言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

断罪のエイプリルフール。お前の罪を数えろ!

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・・・せっかくのエイプリルフールなので、先輩コラムニストのAnubisさん風に書いてみました。

エイプリルフールじゃなくても嘘をつきまくる人たち

IT業界を見ていて嘘の多さに呆れる。専門知識も無いのにITのプロフェッショナルを語る人のどれだけ多いことか。初心者を経験三年で売り出したりするな。できないことをできると言って、立場が下の人に責任を押しつけるのは止めろ。人の実績を自分がやったかのように振る舞って成果を奪うのは止めろ。そういう人に打撃を与えるような嘘が世の中には溢れている。

普段から人の道を逸れるレベルの嘘をつきまくっておいてエイプリルフールだと?冗談としてはなかなか面白い。嘘に対する嘘は真実だ。普段から嘘しか言わないような人間なら、エイプリルフールに真実を語って断罪したらどうだ?事務のおねーさんの気を引ためのジョークを考えている暇でもあるなら、断頭台の上で己の犯した嘘という名の罪を洗いざらいに懺悔しろ。

嘘は罪だ。人に優しい嘘など存在しない。全ては数学的に考えよう。「人の利益になる嘘」なんて存在しない。もし存在するとすれば、「十の善行」と「一つの嘘」という悪業。これをひとくくりにして捉えて「嘘」という行動と十の善行から悪業の一個分を引いた「九つの善行」になる。善の部分と悪の部分を区別して、それぞれにフォーカスを当てることで成り立つ見解だ。嘘そのものは罪でしかない。こういう考え方ができないと、善行と悪業の区別がつかなくなる。

嘘をつく人は、自分が正しいという前提を信じて疑わない。それは人に打撃を与えるような嘘を平気でつく人も同じだ。嘘は嘘をつく当人にとっては真実だ。それを真実と信じ込むほど嘘としての力が増す。そんな人にいくら正論を言ったとしても無駄だ。事実を理解したとしても、認めたいと思わないので認めない。一番いいのは、嘘で人に与えた損害が自分に返ってきて痛みを感じることだ。そのくらいのインパクトが無いと人の認識というのは変わらない。

嘘つきにとっての嘘は真実だ

嘘つきがつく嘘ほど巧妙だ。嘘をつくのが下手な人の嘘は露骨ですぐバレる。嘘をついてもそれと気づかれないから何度も嘘をつく。これが嘘つきだ。嘘つきには何を言っても話を上書きされるし、話をするだけ時間の無駄だ。そういう人の側にいて精神的に不安定になるより、距離をおいて言葉を交わすのをやめよう。それでも、どうしても関わらなければいけないときは、言葉で勝負をせずに実力行使でいこう。

そもそも、三歳児のような露骨な嘘はすぐバレるので使い物にならない。嘘が下手クソな人は、嘘は役に立たないことを理解するので嘘をつかない。真実でないことを自分の都合よく表現できる人が嘘をつく。嘘の上手い人は自分自身から騙していく。しかも、自分の持てる能力を総動員して嘘をつく。真実でないものを真実だと思いこんで全力投球してくるのだ。言葉の勢いが違う。だから、ただ真実を語るだけではとても嘘を覆すことはできないのだ。嘘の上手い人は全力で嘘をつく。

さてここで問題だ。真実でないことを真実と思い込んだ人にとっての真実は嘘です。では、真実でないことを真実と思い込んだ人にとっての嘘とは何だろうか。それが真実だ。もしあなたが真実を語る人なら、嘘つきにとってあなたは嘘つきに見える。なので、嘘つきばかりの集団で真実を語ると、自分が嘘つきのような扱いを受けて訳が分からなくなる。コミュ力で乗り切るなら、嘘つきに同調した方が楽だ。しかし、後から背負うことになる代償はでかい。しかも、なんで代償を背負うことになったのか理解できなくなる。

真実とは時に残酷だ。残酷な真実より甘い嘘で安心したいと思う人など星の数ほどいる。だから人は騙されるのだ。人間の心に弱さがある限り、嘘を突き通すことで得られる信頼もある。「私は現場で信頼を得たから嘘つきではない」という人をよく見るが、万年炎上プロジェクトで信頼されている人の方が、逆に嘘つきは多い。真実を語って受け止める力量があるなら、炎上する間もなくプロジェクトは成功している。信頼は正直者の証にはならない。エンジニアなら、人の語る言葉ではなく、ログと実証で真実を語ろう。

