ネットは殺伐としていて嫌だという方へ Part1
ネットが殺伐とする原因は否定が多いからです。テレビでも同様に、どこそこの政治家がダメだとか、子供に何々はだめだとか、批判は多いです。ただテレビの場合、多数派の意見にうまく乗っかって一方的に批判をしているので共感が得やすいです。今まで築いてきたメディアとしての信頼も厚いため、何を言っても正しいと思われがちです。まず、ネットでは平気でテレビやマスコミの批判が流れます。既存のメディアにべったりだった人ほど不快に思うのは当然です。
あと、ネットは容赦が無いです。自分が情報を発信する場合、何の権限も持たない立場からの情報発信になります。テレビや新聞になじんでいる人は、テレビや新聞と同じことを言えば、同等の権限で発言できると思いがちです。特に年配の方にこの傾向は強いです。こういう考え方は、思考が停止しているのとほとんど変わりがありません。そんな考え方で「俺は偉いんだ!」というスタンスでネットに書き込みをしようものなら、袋叩きにされるのは明白です。これが、年配の方がネットになじめない大きな原因かと思います。
ひと昔前であれば、新聞やテレビと同じことを言えば、同等の権威をもって発言することができました。考えなくても権威をもって発言できるための便利な道具だったと思います。なるほど、高い購読費を払ってでも購読する価値はあったと思います。NHKの受信料にも納得がいきます。ただし、ネットでは新聞やテレビの権威は全く通じません。無思考に発言すると袋叩きにされます。自分で考えて発言して、自分で考えて反論しなければ話を通すことができません。自分で考える習慣の無い人は、サバンナに放り込まれた子猫でしかありません。
普段、サバンナの王ライオンの権威で話をしていた人が、子猫の立場でしか発言できなければ、「殺伐としている」「ろくでなしの集まりだ」などと、ネガティブに捉えられるのは当然です。無思考な人にネットは冷酷だと思います。ただ、リアルな世の中が無思考な人に温かいかと言えば、そうでもありません。結局、ネットもリアルな世の中も大差がありません。違いがあるとすれば、意外と平等ということです。
平等というのは、視点をかえれば修羅の世界です。フラットな立場で純粋な論理性だけで殴り合うことになります。既得権でヌクヌクしているような人がノリを引きずっていると、袋叩きにされます。しかし、思考を積み重ねて発言を続ければ、認めてくれる人はたくさんいます。残酷であると同時に、優しさにも溢れている世界だと思います。こんな残酷で優しい世界で優しさを得るにはどうすればいいか、それはまた別のコラムで書いてみたいと思います。