間が関与しています。フィッシングや盗まれた認証情報は、今もなお攻撃者の「常套手段」であり続けています [2]。技術が進歩しても、攻撃の入り口は相変わらず「人間の判断ミス」なのです。
防衛思想のパラダイムシフト
こうした状況を受け、私たちの守り方も進化を余儀なくされてきました。
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盲目的な防衛(Blind Defense)の時代 初期のフェーズは「すべてを守り、境界を固め、内側は安全だと信じる」というものでした。インフラが固定され、内と外の境界がはっきりしていた時代には、これでも通用しました。しかし、クラウドやリモートワーク、SaaSの普及によって境界が消滅した今、この考え方は限界を迎えています。
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リスクベース(Risk-based)の時代 次に現れたのが、「何が最も重要か?」を問う考え方です。NIST(米国国立標準技術研究所)のフレームワーク2.0が示す通り、すべての資産を平等に守るのではなく、組織のミッションや優先順位に応じてリソースを配分するようになりました [4]。これは大きな進歩でしたが、まだ不十分でした。
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脅威セントリック(Threat-centric)の時代 「何が大事か」を知るだけでは、攻撃を予測できません。そこで、攻撃者の振る舞いや手口を研究し、「敵の目線で考える」手法が重視されるようになりました [5]。脆弱性リストを潰すだけの作業から、対人的な「攻防のインテリジェンス」へと進化したのです。
そして「ハーム・センタード(実害中心)」へ
しかし、現代の環境はあまりに動的で、非対称です。攻撃手法が生まれるスピードに、分析が追いつきません。ここで私たちは、新たな問いを立てる必要があります。
「攻撃がどう行われようと、絶対に阻止すべき『実害(Harm)』は何なのか?」
これが、いま求められているハーム・センタード(実害中心)の視点です。 インフラや攻撃手法から考えるのではなく、守るべき「結果」から逆算します。CyberPeace Instituteが提唱するように、単なるシステム停止だけでなく、経済的損失、信頼の失墜、人権侵害、さらには社会的な混乱までを「実害」として定義します [6][7]。
これは単なる言葉の置き換えではありません。防御の設計思想そのものを変えるものです。サーバーが攻撃されたかどうかよりも、「病院の機能が止まっていないか」「人々の生活や権利、社会の信頼が守られているか」を最優先の評価軸にするということです。
結論:システムではなく「人」を守るために
セキュリティの進化を振り返れば、境界防御からリスク管理、脅威理解、そして実害の阻止へと、その視点はより本質的なものへと移ってきました。
現代のサイバーセキュリティが抱える真の問題は、脅威のスピードに追いつけないことだけではありません。私たちが「何を防ごうとしているのか」という思考モデルが、被害の実態に追いついていないことなのです。 攻撃が工業化され、冷徹に自動化されている今、防御の価値は「どれだけ攻撃をブロックしたか」ではなく、「どれだけ人間の安全と社会の信頼を守り抜いたか」で測られるべきです。
これからのセキュリティに必要なのは、より賢い検知システムだけではありません。私たちが守るべき「痛み」を明確に理解し、戦略の真ん中に据えるという、強い意志なのです。