言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

負いきれない責任の値段

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SIerの働き方を見ていると、責任感があるのか無いのかよく訳が分からなくなってきます。能力に見合わない責任を背負い込んでコントロール不能になっているように見えます。顧客のわがままに振り回されて、あれもこれもしなければならない境遇です。まともにこなそうとすれば誰がやっても無理です。ましてや、スキルを磨きながら業務をこなすのは不可能と考えた方が自然です。そんな業務を嘘や誤魔化しを駆使して切り抜けているのが現実です。

そんな様を見ていると、負け戦が確定している陣営で雇われた兵隊が思い浮かびます。大した見返りもなく、身を削って戦わなければならない境遇に、彼等は何を感じて戦っていたのでしょうか。思考することを放棄して「それでも勝てる!」と自分を鼓舞した人もいたでしょう。戦っているフリだけしておいて、何とか生き残ろうとした人もいたでしょう。SIerを観察すると、そんな負け戦が確定している兵隊と同じようなことを考えています。

責任能力というのは背負える責任の最大量です。単にITの技術を磨いたからといって能力に直結することはありません。この責任能力に対して適切なタスクを任せて、対価として見合った額を払う。これがあるべき形です。ただし、どんなに責任能力が高くても、背負える責任には限界があります。それを度外視して、過剰な要求ばかり押しつけると、プロジェクトは簡単に破綻します。要求は当然の権利であって、リスクになると考えている人は少ないでしょう。

負いきれない責任に払われる金額というのはいかほどのものでしょうか。負いきれない責任を押しつけられると、時間を多く消費します。また、精神的プレッシャーもかなりかかります。場合によっては、身体を壊したり精神を病みます。まともにお金に換算して支払ったら、責任を押しつけた人の払うお金は相当な額になると思います。また、負いきれない責任なので、成果を期待することもできません。お金を払ったとしても何ら利益はありません。

価値観によって感じ方がそれぞれ違ってきます。当然、価値観の違いによって支払われる対価も違ってきます。実際に支払われる額というのは、責任より本質の価値より、感覚が優先しているように思います。負いきれない責任を負わされたり、割に合わないお金しかくれない。こういう事態を避けるには、自分の所属している組織の価値観をしっかりと把握することが重要ではないでしょうか。

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