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ネットは殺伐としていて嫌だという方へ Part2

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今回のコラムでは、ネットで感じる殺伐さを払拭する具体的な手段について書こうと思います。殺伐さを解消する方法は簡単です。相手の肯定できる部分を探して「そうだね!」と同意していけばいいのです。ネットに限らず、否定ばかりしていると場が殺伐とします。逆に、肯定をすることで場が明るくなります。相手を否定することで仲良くなることはできませんが、肯定することで仲良くなることができます。人を肯定する方法を身に着けていけば、ネットで殺伐としないだけでなく、実生活にも恩恵があります。

ただ、人を肯定するにしても訓練が必要です。否定に関しては、小さい頃から「あればダメ」「これはダメ」と言われ続けて、誰もが無意識に訓練されています。例えば、相手を罵ろうと思えばいくらでも罵れると思います。「バカ」とか「〇ね」を、息を吸うように自然に言う人はたくさんいます。ネットが殺伐としているのではなく、ネットでなくても殺伐としているのです。ネットが殺伐としていると文句を言う人ほど、現実の殺伐さに気づいていないように思います。

現代人の人を否定するスキルは超能力的に高いです。このコラムを読んでいる人でも、物凄い想像力に富んだ誹謗中傷をコメントに書き込む方がたまにいます。見たこともない人に対して、よくそこまで想像力豊かになれると感心します。ただ、逆に褒めようと思ったらどうでしょう。そもそも賞賛したいような人がいるのでしょうか。もし、そういう人が思い浮かばないとすれば、普段から人を褒めたり賞賛する習慣がないからです。

最近、ネットでの発言を否定から肯定に切り替えてみて思うのが、実利があるということです。人の話を肯定することで、そこでしか聞けないような貴重な情報を聞けたり、自分の勘違いに気づけたり、多くのヒントを得ています。これらが問題解決に役に立っています。また、人を肯定できるようになると迷うことが少なくなります。これは経験的にわかると思いますが、否定をされ続けると何が正しいか分からなくなります。その逆をやると、どうやら迷うことが減るようです。

肯定と否定のバランスが取れている状態がベストです。ただ、現代人は極端に否定が偏っています。死ぬ気で肯定する訓練をするくらいでバランスが取れます。普通に暮らしていると、どんどん否定的な方向へ暗くなっていきます。人を肯定できない人が何等かの理由で肯定されるようになると、驚きの速さで慢心に没入します。人を肯定できることは、身を守るための最大の防具にもなります。ぜひ、誰かを肯定する実践をしてみてはいかがでしょうか。

Comment(1)

コメント

nyaki

物事を肯定していくのはほんと大事ですよね
ネットでは情報の切り出しがとにかく顕著なので、意見の「違い」を相手の「間違い」と考えてしまいがちですし
 

また、肯定的に捉えられないのは、蔓延してる二択思考の影響が強い様に思います
要は世の中には、マークシートのように正解と不正解の2極しかないという思い込みです
 

実際は観点や目的や思想等の前提が変われば正解不正解なんて簡単に覆りますし、裏を返せばどんな意見でも否定しようと思えば否定出来てしまうわけで
 

この思考法は同様なロジックで簡単に敵と味方の分別できてしまうので、「意見が違う=敵」という短絡的な結論を出しやすいのも否定が増えるポイントな気がします

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