お前の罪は東京都の家賃より重い

大阪から東京に引っ越してしばらく経った。東京に住むと家賃高い。大阪と比較して体感で1.5倍といったところだろうか。更に名古屋とか福岡に行くと、同じ金額でもっと広い部屋を借りることができる。しかも、人が少なくて空気がきれいだ。肉の擦れあうようなにおい立つ通勤ラッシュに揺られることもない。東京で仕事したが、初めて長机にパイプ椅子案件を振られた。地方だと場所が確保できるためなのか、意外と労働環境は快適なところが多かった。

嘘をつき続けることは東京に住むことと同じだ。一見華やかだが、肉が擦れあうような通勤電車で心をすり減らすように、自分の気付かない内に大事なものを失っていく。確かに東京にはいろいろなものが揃っている。ビルもいっぱい立っている。しかし、人ひとりの立っていられるスペースは狭い。嘘をついていると、見かけの優雅さに反比例して自分の心は狭くなる。快適、安定と思いつつ、実は肥溜めのような狭窄した空間へ自分を追い込むことになる。

だったらせめて、東京より埼玉だ。埼玉にはイオンモールやららぽーとがたくさんある。東京に林立する高層ビルは誰の心にも潤いを与えない。だが、イオンモールやららぽーとには、家族連れの笑顔が溢れている。埼玉を笑う者は、真実を笑う嘘つきと同じだ。東京に疲弊した人たちを癒やすオアシス。それが埼玉だ。ということで、仕事があるなら名古屋とか福岡に住むことをお勧めする。ゆったり生活できて快適だ。ちょっと仕事を頑張りたい人は、大阪くらいで丁度いい。

東京で疲弊するように、人は嘘をつき続けると疲弊する。肉が擦れあう通勤電車が多くの人を詰め込むように、多くの欲望を抱え込んだ者が嘘に走る。東京の華やかさに惑わされるように、不相応な振る舞いで自分を惑わす者は、嘘を塗り固めることになる。嘘の重さは自分で実感することは難しい。それは、東京にしか住んだことのない人が、自分たちの払っている家賃が高いと自覚できないとの似ている。高い家賃を払い続けて狭い部屋に住まうように、嘘をつき続けることで狭い心で固定されてしまうのだ。

断罪のエイプリルフール

嘘をつくことで一番損をするのは自分だ。なぜなら真実が見えなくなるからだ。進捗の報告で嘘をつくと、進捗が見えなくなる。スキルの低さを嘘でごまかすと、スキルが伸びにくくなる。嘘をついてお金を多く得たら、場合によっては犯罪になってしまう。嘘というのは、巷で言われる買うだけで幸福になるツボ(原価 3万円、売り値 100万)と同じだ。アレを買って本当に幸福になった人を見たことがない。嘘というのは、対価が釣り合わない買い物のようなものだ。

嘘つきは不幸になると理論的に説明しても通じない。実際、見た目だけは嘘つきの方が充実しているように振る舞う。ただし、嘘がバレたときの恐怖で常に緊張し、バレないように振る舞う労力で疲弊することになる。これは、今の現場の某嘘つき君を観察した結果だ。言葉を発する時のテンションが無駄に高かったのと、動きを見ても力の入り具合のバランスが悪い。常にイライラしているようだ。そういう状態なので疲労が抜けないのだろう。昼休みに外のベンチでよくうなだれている。

観察した結果から言わさせていただくと、嘘をつくとリソースの消費が激しい。これは間違いない。簡単に言うと疲れるということだ。そういう状態でスキルを伸ばそうにも、疲れて頭が回らない。真実が見えなくなっているので、適切な判断ができない。人間関係や機転で乗り越えたとしても、根本的なスキルは伸びないので自転車操業のようになる。確かに、真実を見るというのはなかなか大変だ。精神的にダメージを負ってしまうこともよくある。しかし、問題の根本解決が図れるので、問題を抱え込むことが少なくなる。

嘘やごまかしに頼ると問題解決能力が著しく落ちる。エンジニアとして成功したいなら、嘘をつかないためにスキルを磨こう。私がスキルを磨く目的は、高収入でもなく、何かの達成感を得たいのでもなく、嘘をつかずに済むためだ。嘘をつかずに済めば、事実を見抜く力も勝手に伸びるし、問題解決能力も高くなる。勝手に成功できる条件が揃う。嘘でその場をつくろうか、真実の重みを受け止めて強くなるか。どちらを取るかはそれぞれが判断すればいい。エイプリルフールなら、己の偽りに嘘をつけ。そして、真実を語り断罪しよう。

Comment(1)

コメント

仲澤@失業者

ううむ。耳が痛いです。
自分の場合ウソを言った後に「なんちゃって」を付ける癖があるので、
確かにリソースというか体力の消耗が明けしいです。
なんちゃって。

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